2024.7.31(水)
この日は”MACHIDA City Cup 2024”として開催されるFC町田ゼルビア初めての国際親善試合「スタッド・ランス戦」。
普段のリーグ戦ですら、J2時代よりも高い値段に驚いているのに、さらに金儲け主義満開のバカ高いチケット代に、「こんなもの行くか!」と当初思っていたのですが、J1リーグ中断期間のあまりの長さに、「町田欠乏症」が出現してしまい(苦笑)、またチケットぴあやローチケでは「売り切れ」とされていたゴール裏チケットが、ticket board では購入可能!、と言うのを見て、まあ5,500円で行けるならいいかと、欠乏症ゆえの甘い判断?で、ついポチッと押してしまいました(汗)
いや、文句ばかり書きましたが、あの町田が海外クラブと試合をする日が来るなんて夢のようです。
と言うこの記念すべき日、仕事を早めに切り上げて、夜7時からの試合の観戦に向かいます!
職場から野津田に向かう際は、最寄駅である小田急線鶴川駅に行き、そこからシャトルバスに乗るのですが、今回は久しぶりに、相模原市民として1998年にゼルビアの試合を観に行ったルートを敢えて辿ってみることにしました。
新宿から快速急行に乗り久しぶりにやってきた町田駅。改札を出て、JR町田駅への連絡通路までわざわざ行って、ゼルビアが生活に溶け込んでいる様子を探します。
あったあった!、J1昇格した訳ですし、こう言うのが無いとね!
さあ、駅で通行人の行き交う場所に「ゼルビア」を発見し満足した私は、駅の北?にある旧町田街道の神奈中バスの停留所へと向かいます。相模原に住んでいた時は鶴川まで行くと言うのは遠回りに思えて、この薬師池公園経由の野津田車庫行きバスにお世話になっておりました。
「町田相模原の住民なら車で移動がデフォルトでは?」と思われるかもしれません。はい、その通りで、私も車を持っておりましたが、不便なんですよ、車は! 帰りに飲めない(笑)のが一番大きいのですが、これから目指すゼルビアの「原点」に行くのは車を野津田公園駐車場に停めて行くのも不便な場所だったのです!
町田駅周辺の渋滞をやっと抜けた神奈中バスは、菅原神社を越えると鎌倉街道を北上し、本町田を抜けて薬師池公園、町田リス園と言う懐かしい場所を通って北上します。そしてあの東京湾に注ぐ鶴見川を越えた先の新袋橋の交差点を左折し、芝溝街道を西に進むと神奈中野津田営業所、つまりバスの終点「野津田車庫」に到着します。
芝溝街道を東に少し戻ると町田/鶴川方面行きバス停があり、その交差点を左に曲がると、いよいよ野津田へと向かう道になります。今では「野津田GIONスタジアムまであと780m」と書いてあるので、迷うことないですよね?(えっ、迷います?、笑)
緩やかな上り坂を進むとそこには「鎌倉古道石碑」があり、実はここが武蔵国から鎌倉へと向かう重要な交通路であったことがわかります。さらに進むと、舗装された道路が急坂を右に向かって登って行くのから別れて、歩道は陽の陰った林の中へと続いていきます。初めて来た時には「えっ、こんなと登って行くの?、大丈夫?」と思いましたが、はい、この先に今で言う「天空の城」があるのです!(笑)
数分も歩けばすぐに林を抜け出して原っぱに出ます。そして野津田競技場へはここで左に曲がるのが正しい道。これを私は右手に進むのです。そう、この原っぱの先がゼルビアの原点と言える「上の原グランド」なのです。ちなみに鎌倉古道はこの原っぱをまっすぐに貫いて行きますが、自然観察コースの一部になっていました(今もそう?)。
右手に私有地の上の原ススキ草地を見ながらしばらく歩くと、今や柵に囲まれた芝の「上の原グランド」が現れます。そう、忘れもしない1998年9月20日(日)、私が初めてFC町田ゼルビアと出会った場所がここです。その時は対府中水元クラブ(確か後に?ミスターフットサルといわれる上村信之介さんがいたかと思います)との対戦で、0-1で負けた記憶があります(汗)。
その当時は柵なんて無く、芝などでは無く土のグランド、スタンドも無いただの土手で、草むらに腰掛けて90分試合を観たのでした。写真はその当時を知る数少ない仲間、湘南サポのM尾さん提供です!
東京都社会人サッカー1部と言って侮るなかれ! 私の心を捉えたのは帝京高校出身の「町田のバッジョ」こと9番「木町孝選手」。ゼルビアのM屋前監督が「自分が育てた最高傑作の一人」と語られたその選手は、キレのあるドリブルで相手の中を切り裂いてゴールへと迫るその動きにその後も魅了されることになります。
この辺りの話は2021年に「久しぶりのサッカーJ2『FC町田』観戦」
としてここ異能塾に書いていましたですね(苦笑)
で、なぜ車ではないのか?の理由ですが、今はこの上の原グランドの先に、野球場の裏手を通ってつながる駐車場があるのですが、25年前の1999年にはそんなものはなかったのですよ!
なので上の原グランドに来るには野津田競技場の近くの駐車場から歩かねばならなかったので、それはそれで不便なのですよね。
まあ結局試合見た後は家内と二人で相模大野や小田急相模原で飲んで帰っていましたから、車という線はありませんでした(笑)。
ちなみにFC町田が「ゼルビア」を名乗るのはこの年1998年シーズンからなのですが、クラブの歴史の中ではゼルビアになって第一号サポーターで、チーム関係者以外からスタッフ(都1部運営委員)になったの私が最初です。で、このゼルビアを名乗るのには裏話があることは、先述の2021年の異能塾投稿でほのめかしておりましたが、これは一部の人しか知らない話?ではないかと思いますからここでこそっとご紹介!(笑)
ゼルビアの由来は
https://www.jleague.jp/club/machida/#profile
にもある通り、町田市の樹であるケヤキの英語名ZELKOVA(ゼルコヴァ)と町田市の花であるSALVIA(サルビア)を合わせた造語で、元町田サッカー協会理事長のS田貞夫先生(故人)が命名されたのですが、クラブ名を「FC町田」から「FC町田ゼルビア」へ変更されたのは1998年4月です。
それまでは今FC東京が「エフトー」と言われるように、FC町田は「エフマチ」とサッカー関係者の間では呼ばれていました。
で、そもそもこの「ゼルビア」はS田先生がエフマチの愛称として造られたのですが、「うちのユニフォームの前面には何もないから、これを付けたらいいのではないか?」と提案された、当時チームを見ていたK田氏が、言われるがままに(らしいです、笑)、スポーツ用品店勤務だった仕事の傍らゼッケンをアイロンで一つ一つつけて行ったそうです。もちろん手弁当で!
東京都社会人リーグの開幕は3月ですから、名称変更登録は普通その前の2月以前なのですが、リーグ戦開始時は胸に”Zelvia”のゼッケンをつけて何の指摘もなく試合も行われていました。
4月に入り、たまたまリーグ戦を見に来た当時東京都社会人サッカー連盟委員長のK保氏(故人)が練習中の町田の選手たちの姿を見て、K田氏が呼ばれます。
「町田のユニフォームのあの胸は何だ? あれはスポンサーだろ。胸にスポンサーの名前を貼るのはスポンサー料が必要だ」
「いや、あれはスポンサーではなく単なる愛称ですよ。日○ビルさんだって日○ビルのチーム名が入っているじゃないですか?」
「愛称と言ってもチーム名は『FC町田』で『ゼルビア』は登録名に入っていないじゃないか。しかも日○ビルはちゃんとスポンサー料払っているんだ。今からスポンサー料を払うか、あるいは全てとってしまうかしなければ失格として試合できなくなるぞ」
「そんなこと言われても」
「いい方法があるから一つ教えてやる。愛称と言うなら今からチーム名称を変更すればいい。『FC町田ゼルビア』と言うことであれば、チーム名だから胸に入れていても問題無い」
「わかりましたではそうします」
「はい」と掌を差し出すK委員長
「えっ、何すか?」
「チーム名の変更登録料、1万円」
「え~、金が必要なんですか?」
「当たり前だろ! 安く済んでいいじゃ無いか」
「う〜、わかりました」
と言うことで、自分が人数分手弁当で貼り付けたゼッケンを試合直前に剥がすのも手間だし、かと言ってスポンサー料(推定十万円?)は払えないし、財布には1万円も無いので払いたくない(笑)、、、と言うことで、悩んだ末仕方なく同じ町田運営委員のH野さんに「1万円貸して下さい」と言って、K保委員長に支払うことで失格を回避し、シーズン途中の4月と言う不自然な時期かですが、この時から「FC町田ゼルビア」が誕生したのでした。
という名称誕生の都市伝説、信じて頂けますでしょうか?(笑)
余談が長くなりました。さあ、上の原の今を確認した後は、ここからでも遠かった野津田陸上競技場への道を進みます。
距離もそうなのですが、1998年から1999年とわずか一年だけチームに関わった者にとって、野津田で試合ができるだけでそれはとても特別なことでした。
基本上の原グランドがホームグランドで、当時東京都1部リーグの町田が野津田で試合をできるのは年に1回だけだったのです。Jリーグになって今では当然のごとく野津田を使っていますが、Jの下の、JFLの下の、関東リーグの下の、東京都リーグでは全然使わせてもらえないのですよ。
なので、都1部のFC町田ゼルビアが野津田で試合を出来る!、ってことは特別なこと、つまり遠い遠い世界の話だったのです。
上の原グランドを眺めながら左手に進むと登り坂になります。今は少し明るくなりましたが、以前は本当に鬱蒼とした林の中を歩くので、「本当にこの先に陸上競技場があるのか?」と大いに疑問を持つ訳ですが(笑)、怖さに負けて引き返さない勇気を持った人は、峠をこえた先の陸上競技場のライトスタンドを眺める(まさに遠くにあるのを眺める)ことができるのです。
で、峠をこえると、緑の先にGIONスタジアムが見えてきます! あ〜、あそこだ〜!、と初めて来た時は感動したものです。あそこでいつか、町田の試合が普通にできる時が来るといいな、と。
この日、私の後から同じ道を通って陸上競技場へと向かう人を何人も見かけました。特にランスのユニフォームに身を包んだ、若い女性が多いですね! いや~、海外サッカー、人気あるのですね~
さあ、駐車場までたどり着くと、道を渡って最後の階段を登ります。
登り切ったところが「天空の城」。いや~、素晴らしいネーミングですよね! 一度は見てみたいと思いますよね!、って町田のサポーター以外の人には「2度と来たくない」と思われてしまうかもしれませんが(汗)
登った先では、あんなバカ高い料金設定でもかなりの人が来ています。町田半分、ランス半分って感じですかね。町田の客層は(失礼ですが)地元団体の関係者の家族、的な感じの年配者が多い印象(個人の感想です)なので、若い世代、特に女性の多いレプリカを着たランスの客層は驚きですね。
しかし最初に驚いたのが、ランスのグッズショップに並ぶ行列の長さ! 恐らくショップスペースの混雑を避けるためでしょうが、いや、これほどまでの長蛇の列を野津田で見たことがありません!
海外サッカーファンって多いんですね。
この日は少し早く着いたので、久しぶりに野津田のスタグルを堪能。生ビールとともにケバブサンドとポテトを頂きました。
この日のゴール裏席は自由席なので、少しは早く行かないと、ゴール裏サポーターの近くになって90分立ちっぱなしになるのは流石に還暦間近の老人にはキツいので、立見席を避けてまだ席の空いていたゴール裏エンド近くに陣取りました。観戦友達のゼルビー君と記念撮影!
試合開始の19時までまだ1時間以上。急に怪しくなる雲行き。そしてついに雨がぱらついてきます。
Yahoo天気の雨雲レーダーを見ると、何と間も無く強い雨雲が到来し、しばらく雨が続くと言う予報!
これはまずい、と急ぎ「武器・防具屋(グッズショップ)」に駆け込み、ポンチョを購入しました!
この判断は正しく、試合前の練習を開始していた両チームでしたが、この後雨は大粒となり、練習は中断。そして屋根の無いゴール裏の我々は激しい雨に打たれ、まさに「滝行」と言えるものでした(苦笑)。ピッチはほとんど田んぼ状態。
かなり長い時間雨に打たれたのですが、次第に雨は止み、町田のスタッフの方々でしょうか?、トンボを手に田んぼ状態になったピッチから人手で水を掃き出す作業を何度も何度も繰り返します。
え〜、こんな人海戦術でピッチ状態が改善するの?、と思っていると、これが結構水を除去することに成功しています!
ゴール裏サポーターからの応援の声が飛び、ついに「19:30試合開始」の表示が!
水の掃き出しの横で、選手の練習が再開しています!
雨がやんだスタジアムの外には晴れ間が出て、夕焼けが! 美しいですね。
さあ、試合前セレモニーの始まり!
ファイヤーの演出や、ランスの赤と町田の青のスモーク?がバックスタンド前に吹き上がります!
さあ、いよいよ試合の始まりです!
で、肝心の試合ですが、私のような素人の記載よりも色々な方が既に書いておられますので、そちらを参照して頂くこととして、新加入の杉岡選手のサイドが何度か突破され、伊東選手に暴れられてしまった感じで、それだけでなく、なかなか攻撃の形も見えない感じで、横浜FM線での敗北を払拭できるのかな?、と不安を感じました(で、結局中断再開後1分1敗と調子は今ひとつに感じますが)。
前半30分ごろにランスに1点取られます。それまで何とか抑えていたので悔やまれますが、黒田監督のモットーである「一本中の一本」を決められてしまうあたりに、町田の弱さ、相手の強さを感じましたね。
平日の19時試合開始は終了が21時。この日は開始が30分遅れたため終了は21時半。ここから帰るのは翌日にも影響するので、大変残念ですが、この日は前半だけで泣く泣く野津田を離れることに。
いつもの?サンシティ町田を20:46に出る多摩センター駅行きバスに乗り帰宅。通常5分、ひどい時は10分以上遅れるこのバスですが、この日は珍しく1分遅れ!
お陰様で多摩センターからは早めの電車に乗ることが出来、調布まで戻ることが出来ました。