2019.12.21土曜日
先週の土曜日は久しぶりに何も予定のない土曜日でしたが、この日は急遽決まった放射線医学教室同門会での特別講演が夕方にあり、朝から三鷹の家を出て、新宿から特急新宿さざなみ3号に乗り、一路千葉に向かいます。
夕方までは何もないので、ここが仕事の稼ぎ時!、という事で、溜まったメールレスを始めたのですが、土曜日でも容赦無くやってくるメール、そして放置状態の机の上の書類などに目をやっていると、すぐに時間が経ってしまって、気が付いた時にはもう15時近く。そうなると講演スライドの最終チェックなどもせねばならず、結局この日も仕事を片付けた感が全くないまま講演会に望むことになりました。
プログラム上、私の特別講演は16:05からということで、30分前の15:35に自室を出て会場に向かいます。そう、この日の同門会会場は医学部本館の第二講義室、同じ建物の3階から1階に下りるだけなので、楽チン!(^^)
2講の前には受付があり、名前を言うと私の講演の座長の先生が来て頂きご挨拶。
「先生のことを勝手ながらググらせて頂き、先生のホームページを見せて頂きました。昨日はお忙しかったようですが、そんな中今日も有難うございます」
「あ、あのページ見て頂けたんですか!、いやにぎやかなですみません」
「演者の紹介は、少しでも先生の講演時間を確保するため無しとさせて頂きますので」
「はい、大丈夫です、いつも自分で経歴を紹介してますから、ご心配なく!」
と言うやりとりをしていると、そこには以前から面識のあるF先生が!
「今日はよろしくお願いします!」
「いえいえ、こちらこそ講演の機会を頂き有難うございます」
と言う事で、電気の落ちた暗い教室内へ(^^)
教授のU先生の前に着席。左隣に見えるのは、大学同期で最近戻ってきたN先生! 症例発表が終わって質問に立っているのは以前から共同研究をさせて頂いている国がんのI先生。会場内のほとんどの先生は面識のない方々なのですが、これだけ知り合いがいるとあまりアウェイという感じがなくなりますね。
休憩を終えて16:10から私の特別講演。臨床の先生方に基礎の内容ですので、出来るだけわかりやすく、を目指しましたが、さてどうですかね?(^^)
私のモットー、時間をオーバーしない、を守り、講演は17時には終了。I先生とN先生からご質問を頂き、質疑応答で5分。まあまあですかね。
講演会終了後、U先生の手配された送迎バスに同乗させて頂き、懇親会会場へと移動します。U先生のご厚意で、懇親会にもご招待を頂きまして(^^)
バスの中でI先生と隣席に。東京ゐのはな会にもよくお越し頂いており、「千葉大愛」の熱い先生と先日のメモリアル委員会ででたお話をお伝えします。
「医学部新棟移転後に旧棟が残るのは、亥鼻キャンパスの広さゆえ。これが都内だと出来ないために、古い病院が解体され、貴重な文化遺産が都内からは殆んど失われてしまったようです」
「であれば尚の事、なんとか千葉大の旧病院は残したいね。」
「はい、戦争へと向かう軍国主義の時代に軍艦を作る予算で教育のために作られた『平和の象徴』でもありますから」
懇親会は10日ぶりの東天紅。ここで放射線医学教室忘年会兼附属病院画像診断センターF特任教授&N特任教授のダブル就任祝賀会。
同門会長である国がんI先生の開会挨拶から始まり、教授のU先生による乾杯発声から会が始まりました。
今年4月から開設された画像診断センター、そのセンター長として赴任されたのがF特任教授。F先生は静岡の沼津市立病院の放射線科部長として長らく勤務しておられ、定年まで残り約5年、何もなければそこで退任を迎えたであろう立場を投げ打って母校のために戻って来られたとのこと。
遡る事4年前、学生時代にはお会いしたことがないにも関わらず、私の教授選のために心を砕いて頂き、お力になって頂いたのがこのF先生。そのF先生とまさかこうして同じ母校の教職員として働く日がくるとは思いませんでした。
そして同期のN先生。実は学生時代、彼が借りていた部屋でしばしばボードゲームをやり、そのまま医師国家試験の勉強会をやって深い?仲でした。
大学を卒業してからは、入局した科が違う事、そしてお互いに卒後3−5年の間に母校を離れたため、その後全く会う事なく20年以上が過ぎていました。
2016年1月に私が母校の教授として戻った際に、就任祝いのお花を送ってくれた一人がN先生。しかし連絡先が不明でお礼の連絡をできずにいたのですが、今年10月1日、F先生から電話があり、「今から部屋に行っていい?」と言われお待ちしているとF先生と一緒に現れたのが少し恰幅の良くなった(笑)同期のN先生でした。
そしてこの日が母校に戻ってお会いする2回目となるN先生。
特任教授就任祝いに来られる先生方のお祝いの言葉は、「昔と変わらず斬り込んでいってね」や「若い頃と同じ勢いで」など。それに対して「いや、もう私も若くはないので」という彼らしくない言葉(笑)
学生時代、そして入局後の彼として私と皆さんの記憶の中にあるのは恐らく彼のイケイケの元気のある姿ですが、久しぶりに交わした彼から出る言葉を聞いていて、彼が母校を3年後からはなれ、国がん東、そして前任地筑波大学で過ごした日々、恐らくアウェイで体験した私がしばしば口にする?SDS(修羅場、土壇場、正念場)が彼を大きく変えたのだろうな、と感じました。
医師人生の最初の3年だけ母校にいて、その後はここまでずっと母校とは縁のなかった所に降って湧いたN先生の母校復帰。そのきっかけの一つは、退任まで5年出会ったのを敢えて蹴って母校の要請に応えた同じ教室の先輩であるF先生からの依頼であったとのこと。
平成を超えて時代は既に令和になった訳ですが、結局母校を支えているのは、母校を愛する個々人の「侠気」(「男気」というと差別発言になりますからね、苦笑)という「昭和」の心かな、と感じました。まあ、こういう時点で我々は古い人間なのだろうなと思いますが、
「人生意気に感ず」
(人間は相手の気性のいさぎよさに感動して力を尽くすのであって、金銭や名誉など私欲のためにするのではない)
という言葉を実践しておられるダブル特任教授の先生方が、母校千葉大にいることを誇りに思うとともに、二人の先生方の今後の活躍に期待したいと思います。
中締めの挨拶があってお招きを頂いた忘年会もお開き。
帰り間際に挨拶に来てくれたのは「杏林安西組」として私が杏林大を去った後も飲み会に来てくれたAくん(先生)。
今既に卒後5年目とか、早いな〜。奥さんの実家のある千葉に来られたとのことですが、まさかここで会う事になるとはお互いに想像出来なかったですね〜
人生って面白いものですね(^^)
都内にご自宅のあるU先生と帰りは千葉から二人で新宿までご一緒しました。
前日に続いて乗車した快速が途中で緊急停止。いやはや、、、
車中でのU先生の幼い頃のやんちゃな話に大爆笑!
最後の講演の日はこうして暮れて行きました。