別れと出会い、そして伝統の護り手

いよいよ今週で2017年の上半期も終了。母校に戻って1年半が経とうとしています。

6月26日月曜日。前日夜のメールチェックで、千葉大の客員教授である世界的に有名な某M先生から「今年度の薬理学講義の日程の件で、日本時間の午前中にWashingtonから(国際)電話します!」、とのことだったので、「明日月曜日は朝8時から部屋におります」とお返事。

そこでこの日もいつものように朝5時48分発の始発バスに乗るべくバス停へ! が、忘れ物に気づき、「う〜ん、M先生のお電話に出られなかったらまた怒られるだろうな〜」と頭を過るも、実はこの日は昨年の連休明けから私の秘書として勤務して頂いたAさんの最後の勤務日なので、最後に渡そうと思っていたのを忘れちゃってもな〜、と悩む。いや、やはりAさんも大事!、M先生にはいつも怒られているので怒られればいいか(苦笑)と決断し、家に戻ることに。

しかし置いておいたはずの場所にモノが見当たらず、さらに部屋の中をあちこち探すが見つからず。おかしい、他の人にあげたはずはないのだが、、、と、さすがに次のバスを逃しては朝8時に大学に着かないので泣く泣く諦め、再び家を出ることに。あ〜あ、相変わらず間抜けだな〜と思いながら再度バス停へ向かう。道すがら見かけた南アフリカ原産のアガパンサスがそろそろ満開のようでした!

中央線快速から総武線快速に乗り継いで無事に千葉駅には7時半過ぎに到着。激混みの南矢作行きバスは避け、病院下を通る蘇我駅東口行きバスに乗ることにする。とバス乗り場の片隅で見慣れた名前の幟を発見! あっ、あそこでマイクで喋っているのは高校の同期で国会議員のKさんだ! 手を振るのもなんなので?、バスを待ちながら撮影。あれ、本人写ってない(汗)、まあいいか(笑)

たいてい遅れる蘇我駅東口行きバス。この日もしっかり遅れ、病院下に着いた時には8時2分前! あ、まずい、と急な坂を小走りに登り図書館側のドアから入ろうと思ったら閉まっている! 最近閉まっていることが多くて、「なんだよ!」とムッとするのですが、こんな日に限って閉まっているものですよね。正門まで回って教室に辿り着いたら8時2分。もう電話来ているかなと耳を澄ますが音の気配は無し! うん、きっとセーフかな、と思っていつも通りに仕事を開始。

今月一杯で辞めることになったAさんの代わりに来月から来て頂けるKさんが引き継ぎのため来てくれているので、出張後の処理の仕方などを学んで頂く。ついで?にM先生の講義日程が決まると、他の非常勤講師の先生方の日程も決めることができるため、学外の非常勤講師2名の先生や学内の講義担当の先生方に日程の確認メールをうちまくる。

そして今日は研究助成の書類を2件仕上げる!
そう、この4月自分が代表の基盤Bに落ち、6月ヒアリングまで行った分担で入っている基盤Sが落ち、そしてこれまたヒアリングに行った新学術も(恐らく)形成かなり不利な感じとトリプル不採択の危機に瀕しているとあっては、財団がやっている助成金に応募するしか手がなく、久しぶりに科研費以外の申請書を提出。今のままだと年度末は火の車になるので、、、でも提出すると少しホッとしますね〜

とそんなこんなしていると私の三代前の医学図書館長の生化学T先生が私の部屋に。「こちらC工大名誉教授のYさんですが、Yさんのお父さんが昭和17年にこちらの薬理学教室で博士号をとられたそうなのですが、その時の学位論文を見たいというので、お連れしたんです!」とのこと。あ、やばい、古い本けっこう捨ててしまわなかったかな?、と内心心配になりながら、「了解しました。以前教室に勤務していたSさんに尋ねてもらいます」と返答し、この場はお帰り頂くことに。

え〜、そんな戦前のある訳ないじゃん!、聞いてみても無駄だろうな、でも一応探したという誠意は見せないと、とダメ元で昨年3月まで薬理学におられた元職員の方に聞いてもらうことにしました。

そんな中、先週で帰ったタイからの留学生から託されたというお礼の品を届けに留学生担当の方が私の部屋に来られる。
「今回の滞在に凄く感謝していました。有難うございました。また来年もお願いできますか?」
「前の前の職場のK大学ではタイのMahidol大学の、まあ大学院生ですが、毎年3名受け入れていたんですよ。なのでいつでも大歓迎です」
「タイに行きたい学生が結構いるのですが、向こうから学生さんを受け入れないとこちらからも送れないので、毎年この時期になるのですが、 よろしくお願いします」
短期(3週間)学部留学生の受け入れは教室的には本当に持ち出しで負担が多いとは思いますが、普段英語で話すことのない教室員にとっていい刺激にも成るし、日本にいいイメージを持って帰ってもらいたいですからね〜

で、第4月曜日は基本午後3時半から医学系運営会議。そこでその前にいよいよセレモニーを行うことに。そうこの日で終わりとなるAさんへの記念品と花束を贈呈するのです。

いつも笑顔で教室を明るくしてくれたAさん、私のイメージは「ひまわり」のような方。そんなAさんがご事情で去ることになったと伺った時には正直がっくりしました。昨年1月に赴任し、3ヶ月後には2代前の教授から勤務していたSさんが定年で退職。その後1ヶ月の空白を経て、私たちの部屋にいらして頂いたのが当時薬学部の教室で勤務されていた(その後も併任)Aさんでした。

さよならは別れの言葉じゃなくて
再び会うまでの遠い約束
現在を嘆いても 胸を痛めても
ほんの夢の途中
(来生たかお「夢の途中」)

Aさん、14ヶ月でしたが、お世話になりましたm(_ _)m。本当に有難うございました! 月曜日の帰り道、千葉駅まで歩いて帰ったのですが、橋を渡る際に見かけた光景。都川にも同じピンク色が映ったこの日の千葉の夕焼け、とても美しかったです。

夜は丸亀製麺にて豚しゃぶぶっかけを元気出すべく大盛りで! しかしちょっと私には大盛りは多すぎましたね、、、汗

翌日は火曜日。この日は予定通りw 始発バスに乗り、朝は7時半に大学へ到着。そういえば、昨日は結局米国から電話はなかったな〜、なんて(^^;;

前日に続き、研究助成の申請書を一つ仕上げると朝11時。今日は硬式野球部の学生さんが私を訪ねてくるのです。え、私と硬式野球部?、接点がない? 普通はそうなのですが、前職D医大在籍時に硬式テニス部の部長になったのと同じように、私と硬式野球部を「つなぐ」存在がいたのです。その方の強い推薦を頂き、前部長で今も多大な影響力を持つM名誉教授のお墨付きを経て、臨床でお忙しい部長のS教授を支え、硬式野球部をサポートするため、いよいよ来月から「副部長」を拝命することとなりました。

今日来てくれたのは5年生の二人。クリニカルクラークシップの合間をぬっての来訪、申し訳ないですね。素人の私に何ができる、というわけではないのですが、部活の中でも特に伝統のある硬式野球部に関われることはとても有難いことです!来月からよろしくお願いします!、ですね(^^)

で、何と何と!、昨日依頼のあった戦前の学位論文、あったのです!

「千葉醫科大学 林薬理學教室業績」と書かれた本の中に、ちゃんとあったのです! う〜ん、恐るべし、わが母校。これが伝統の重みか〜、とこれまで古い物を捨てることしか頭になかった私ですが、薬理学教室第六代教授としての私は「伝統を護る」のも仕事なのだ、と初めてその責任の重さに(今更)気がついてしまいました(汗)。

先ほど来てくれた硬式野球部の学生さんから聞いたのですが、これまた伝統ある準硬式野球部は部員が集まらないため昨年度で解散したとのこと。自分は部活に属してはいなかったものの、そういう話を聞くとなんだか寂しくなります。新設医大では感じることのない「重み」を感じた1日でした。

午後は学位審査をすることになった某臨床科の大学院生の2名が挨拶に訪問。夕方はお友達のU教授が部屋に現れ1時間近く雑談。この日も暮れて行きましたw

そしてこの日も帰りは千葉駅まで歩いて行くことに。途中、夕食は久しぶりに「一蘭」へ! 今回は半替え玉とネギの追加。うん、美味しいのですが、やはりラーメン如き?で1,000円かかるのは高い感じがしますね〜

と言った具合に、いろいろ考えることの多い上半期の終わりが刻々と過ぎて行きました、、、

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