第139回日本薬理学会関東部会

なかなかUPすることの出来ない「今日の塾長」。

忙しくて時間がないことが一番大きな理由ではあるのですが、実は私の周りは日々、ほぼ毎日いろいろなことが起こるため、「今日の塾長」で書いたことが翌日にはすぐに古いことになってしまうことがあり、迂闊に書いてしまうと、翌日には状況が違っている、なんてことになってしまうのです。そうなると、結構この「今日の塾長」書くのに手間暇かかることを考えると、「あ〜、今日も書けないな〜」となり、それが積み重なると結局、書かずに終わる、そんなサイクルが続いております。

最近一番の課題は、私が総会長を務める11/17土曜日に迫っている「第49回日本消化吸収学会総会」でして、残り1ヶ月を切り、開催に向けてバタバタしております。

そんな一週間の終わりとなる10/20土曜日。この日は慈恵医大にて第139回日本薬理学会関東部会が開催されます。

10年以上前に薬理学会の評議員になった時から、大体お昼に行われる評議員会には出席しておりましたが、今回の関東部会は特別!
そう、今年4月に日本薬理学会「理事」を拝命し、今回は「理事」として参加する初めての関東部会なのです! ということで、私にとってこの日のメインはお昼の評議員会(^^)

昨晩はその緊張で眠れず(ウソ)、普段は早朝覚醒で5時には起きる私ですが、この日は少し寝坊(^^)
普段は評議員会が終わって、午後から始める関東部会ですが、今回は朝10時開始。え〜、かったるいな、と、自宅でメールレスなどを済ませてから、おっとり刀で吉祥寺から東京へと向かいます。

11:30新橋到着。あれ、意外に時間が無い! 慈恵医大は駅から結構?歩くので、ゆっくりはしておられず、慈恵医大に行く時は必ず?参拝する烏森神社や新橋塩釜神社は素通りして会場に向かいます。それにしてもこの日の東京はいい天気! 今回の部会長のM先生の普段の行いの良さの証?なんでしょうかね(^_-)

何回も来ているにも関わらず毎回迷う慈恵医大の1号館(苦笑)。
受付到着は10分前。部会長のM先生にご挨拶し、評議員会で用いるスライドの確認。総務委員長のH先生からスライドが届いており問題なし。そうか、ラップトップPC持ってこなくてよかったんだ!(苦笑)

ここで某先生と遭遇。簡単な挨拶を交わした後、「そういえば先生、以前相談した件ですが」、「あ〜、あの件ですね、本当に最近動き出すことになりまして」、「え、あ、そうなんですか、実は、、、」といきなりまた動きが! こんな感じで、日々動いてゆくのです(笑)

さて、受付から評議員会会場となる5階の会議室へ。まだ人もまばら。今回は壇上に登るため、前から3列目に着席。うん、なんか落ち着かない。しかも通路を挟んでお隣に、「やあ」というお声がけとともに元学会理事長でT大名誉教授のI先生が着席。さらに落ち着かない(苦笑)、、、のですが、ここでも評議員会開始前の数分で種々の情報交換! この一瞬が大事なのです。

で、ついでに私は国際対応委員会の中でAPFP(アジア太平洋薬理学者の会)の担当ということで、再来年5月に台北で開催されるAPFPのシンポジスト推薦の依頼をお願いします、と念を押される。「あ、来週月曜日までですよね」、と一応頭に入れているフリ?をしてお返事。う〜ん、やばい、セッションが沢山あるので、埋まるかな、、、これは部会後の懇親会が勝負?かな(汗)

12時からは評議員会、、、のはずが、午前中のセッションが遅れているとのことで、評議員会は15分遅れて開始とのこと。お弁当を食べてお待ち下さい、ということなので、右隣に座られたM海大のS先生が食べているのを見て、私もお弁当を頂くことに。しかし登壇するため珍しく急いでお弁当をほうばる。

そして評議員会開始。部会長M先生の司会のもと、議事が進んでいきます。
早速今回の議題、第142回日本薬理学会関東部会長の選出に入ります。

理事になって初めて知ったのですが、関東部会には部会長選出のローテーションなるものがあり、医学4ブロック、薬学2ブロック、農学・獣医学・歯学系ブロック、研究所・企業ブロックに分かれてローテーションを行い、それぞれのブロックから学会への貢献度、特に関東部会での発表エントリーの回数などを参考に、適任と思われる方を複数選び、その中から理事の推薦の多い方で決まるというものです。

部会によっては、立候補から評議員の投票による選出というところもあると聞いていますが、関東部会では数十年?前からこの方法で部会長を選出しているとのこと。まあ人数の多い関東部会で選挙をやったらその手続きが煩雑化して理事の負担が増えるのは目に見ているので、それを避けるため効率的な方法なのだと思います。

ただ課題かな、と感じるのは、医学・薬学ブロックに比べ、農学・獣医学・歯学系ブロック、研究所・企業ブロックに所属し、選考対象となる評議員の方が少ないこと、医学の4ブロックでも評議員数の多少がブロック間に出てきており、このローテーションでは年数とともに偏りが出てきていること、そしてそもそも関東部会を年に2回やることが負担になってきているのではないか、ということが挙げられます。ローテーションの見直し作業はやるとなると手間なのですが、部会を年1回にするのは年2回にするのか、若手の発表の場とされている部会で、その若手の中心となる大学院生が減ってきている現状では、年2回開催を継続する必要性はないのかな、とも感じます。

話が逸れましたが、第142回日本薬理学会関東部会長の選出です。
関東部会選出理事内で事前に数名の方を候補としてノミネートし、その中から1人を推薦するということで、今回は関東部会ローテーションに従い、農学・獣医学・歯学系で選考を行った結果、複数の候補が提案され、その中から日大松戸歯学部薬理学のS先生を推薦しましょう、ということであらかじめ決めてありました。そこで選出理事を代表して、私が手をあげ、「関東部会選出理事内での協議の結果、第142回関東部会長として日大松戸歯学部薬理学のS先生を推薦させて頂きます」と発言。

会場からの拍手を頂き、部会長が決定しました。日大松戸歯学部の先生が部会長になるのは初めてです。続いて部会長に決定したS先生からのご挨拶。私と同年代(あれ、同じ歳?)の先生が部会長を務める時代になったのだな、と感無量?です。

それが終わると委員会報告。トップバッターは私!
総務担当理事である私は、今回不在の総務委員長O大のH先生に変わり、H先生がご用意されたスライドをそのまま紹介させて頂きました。

さあこれでホッと一息、、、なのですが、国際対応委員会報告で委員長のI先生が、来年に中国雲南省昆明で開催される「日中薬理学・臨床薬理学ジョイントセミナー」の話をして頂いたのですが、「連絡委員は安西先生になります」とご紹介を頂いたのは良かったのですが、その後にI先生、「昆明は中国側からの推薦があった場所で、どうやら向こうではいい場所のようです。私は行ったことないのですが」で会場は爆笑! え、私だって行ったことないのですが、、、(汗)

会の最後は来年3月の大阪での92回年会長のO大K先生がスライドを使って年会のご紹介。
私が部下だった頃に比べると滑舌が良くなり、おまけに会場からウケまでとって、その変貌ぶりに感嘆! 昔はスクリーンだけ見て話をしていた先生が、今や威厳のある旧帝大教授になられたのだな、と感無量。部下だったのに上から目線?、あ、失礼しました。

なんて聞き惚れていたら、「市民公開講座はC大のA先生と、K大のN先生にお願いしてあり」、あ、それ、俺だ! 気軽に受けてしまったものの、今回が初めて(汗)
京都でのWCPで行われた市民公開講座は満席だったとかで、実は結構なプレッシャー!
なんて言いながら、そのプレッシャーを楽しむのが私。まあね、何事もチャレンジ!
高校時代から落ちこぼれで鳴らした私の図々しさで、失敗しても許してね!、で、切り抜けますかね(^_-)

評議員会後、午後1時から私の教室に出入りしている病院スタッフの方の発表があったのですが、この後別な会に出るため懇親会では話の出来ない元部下と情報交換のため、会場を出て、虎ノ門へ。そこのカフェで小一時間諸々の案件に関する意見をもらう。

「先生、今日東腎(腎臓学会東部会)ですよね?、行かれないのですか?」
「え、今日だったっけ? あ、そうだ新宿だ! すっかり忘れていた(汗)。まあでも東腎は臨床の会だからさ、、、」
最近、こんな感じで大事なことが頭から抜け出ていることが多く、将来自分は絶対認知症だな、と今から覚悟しています。

で、会場に戻ると今度は以前からキャリアプランについてよく相談を受けている某国立研究センター研究員の方と会場で遭遇。
「今ちょっと話をしてもいいですか?」
「ああ、いいよ! そうだ、紹介したい場所があるから!」
ということで今戻った会場からまた外にでる(笑)

連れて行ったのは慈恵医大の近くにある「愛宕神社」。ここは徳川家康により創建されたとされ、歴史的には井伊直弼を桜田門外で襲撃する前に水戸浪士が集まった場所として知られる神社です。さらには男坂と呼ばれる愛宕神社に上がる急な石段は「出世の石段」とも呼ばれていて、三代将軍の徳川家光の命に応え、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上した四国丸亀藩家臣で曲垣平九郎が『日本一の馬術の名人』と讃えられ、その名を一日にして全国に轟かせたという伝承がある場所。それ以来『出世の石段』を登ると仕事運アップ・出世運アップのご利益があるパワースポットと言われているようです。

実は私、2度の教授選の前にここ愛宕神社に参拝し、2度ご利益がありましたので、科学者でありながら信じないわけにはいかない?のです(笑)
と薀蓄を語ったところで、カフェに入り、人生相談。まあね、私の言葉で九州から東京に出て来た方ですから、それなりに?責任もあるので、、、

これまた小一時間を過ぎ、再び会場に戻ります。古くからの友人であるM大のY先生から参加者が少ないからと参加登録の依頼を受けた「看護薬理学カンファレンス」の会場は多くの人がいるのを確認して、一安心。次なるメイン?の懇親会まではまだ時間があるので、1階にあるラウンジで仕事などしていると、千葉県内の某所にある大学に先ごろ異動された知人の先生とばったり出会う。教授同士が会うと結構「人事」の話になることが多いのですが、ここでもそれが話題。

「臨床経験のある『医師』ないし『薬剤師』の方で、いい方がおられれば」
「わかりました。すぐでなくてもよければ少し頭に入れておきますので」
なんてことはどこの分野でも行なわれていることかと思いますがね(^_-)

そして午後6時過ぎ、懇親会が始まります。
今回は部会の会場となった同じ建物内の教室を使っての開催。やはり基礎の学会ですから、あまり贅沢に金をかけるのは趣旨に合わないですからね。

さあ、ここでAPFPのシンポジストをやってくれる方の確保を目指して、のつもりでしたが、案外懇親会参加者が少なく、これでは本来の目的達成は難しいですね。

ということで、それからはむしろ理事会でもお会いする先の元理事長I先生、92回年会長のK先生、93回年会長のY大G先生など、の先生方と今後の年会のあり方、学会の未来について、意見の交換を行いました。

特に私の元上司であるK先生、この夏の京都で開催されたIUPHAR(国際薬理学連合)のassemblyにて、I先生に変わり、今年からIUPHAR副会長に就任されたのですが、所属されるO大ではCampus Asiaなどのプロジェクトにも関わっておられ、日本、韓国、中国の東アジア三ヶ国との関係をさらに強化すべきとのご意見で、如何に韓国や中国が進んできているか、それを身を以て知ることによって今のままではいけないということを知り日本が覚醒させねば世界に遅れをとることになり、これからは国際「交流」ではなく、対等なパートナーとしての国際「対応」の必要性を強調されました。これには元IUPHAR副会長のI先生も、世界の中における日本の立ち位置を意識した学会運営が必要であることの重要性を語られました。Y大のG先生はさらに地方における「知」の集積地としての地方大の重要性をお話になり、この懇親会の中で見識の高い先生方の想いをどう学会運営に反映し、さらに薬理学だけでなく日本の基礎医学研究をどう守り、そしてどう展開してゆくか、本来学会とはこういうことを語り合う場であるべきで、こういう戦略なくして現場での研究の推進はありえない、ということを皆が認識して、世界の中における日本の存在を高めることが引いては自分自身の研究をも継続展開するのに必要であるという意識を共有できれば、と考えました。

今年はまた役員選挙がありますが、そこで再び理事になれる保証はありませんので、私の残り理事任期1年半のうちに、学会員から選ばれて理事になった者の責務として、皆さんの声を理事会に届けるべく頑張りたいと思います。

図らずも懇親会の終わりまでいてしまい時間は20時前。帰り道が同じ新橋方向ということで、142回部会長に内定されたS先生と雨の中新橋駅まで歩きました。

「次は大阪での年会ですね。またお会いしましょう!」

多くの先生方と、研究の、学会の、そして日本の未来を語り合いたいですね!

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