入所半年

2020.8.17
母が施設に入って半年。この日は空き待ちだったホームに移動の日。年休をとって朝から1日母のお付き合い。

今年2月下旬、満を辞して?老健に入れた直後、新型コロナの感染拡大により家族の面会が一切中止になってしまい、入所後数回面会しただけで終わりました。

時々偽痛風と思われる症状が出て、その度軽快すること、一度その関節痛治療に内服したNSAIDによると思われる皮疹が出た以外、大きな問題なく過ごしていたようです。

施設からの報告では、夕方になるとエレベーターの前に座って、「家に帰らないといけない」と言っていたとのこと。
入所する前、一人で暮らしていた時には、「息子たちが帰って来ない!」と交番に駆け込み、お巡りさんに「お子さんたちは何歳ですか?」と尋ねられ、「小学生です!」と答えるため、流石に80歳を越えた老婆の子供が小学生ではなかろうと家に戻されていたようですが、私の父ががんであることがわかったのは、私が小六、弟が小四の時。入院中の父の付添を切り上げ、自宅にいる息子たちに食事を作らないといけないから病院から家に戻らねばならな、、、今も母の記憶の中にはその思いが残っているのかもしれません。

最近恒例の早朝の天神様までのウォーキングを終え、体重を測ると66.9 kg!
8/3の健康診断では70.0 kgと人生最高体重でしたので、2週間で無事に?3kg減りましたね。
安心して朝食をとり、母の着替えを詰め込んだスーツケースとその収納に必要なサイドボード代わりに当面使うパイプのラックを解体したものを持って自宅を出発。
バスに揺られて三鷹へ、そして電車で新小岩へ、と向かいました。

レンタカーに乗ってまずは施設へ。入所の時ほど多くはない手続きを済ませて母が登場!
「あら、来てたのね!」と半年近く会っていないことを感じさせない笑顔。しかし施設の職員の方に付き添われて登場した母の歩き方は、老人らしい?よちよち歩き。

半年前まで一人で暮らしていた際は、私の早い歩き方についてくる程、健脚だったのにな、と思いながらも、限られた空間である施設内しか歩かないと、こうなるのだな、と感じました。
一人暮らしの時に、このくらいしか歩けずにいてくれたら、あちこちで保護されることもなく、いただろうにな、と複雑な思いでしたが。

そして施設の方々に見送られて退所。
久しぶりの外、ということで、お昼はファミレスへ。

車に乗る前に「今何月だかわかる?」と聞くと、「5月かしら、6月かしら、6月は私の誕生日ね」というので、「あれ、今何歳になったっけ?」と聞くと、「う〜ん、60歳かな」と返事。
いや、おれ55歳なんだけどなと思い、「え〜、母さん、本当は84歳だよ!」というと、「え、何言ってんの、私が84歳なはずないでしょ! 変なこと言わないでよ」と言うので、まあやはり進行はしてないかもしれませんが、改善はされていないな、と感じます(笑)。

車の中では半年前と同じように、見える看板の字を読み上げる行動。
だからと言って何だ、ということもなくひたすら見える看板を読み上げます。

ファミレスでは、「盛岡冷麺」がメニューにあるため、それを二人で注文。
まあ実際は私と母が知っている本場の?盛岡冷麺とは程遠いものでしたが、「おいしい、おいしい」と言いながら食べてくれます。「おばあちゃん(私の祖母)も今度連れてきたいね!」と母。
そうだよな、祖母が死んだ記憶はもうないんだよな、20年前に死んでいるのがわからないから、本人が60歳と言うのも無理はないか。

お昼を済ませ、ホームへと向かいます。
「着いたよ」「あら、着いたの」、「ここで降りるよ」、「あら、ここで降りるの」
車から出ると、何の疑問ももたずに着いてくる母。
お出迎えのホームの方に挨拶。
「息子がいつもお世話になっております」
施設の方爆笑。
予定の部屋に行くと、そこにはクローゼットとベッドだけが置いてある状態。
「あれ、布団はないんですか?」
「はい、布団は持参なんです」
「あ〜、寝具、ってそう言う意味だったんですね!」

と言うことで、母を車に乗せて、ホームセンターへと向かう。
ここで、寝具とどうせだからとサイドボードも購入。
「布団が必要なんだけど、どれがいいかな」と聞けば、「これなんかどうなの?」と自分の好きそうなものを指定してくるので、まるで私が必要なふりをして購入。自分で選んだか人が選んだかに関係なく、母の好みのものであることが長く使ってもらうためには大事かな、と言うことで(笑)

久しぶりに見るホームセンターでは色々なものに目がいくようで、「あら、これはいいわね!」、「これも綺麗よ!」と子供のようにはしゃぐ母。そりゃそうですよね、半年間外に出ていなかったのだから、、、でも半年間という記憶はないのですがね(苦笑)。

レンタカーを返す時間も迫ってくるので、早々に母をお店から引き剥がしてホームへと戻る。
母の部屋は面会場所のすぐ隣なので、布団にカバーをかけたり、パイプのラックを組み立てている間、母は職員の方に連れられて面会場所の中に鎮座?し、以前からおられる方々との面通し。
布団とラックの準備を終えても、まだ人々の中で入り混じっているので、手だけ振ってお別れ。

自分も帰る、と言い出すかな、と心配でしたがそれもなく、立ってお辞儀をしただけで終わり。
嬉しいような悲しいような、、、
半年の施設入所でかなり集団生活には慣れたのかもしれません。

車を返しにレンタカー屋さんに向かいます。夕方とあって各所で渋滞が見られますが、給油も終え、ギリギリ時間内に返却終了。無事故無違反でした。

この後区役所で手続きをしようと思ったのですが、バスに乗って書類が足りないことに気づきます。
まあ、来ちゃったから仕方ない、ということで区役所まで行って新小岩駅まで歩いて戻ることに。

先日来た時には気づかなかったのですが、区役所近くに神社がありました。
夕方とは言え、まだ明るいので、神社へと向かいます。
「何神社かな?」と思って柱を見ると「香取神社」
なんと!、そうかここ江戸川区は昔で言えば「下総国」、江戸(武蔵国)ではないのですよね!
私が幼少時代を過ごした、つまり母が結婚し、私を産んだ地、千葉市と同じ下総国、その一ノ宮である香取神宮から勧請した神社があるとは!、となんか嬉しくなっている自分がいました。

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おそらく母の人生の最後の時間を過ごすことになるこの街で、どうか母に安らかな時間をお与え下さい。そして(以降自粛、笑)。

境内の上に見られる雲は、、、まあ一応龍神様認定。猛暑日の東京でしたが、日差しは陰っていたこともあり(その後雲間から姿を現しましたが、苦笑)、境内にいる間、ずっと心地よい風に吹かれておりました。

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