2021.11.3(水)
文化の日の祝日のこの日、今月早々に盛岡へ!
朝7時半東京発の新幹線はやぶさに乗って向かいます!
この日の天気も晴れ!
あっと言う間に白河の関を超え、みちのくに入ります。
盛岡到着は9:40、早いですよね~、片道2時間。
駅前広場の木々は着実に紅葉しています。
まずは叔母の家へ。荷物を置いて早速1階のお店へ。
月末の精算を済ませると、叔母がお世話になっているという町内会の3軒を訪問。
本人がもう一人で暮らせないと言うので、埼玉の施設に入所させて1ヶ月半様子を見てみたが、入所時よりは歩けるようになったものの、まだ一人暮らしを出来る状況ではないので、東京の施設に移して、あと3ヶ月から半年、もう少しリハビリを続けたい。本人は帰りたいと言っているのだが、、、
と伝えると、「無理して戻って来ないで、甥っ子さんの関係の施設にずっといた方がいい」と言うのが、共通した反応(苦笑)
「階段を降りて買い物行くのも大変そう」「一緒にワクチン接種に行こう、と言っても私はいいと言っていかなくて」「自分は必要があればこちらに来るのに、昼間何度尋ねても出てこなくて、いるんだかいないんだか」
明らかに近所の人には「心配で言うこと聞かない困った老人」だったことがわかります(汗)
母の場合は何度も引っ越しして近所付き合いが希薄だったため、周りに面倒をかけていたはずですが、誰とコンタクトしていたかわからないため、その状況把握が難しかったのですが、叔母の場合はもう2-30年続く近所付き合いがあるため、一人暮らしの様子が見えてきますね。
思えば私の祖母は90歳で亡くなったのですが、母も叔母もそれくらいは生きるだろうと思っていたものの、母は84歳で入所、叔母も87歳で入所。その違いは、祖母にはそばにいてくれる娘二人(叔母と母)がいて一人暮らしではなかったが、母と叔母は一人暮らしだった、と言うことかな、と感じます。
母と叔母、祖母譲りの激しい性格は共通ですが(汗)、妹である母が攻撃的なため、姉である叔母がそれをもう受け止めきれず、最後は絶好状態になり、母と叔母の繋がりが絶たれたことも、孤独な一人暮らし至った、と言う流れかなとレトロスペクティブに思い至る気がします。
叔母のマンションの3階には祖母の時代には人を住まわせていた4つの部屋があり、今は叔母の服がどの部屋も溢れんばかりですが、その人部屋を借りて盛岡で暮らしたいと言っていた母、しかし度重なる攻撃(電話で昔のことを罵る母)に耐えかね、母との接触を拒否した叔母。
二人一緒に暮らしていたら、お互いが刺激を受けて、もう少し長く健康的な暮らしができていたんじゃないかな、と思わないではいられず、とても残念に感じます。
どこかで誰かが「生まれついた性格が運命」と言っていましたが、母も叔母も揃って頑固者なのですが(汗)、その頑固さゆえに、女一人でここまでなんとか暮らして来たものの、その頑固さゆえに周囲から人が離れ、孤独に陥り、最後は周囲のサポートを失って行く様を見ると、老いて行く自分の現状を受け入れて、適度に人の力を借りながら生きる、と言う適応力が人生100年時代、益々大事になって来るような気がします。
やることはまだありますが、ここまでで盛岡に来てから既に1時間半が経過、朝も早かったためお腹も空き、お昼にすることに。
今回は8月上旬に続いて家内と来たので、家内も好きなぴょんぴょん舎の盛岡冷麺を食べに駅前に向かいます。
休日とあって(当然ですが)平日ランチは無いので、焼肉冷麺セットを注文。そして昼からグラスビール! あ〜、このお店も、昔は母や叔母と一緒に来ていたのですがね〜
昼食を終えると、郵便局に寄った後、道端の木々の紅葉に誘われ?北上川にかかる開運橋へ!
この日も岩手山は麓だけ見えるものの山頂は見ることが出来ません。
なかなかその美しい全貌を見せてはくれないですね〜
北上川の河川敷は「木伏(きっぷし)」と言う、と言うのは昔祖母から聞いた気がしますが、その木伏緑地に10のショップと水辺、原っぱ、ウッドデッキのフリースペースが2019年に整備されたそうで、休日のお昼、まだ日差しも暖かい日曜日の午後、紅葉も綺麗でいい感じでした。
次はここでランチでもしたいものですね!
そして旭橋を過ぎて、お稲荷さんへ。この日は休日とあってビル診ならぬビル神は入稿不可のため、離れて参拝。このビルの紅葉?がきれいでした。
最後は叔母の家近くのドラッグストアに立ち寄り、叔母の家特有の臭いを消すための消臭剤を購入。これで母の家の臭いも解消しましたので!
さあお昼の後は仕事?再開。
まずは叔母が気にしていた1階のお店の裏にあるスペース。ここは昔々スナックが入っていたのですが、もう10年以上前に退去し空き家になっている場所。
シャッターを上げてドアを開けると、、、漏れ出てくるカビの臭い!、これはひどい
一体どのくらい締め切ったままだったのだろうか?、と言う感じで息を凝らして室内に突入し、1つしかない窓を開けて換気に努めます。
驚いたのはここにも至る所に服がかかっていて、、、まだ生きていた時に祖母は叔母を評して「片付けができない」と言っていた記憶がありますが、まさにそれが仇になった感じです。
ここもどうしようもないですね、テナントに貸し出すのももう無理でしょうね。
それが終わると、叔母が暮らしていたリビングの隣の開かずの間である居間を探索。
あるはあるは服が至る所にびっしり、それも脱ぎかけのまま(汗)
3ヶ月〜半年後にはできれば老人ホームに入れたいので、その時に暮らすための日常の服をこれを機会に準備するのも今回の目的、春先よりも少し寒い時期であることを予想し、いくつか選んで、叔母の持つスーツケースに入れて今回持ち帰ります。
そして懸案の3階の4部屋に散らばった洋服。とにかく一度どこかの部屋に服を集めようと思うも、少し服を動かすと見慣れない箱や隠れたタンスが見つかったりと発見の連続!(苦笑)
特に、園長をやっていた幼稚園が閉園した際に、ひきとたた幼児用の絵本がたくさん出てきます。
どれも保存状態が良いので、BOOK OFFなどには売らずに、こちら三鷹でうちの息子が通っていた幼稚園のバザーにでも出して、誰かに読んでもらう方が、引き取った叔母の意思にかなうかな、と考え後日千葉にある私の母の家に宅急便で送るようにしたいと思いました。
しかし不謹慎な言い方ですが、亡くなってからこの現状を知ったとすると、決められた期限までに退去を要求された場合、整理業者に任せるしか手がなく、故人の思いの詰まったものの殆どがそのまま処分せざるを得ませんが、母も叔母も幸い?本人が存命中に家を離れてくれたお陰で、知らずに処分するには勿体ないものをいくつも発見できるので、まあこれも悪くはないかな、と(笑)
職場でもそろそろ年末調整の時期ですが、来年の確定申告に備え、叔母の家の申告書の控えを見つけたいと言う思いもあって今回盛岡にきましたが、お陰様で昔の書類からまとめて保管された段ボールを発見!これで叔母の代わりの確定申告、なんとか出来そうです。
とこんなことをやっているともう3時を過ぎました。帰りの新幹線は盛岡15:50発。
そろそろ叔母の家を後にすることに。
帰りの新幹線のお供は地ビール「いい日旅立ち」。ボケた母が好きだった歌の1つですね。
酔って打とうとしている間に東京へ。
両親がいないのに、何も知らずに午後まで寝ていた馬鹿息子にお弁当を買って帰宅。
せっかくの祝日、紅葉の盛岡観光もせず、平日並みに活動して疲れた祝日の1日でした(汗)。