2021.01.16(土)
朝7時起床。カーテンを開けると東の空に昇ったばかりの太陽が輝いている。空は腫れ。
今日は今年から名前が変わり初めての「共通テスト」初日。
うちの息子の大学入試のスタートです。
とはいえ肝心の本人はまだ就寝中。昨晩は珍しく12時前に寝たはずですが、結局早起きは出来ず、、、ってことは夜中にまた起きていたんだろう!、と思ってしまう。
とりあえず今日の朝はゆっくりでいいのは、国立大を受験しないため。
あくまでも志望校の某大学が共通テスト利用型入試を実施しているので、そのための受験、ということで、初日午前中の社会は受験しないので、まあ寝ていてもOKな訳です。
勿論父親として息子が自分と同じ道に関心を持ち、その道に進んでくれたら嬉しいのですが、私のポリシーは私は私の人生を生きるから、お前はお前の人生を生きろ!、というもの。
当然ですが、私は息子に「医学部に行け」、「医者になれ!」などと言ったことは一度もありません。
とはいえ、私の母や家内の両親は「お父さんの後を継いで医者になるんでしょ?、医学部に行くんでしょ?」と言っているのは知っていましたが(苦笑)、まあそれは本人が決めることだからと、私は息子の進路について、「どこに行け」ということは言わずに来ました。
その結果、息子にとっては「医学部はあくまでも選択肢の一つ」、「医学部に行っても臨床医になる気はない」と言っていると昨年春までに家内から聞いていましたが、昨年夏の時点で「医学部は受験しない」と決めたと聞き、まあ彼の選択だからな、とは思うものの、正直少し残念ではありました。
勿論中学入学以来ここまでの6年、定期試験の成績は底辺を走り、毎年度末には「留年」がチラつく状態で、それを乗り切るのが毎年の目標という息子が、偏差値でも上位につける医学部の入試を突破できる見込みはまずないことも分かってはおりましたが、偏差値が高くても行くんだ、という強い思いを持てるか?、そしてそれに向かう努力ができるか?、をある意味試していたのが本心で、ある時息子から「そこまで頑張らないと行けない大学なら行かない」という言葉を聞いた時に、とりあえず受験では息子に一切期待しないことを心に決めました。
親が子供にある学校に入って欲しいと願うこと、ある職業になって欲しいと願いこと、それは何なんだろうと、自分が子供の頃から思っていました。
私の場合はですが、私の母方の祖父が医者になろうと思い、慶應義塾大学の医学部に入学しながら、結核を患ってしまい退学したために医者になれなかった自分の思いを、その娘たち(私の母や叔母)に託したものの、娘たちが中学生小学生の時に結核で亡くなり潰えた、ということを受け継いだ私の母が、息子である私に母の父、つまり私の祖父がなし得なかった思いを私に託す、ということで私は幼い頃から「医者になる」ことを志すように仕向けられてきました。
またそこには貧しさ故に中学卒業と同時に働いた父が、働きながら県千葉高の夜間部に通い、仕事を終えて上る「一杯坂」を、意気揚々と降りて来る県千葉高の全日制の生徒さんとすれ違う時、自分はああなれなかったが、自分の子供にはあちらの世界に行って欲しいという思いを持ち、それが「お前は県千葉高に行け!」という私への期待としてことある毎に言われることになりました。
父は私が中2の秋に他界しましたので、その期待が叶ったのをこの世で見ることはなかったわけですが、父の希望の高校に入り、そして1浪を経て母の希望の医学部に入った私には、正直それ以上の人生の目標は無かったと言えます。そして親が子供にある学校に入って欲しいと願うこと、ある職業になって欲しいと願いこと、とは親の我儘勝手な思いであり、また自分の自己満足に過ぎず、そんなものを託された子供には大きな迷惑でしかない、とその時から今まで私は思って来てましたので、今回息子が医学部受験をしないと決めたことに対し、気持ち的には残念な部分はあるものの、親や祖父母という肉親の期待に応えない息子を頼もしく思い、「ならば私は自分の人生を生きるからな」と、自分の関心は自分に向けることを今後も続けてゆくことになりました。
そうは言っても、「では何をするのか?」と思うわけですが、彼が中高6年間最も勢力を注いで来たのは「スマゲー」であるのは一貫していますが(涙)、とりあえず学校の科目の中で一番関心が高かったのは「生物」だったこともあり、高校の間読んだり読まなかったりはしていたものの「日経サイエンス」を購読していたように「バイオサイエンス」に関心があるので、「今年は農学部を受ける」ということになり、かつ「無理して勉強しないでも入れそうな大学を受ける」という、大変志の低い理由で志望校を選んだようで、私が期待を持つことは絶対に許さないとでも思っているのか!、と言いたくなるような意識の低さで呆れるばかりです。
さらに家内には上記のような「哲学と宗教全史」なる本を見せ、「もし浪人したら、来年は文学部の哲学科を受ける!」、とか、「大学卒業したら研究者になりたいから大学院にも行くけど、心理学に興味があるので大学院では文学部に行く」と言っているらしく、「何を言っているのか私は全く理解できない。この頭の狂っているのは貴方の遺伝子の影響だから、あとはなんとかしてね、私は知らないから!」と、まだ大学にも入っていないのに家内は既に匙を投げる始末(苦笑)。
まあ、そういう普通なら考えないようなことを考えるあたりは「頼もしい」と私は思うのですが、変わり者を自称する私ですらどうしたものか、と思う息子の言動に、もうお手上げ状態です。
ただ、偏差値の高い割に行ってもそれほどでもない医学部の現状が知られてきたらしく、最近都内の超難関高のトップ層は医学部に行かなくなって来ているとも聞いてますので(実際そこまで高い偏差値が必要な能力を発揮する場はないですからね)、これから益々若い人の人口が減っていって、生きているだけでも貴重になって行くかもしれないことを考えれば、うちの息子のような考え方が、若い時代に能力と努力を無駄使いしなくていいのかな?、ひょっとしたら息子は時代の最先端の生きたかをしているのかもしれない、なんて妙に感心してしまいます。いや、親がそんなんでは行けないと思うのですが、、、。実際息子の生き方は文科省が考える「文理融合」という流れに沿ったものではありますがね(^_-)
(息子の生き方が結果人生でどう影響するのか?、の結論を見る前に私は死んでる訳ですから、まあどうでもいいか、と、苦笑)
ということで、期待も何もない親と、まるっきり緊張感のない受験生の息子。
とは言え、一定の点数を取らねばその予定している大学ですら入れない訳ですから、とりあえず息子の安易な思い出はあってもそれが叶ってもらうことを期待して(小さな期待)、この日は共通テストの受験会場まで、とりあえず私が息子と一緒に行くことにしました。
朝11時に家を出て、近くのバス停から仙川行きバスに乗車。
仙川駅北口で降りて、商店街に沿って進み、京王線を越え、さらに桐朋音大まで進む。
緊急事態宣言が本当に出ているのだろうか?、と思うほど前も後ろも人がいる混雑の商店街。
これじゃ減りませんよ、感染者!
そして仙川駅入口バス停で11:35発の成城学園前駅行きのバスを待つ。
ここに立つと6年前の中学受験を思い出します。
1月に塾に勧められお試し受験で練習がてら埼玉県の学校を受けることにしましたが、どうせ受からないだろうと思って受けた開智の先端クラスになぜか受かってしまい、本人はもう大盛り上がり!
「これで僕受かるもん!」という言葉とともに、それまでの糸が切れたようになってしまい、本命である武蔵中学受験までの2週間、明らかに身が入らなくなりました。
そして案の定第一志望は不合格。第二志望と第三志望で二股をかけるのは危険と判断し、4回受験出来て、4回全部受験すると最終回は10点のボーナスがつく!、ということで、結局進学クラスを目指して4回受験するも、わずかに1回一般クラスでの合格、ということで今の高校に入ったのでした。
あの中学受験の日も、こうやってバスを乗り継いで仙川から成城学園前まで連れてきたんだよな。あの時はまだ小さくて背も低かったが、今高三になりほぼ私と身長も同じになって、この6年間、一緒に入学したのに不登校になったり、中学でやめて他の高校に移ったりする同級生がいる中、毎日朝寝坊はしていたものの、不登校になることもなく、風邪一つ引かずに中学高校と6年間通い続けたんだな、と思うと無口で無愛想な息子ではありますが、「よく6年間休まずに通ったな!、よくやった」と声をかけました。予想通り低い声で「あー」と一言反応する息子。まあ、それで十分です(笑)
バスは時間通りに発車。この仙川ー成城学園前のバス路線は私が「ジジバババス」と言うくらい、乗客は超高齢化しており、転倒防止のため?とにかくジジババさんらがちゃんと席に着くまでバスは動き出しません。なので、乗り降りでやたらと時間がかかるのです。
そんな中おそらく普段通りに息子は車内で爆睡!
おいおい、これから戦いに向かうのに、爆睡かよ!(苦笑)、度胸と言うのか、単なる「バカ」なのか、、、
程なく成城学園前駅に到着。通りに出るとここから一直線上に富士山が見えるのですが、時間もないので小田急線の改札口へ。息子のPASMOに1,000円だけチャージして、地下ホームに降ります。
1,000円だけ!、と言うと、「なんとケチな!」と思われるかと思いますが、余計なお金を入れると、乗車券以外の余計なものを必ず買うので、そうさせないためです(苦笑)
急行と各停の新宿行きがホームの両側に止まっていたので、「どっちで行く?」と息子に聞くと、「空いてるから各停でいい」と言うので、まあ3駅5分ですので、同じ11:50発の各停を選び、ガラガラの車両で密を避けて経堂へと向かいます。
経堂で降りると11:55。集合時間は12:45と言うことで、私はギリギリが好きなのですが、息子は「30分前には行く!」と言うので、仕方なくそれに合わせて12:15着を想定し、ここまで来ました。経堂駅から会場である農大までは「農大通り」をそのまま進めばいいのですが、これまた通りは人だらけ! おいおい、これって全然外出自粛してないじゃん!
と、再び呆れることに。
ここに来て、どうも同じく共通テスト受験者らしい若者の姿が目につくようになります。
駅から農大正門まで歩いて15分。2年前に家族で農大のオープンキャンパスに来ていたので、息子もなんとなく覚えているらしく。「帰りは大丈夫だよな?」「うん」とのこと。
息子の学校は世田谷区にあるので、同じ高校の同級生も沢山ここ同じ農大が受験場と言う事で、これがまた緊張感を失わせますね。
そして12:10には正門到着。ここから先には受験生しか進めませんので、ここでお別れ。
「受験票あるか?」「おん」
そのままこちらを振り返ることもなく先に進む息子。とりあえず終わって無事に帰宅してくれればそれでよし。なんと言う低い期待(苦笑)、まあその当たり前のことが当たり前に起こればそれで十分、それがこの新型コロナ感染症から学んだことですからね。
息子と別れ、私は帰路に向かいます。14:30からは関東腎研究会幹事会があるので、それに間に合うようにと家路に向かいます。
農大前から歩いて千歳船橋駅へと向かいます。17分と出てますが、千歳船橋駅からは千歳烏山駅までバスに乗るので、バス停は駅の先ということで約20分の世田谷桜丘散歩。この日は天気も良く、最高気温は17度で、歩くと汗が出てきます。
何かないかな〜、と思って歩いていると、期待通り?神社が!
稲荷森稲荷神社、、、どの程度のご由緒があるのかはわかりませんが、天気もよく青空のしただと鳥居もお社も映えますね!
無駄とは知りながらも、息子の健闘を祈願します。
千歳船橋駅からは京王バスで千歳烏山駅へと向かいます。今日は最初に小田急バスに乗る際に、1日乗車券(600円)を依頼したので、小田急バスに3回乗るともとが取れる(220円×3=660円なり!)のですが、京王バスは対象外なので、運賃210円は別払いになりました。何だか悔しい(笑)
そろそろ午後1時になるので、お腹も空いてきました。では千歳烏山駅周辺で何か食べようか、と思い、降りたバス停近くに「松の家」があるのを見て、「そうだ、今日は共通テスト!、ここはカツ丼でしょ!」とは思ったものの、松の家では何かな、という事で別な店を探して歩く。
トンカツさぼてんはありましたがここは持ち帰りのみ。う〜ん、何かないかなと歩いていて見かけた看板に「トンカツ定食」の文字が。これでしょう!、という事で、この日初めて「黒ぶたちんとん」という店に入りました。
おろしポン酢のトンカツ定食に、週末ですからランチビールを!
今日のオンライン研究会は、幹事会も出るだけ、研究会でも座長も演者でもないので聞くだけ!、顔が赤くなってもオッケーでしょう!、という事で、昼から生ビール(^^)
これがいいのかわかりませんが、お客さんはあまりおられず席を一つ開けての着席。おまけに私の後ろ、窓が開いていて換気もオーケー! 安心してトンカツとビールを楽しみました(^^)
しかし、受験生でもない私が何でトンカツ定食ですか?、というツッコミがきそうですが、
1、息子の代わりです!
2、実はこれからある戦いが、、、
の2つの理由で、私がトンカツを頂きました(笑)
食事を終えると、千歳烏山駅から吉祥寺行きバスに乗り帰宅。
ZOOMの接続で手間取り、少し遅れましたが、14:30からの関東腎研究会幹事会には無事参加!
そしてこの後は15時から研究会。普段は4名の演者ですが、今回は完全オンライン開催という事で、演者は3名、時間は15時から17時の2時間となりました。
今日の講演はどれも楽しみな内容ですが、最近毎月定例オンライン飲み会をやっている仲間の国福大K先生が2番目の演者で登場!
とはいえ、前の演題が遅れたため、K先生には大変申し訳ないのですが、「圧利尿」というかなり頭をフル回転させねばならないテーマに対し、割り当てられた時間は10分!
え、それって、何気に無理でしょ!
恥ずかしながら、私は岸先生のお話について行くだけで精一杯でした。
予定の5時で研究会は終了。風呂に入って、ウダウダしていると、息子も無事に帰宅!
まあ、点数がどうであれ、今日も家族3人無事に帰ってきた、というだけでありがたいもの。
これと言ったことをしていないにも関わらず、何か疲れた1日。
明日は同じ会場ですから、息子に一人で行ってもらいましょう!