2024.5.5(日)
こどもの日の祝日のこの日は、前日に今年初の山さんぽに出かけた
ため、(もう歳ですから、苦笑)大事をとって?体を休める一日にしました。
で、これも異能塾に書いた通りですが、
「実際には、家のパソコンのフォルダの整理など、出かけているとなかなか出来ない地道な作業を珍しく自宅でしておりました。」
で家にいて、それ以外には普段出来ない片付けなどもしておりました。
そんな時に出てきたのが、なんと以下の3点
「FC町田ゼルビア 2009 JFL昇格記念」と書かれたクリアファイル
FC MACHIDA ZELVIA YEAR BOOK 2009
FC町田ゼルビアー20年の軌跡ー1989~2009、でした。
2007年、2008年、関東社会人サッカー1部リーグで優勝し、全国地域リーグ決勝大会(現・全国地域サッカーチャンピオンズリーグ=地域CL)に臨み、2008年に同大会で優勝し、2009年からJFLに参加した時のものです。
どうして持っているのか?、思い出せないのですが(苦笑)、人から頂いたものに変わりありません。実は2001年から2011年まで、三鷹のK林大にいて、助手から2004年に学内講師に上がり、2006年に講師に昇任、2008年には准教授に昇任し、さあ次はいよいよ教授選だ!、と個人的にも「燃えていた」時期で、私と同期するように?、FC町田ゼルビアも東京都1部から2006年に関東2部、2007年に関東1部、そして2009年にJFLとなり、Jリーグ(当時はJ2)まであと一歩!、と私と同じような境遇でした(笑)。
そんな自分のことで精一杯の時期でしたから、JFLに昇格しても2009年町田の試合を見たのは、古い手帳を見ると8月16日(日)のホーム野津田陸上競技場での三菱水島FC戦だったようです(って、本当に記憶が無くて、、、)。この時の町田の監督は戸塚哲也氏でした。
2010年の手帳が無くて確認出来ないのですが、この年は町田に行った記憶はもともとありません(笑)。実はこの年、D医大の教授選があることが7月にわかり、応募書類の作成や、有力者への挨拶回りなどをしていたので、きっとサッカーどころで花kったのだと思います。
そして町田にとってJFL3年目となる2011年、あの東日本大震災の年ですが、4月から私は単身赴任で栃木に住むことになりました。D医大で教授になったからですが、片付けをやって出てきたのが日本フットボールリーグ(JFL)のガイドブック2011とガイドブック2013です。
まずはガイドブック2011ですが、この時の監督は現在鹿島アントラーズ監督のランコ・ポポヴィッチ氏。ガイドブックに挟まっていたのは栃木UVA FCのマッチデープログラム!
でして、どうやらアウェイの栃木市総合運動公園陸上競技場での4/3(日)の試合を観戦していたようです。この年は記念すべき年になるのですが、J2昇格圏内の3位でシーズンを終え、また、町田市立陸上競技場の改修を町田市が2012年までに完了させることとなり、町田のJリーグ加盟が承認され、2012年シーズンからのJ2参入が決定、JFLは3年で卒業、、、のはずだったのでした(苦笑)。
2012年はJ2参戦していましたが、私の手帳では試合観戦の記録無し。
ご存知?の通り、J2で最下位となり、「初めてJ2から降格したチーム」という有難くないレッテルを貼られることとなったのでした。
2013年、JFLに戻った町田。この時の監督は元鹿島アントラーズ選手の秋田豊氏。ガイドブックに挟まっていたのはまたしても栃木UVA FCのマッチデープログラムで
でして、どうやらアウェイの栃木市総合運動公園陸上競技場での3/24(日)の試合を観戦していたようです。この年はリーグ戦は4位に終わったものの、2014年のJ3リーグ参加が承認され、(J3ではありましたが)無事にJリーグに復帰を果たしたのでした。
結局町田がJFLにいたのは2009-2011の3年間+2013年の1年の合計4年間。
ゼルビア35年の歴史の中の4年間ですから、今となっては一瞬の出来事のように思えますね。