7/3(月)、この日の朝は予定した9時からのミーティングを午後2時に変えたため、ゆっくりと家を出る。しかし、実は先月で退職をされたAさんに変わり、Kさんが一人で出勤して来る最初の日。あっ、しまった!、まあ仕事はご存知のはずだから、まあいいか。慌てない慌てない、、、(^^;;
ということで普段より遅い朝10時過ぎにに大学到着。さあ、ここから頑張ります!
と思ったら、最後に残った科研費「挑戦的研究(萌芽)」も不採択。新学術も予想通り不採択。これで今年は科研費4連敗。とても強がりを言える状況ではありませんね、、、まあそれでも頑張るしかないですがね(T_T)
今月24日月曜日に開催するMCRC分子シグナル「生理と創薬」第2回亥鼻勉強会のお知らせを、掲示ボードに掲載してもらう手続きを依頼し、本丸のMCRC web siteへの掲載も依頼。土曜日に知り合いになった医学部3年N君から8月に日本にやってくる台湾の医学生10名の薬理学教室訪問日程に関する調整、などなどを片付けたら、午後2時からはミーティングに続いて週末の東京医科歯科大学で開催される第136回日本薬理学会関東部会で発表する大学院生のリハーサルを実施。
そんなこんなをしていたらもう夕方。この日は16:30から学部教育委員会の日。「5時までには終えます!」と最初に宣言されたO委員長だったが、案の定?5時までに終わる気配無し。午後5時からは某臨床科の大学院生の学位審査があるため、一度退席し、学位審査に参加。順調に30分で終わったため、再び委員会に戻ると、既に学部教育委員会は終わり、次のカリキュラム統合ワーキンググループの会議になっている。実はこちらもメンバーなので、遅れて参加。本当はさらに5時から裏で「オープンイノベーションセミナー」があったのですが、さすがにそれは今さら出てもな、ということでこのままWGに参加。これが長くて午後7時までかかる。は〜〜
そこから翌日に行われる打合せのための資料を作成。終わったら8時半少し前。アリャリャ、もうこんな時間か! 今から帰れば10時半、夕飯を食べたら11時帰宅か~、と考えながら、大学から千葉駅まで歩くことに。
空腹に耐えきれず、何か食いたい!、と思ってしまい、結局いつも月曜日には良く行く普段は串焼き屋がやっているラーメン「まるちょう」でいつも?の鶏醤油ラーメンを頂く。最近ラーメンを食べると下すようになったのですが、ここの醤油ラーメンはOK! 千葉県産錦爽鶏をベースに生引き溜まり醤油の風味とダシのきいたラーメン、1ヶ月に2回は来てますね(^^)
翌日7/4(火)は文京区弥生にある「学会センタービル」にある日本薬理学会事務局にてアジア太平洋薬理学者の会APFPの現理事長で東大名誉教授 現R大学教授のM先生の呼びかけで、APFPのweb siteを作成するための打合せの日。これには日本薬理学会国際対応委員会委員長で現IUPHAR(国際薬理学会)副理事長、東大名誉教授 現N大学医学部特任教授のI先生と私が召集されることに!
なぜ、私? 実は私は国際対応委員会のメンバーなのです。この委員会はこの元学会理事長のI先生の肝いりで、2年ごとに改選される理事の交代に影響されずに長い目で関係を築くことが大事な国際対応はできるだけメンバーを変えずに行くとされたもの。委員長を除き6名、計7名にAPFP理事長のM先生がオブザーバーで入っており、8名で構成されています。6名はそれぞれ、日米、日英、日豪、日中、日韓、と二国間の担当とM先生の元でAPFP担当の6つの役割があり、私は最後のAPFP担当なのです。それでここに召集されたということなのでした。
APFP担当は自らの志願です。今の前の職場のさらに前、私は都内のK林大学に在籍しておりましたが、当時のボスE教授は、韓国、中国、タイ、バングラデシュ、インド、イランと言ったアジアの東から西までをカバーする様々な国からの留学生を受け入れていたため、知人も広くおり、二国間だけやるのはつまらない!、と思ったからでした。
ただ、それが仇?になり、昨年12月、米子での臨床薬理学会で開催された第6回日中薬理学・臨床薬理学ジョイントセミナーでは、日本側が臨床薬理学会理事長のW先生と、薬理学会からは本来は理事長のA先生なのですが都合により欠席、国際対応委員長のI先生も海外出張で不在、副委員長のY先生も欠席、さらに日中担当委員のI先生も不在だったため、APFPは中国も含むから!、という理由で私がspeakerに選ばれ、シンポジストに成ってしまうという「貧乏くじ?」事態が起こったのでした(^^;;
まあね、欧米系の国との関係ならレベルも高いのでいいでしょうけど、アジアの国々と日本が組んでメリットあるのか?、と言われれば、正直「無い」のかもしれません。でもね、日本はGDP世界第3位(中国の統計が正確でなければ未だに第2位かも!?)の大国。大国は大国に相応しい貢献をするべき、というのは欧州では常識、そして私もそう思っています。つまり国力が下だから相手にしない、では大国の振る舞いとしてどうかな、と思うのです。
今から20年近く前、私は南仏コート・ダジュールに留学していました。ある時同僚のマルクとG7が話題になりました。
「日本の首相はどうしていつも端にいるんだ?」
「だって日本は小国だからさ」
「何を言っているんだ、日本はアメリカに次ぐ世界第二位の国じゃ無いか。なのになぜ端っこなんだ?」
「GDPのことでしょ、それは経済だけじゃ無い。お金だけ二位でもね」
「何を言っているんだ、経済こそが国力じゃないか! 経済力が第2位なら世界第2位。もっと真ん中に来るべきだ。なぜ日本人はそう思わないのだ」
最近本屋で見かけて読んだら、もう同意することだらけだったのが、親日派のアメリカ人、ケント・ギルバート氏の「日本覚醒」(宝島社)です。アメリカ占領軍が去ったにも関わらず未だにGHQが日本人を洗脳するために押し付けたWGIPにとらわれている我が国。世界からの評価に相応しい行動を日本人はとるべきだ、と思います。だから「日本は小国だからアジアの国々は知らない」ではいけない、と私は思うのです。
お弁当を食べながら約2時間にわたり、様々な点からAPFPのあるべき姿?を議論。とりあえず、まずは仮のページ内容を作成し、それを業者に依頼し見積りとホームページのモデルを提案してもらう。その際に大事なことは「自分たちの手で」どれだけタイムリーにホームページを更新できるか、その取り組みやすさも評価して決めることになりました。
さて、会議を終えて、向かうは千葉!
昨日問い合わせをくれた学生さんに、特に教えたことがあります。
それは医学部本館正面玄関の右手の公園スペースの中にある石碑の事です。どのくらいの亥鼻の教職員学生がこの存在を知っているのでしょうか? って、つい最近まで私も知らなかったので、本当は偉そうなことは言えないのですがね(^_-)
これは千葉大学医学部の伝統と心意気を伝える歴史「辛亥革命赤十字隊記念碑」です。
1912年(大正元年)、外からは外国の侵略を受け、内には清朝末期の堕落した王朝政治が行き詰まった状況で、祖国を憂い、救国の志に燃え、先陣に馳せ参ずることを決めた千葉医学専門学校に在籍していた39名の中国留学生。
1911年11月9日、数百に及ぶ教職員学生が千葉駅で彼らを見送り、それから1年近い戦いの結果、孫文を臨時大統領とする中華民国が樹立。帰国した留学生達が、全学挙げての支援に感謝するために半年がかりでこの記念碑を建立したという。
この記念碑の説明文は千葉大学元学長 名誉教授 故 井出 源四郎先生により書かれております。
「今後日中の間に何が起ころうとも、医学医療の職責がいかに貴いものであるかを教示しているようにも思う。敵味方を問わず人の命を救い得るというこの職責を担い得ることを医学部同窓会会員の皆さんと共に喜びたい。そしてこの貴重な日中の絆は決して断ち切ってはならないと確信し決意をするものである。」
私もこの記念碑が物語る事実は誠に心新たまる日中友好の象徴的な結晶だと思います。ある意味千葉大学の「宝」ですね!
先日「伝統の護り手」としての自分の役割に目覚めてしまった訳ですが、この記念碑にあるようなことをやった戦前の日本人たちの心意気を若い後輩に伝え、自らも先人たちの思いを受け継ぎ、(あくまで自分のできる範囲内で、ではありますが)世界の大国「日本」に相応しい国際貢献を続けて行きたい、そう考えた7月の頭でした。台湾からの10名の医学生、他の教室が受け入れなくても薬理学だけは「熱烈歓迎」ですので!(^o^)/
ちなみにこの日の夕食は千葉そごう10階レストラン街にある新宿中村屋。そこで季節限定の「夏野菜とチーズのあいがけカリー(キーマ&欧風)にマンゴージュースとマンゴーアイスのセット。疲れが取れましたね(^^)