回想、6年前の8月10日:死と再生の旅路

この異能塾がなぜ2016年の9月にオープンすることになったか?、これまでそのことに触れたことは無かったかと思います。

話は飛びますが、なぜ世界の中で日本だけが年度の始まりは4月なのでしょうか?
と書けばきっとどなたかが調べて教えて頂けるのではないかと思いますが、個人的には桜の開花シーズンかな、なんて思っています。辛かった冬の季節を耐え忍んだ先に現れる春、新しい気持ちで物事がスタートする、そういう気持ちを日本人は春4月に持ちやすいのかな、なんて気がします。
新型コロナ感染症が始まった昨年春、これを樹に国際標準に合わせ秋スタートにしたら、という意見に私は賛同でしたが、本心を言えば日本人には春始まりが合うように感じています。
(もっと言うと、日本人の季節感には太陽暦よりは太陰暦の方が合っている気がします。あくまで一個人の考えです、笑)

ただ、こと現在の状況、約20年ぶりに母校に戻って教授となった私の始まり、それは手続き上は2016年1月1日なのですが、これは当時所属していたD医大で私は入試委員長を拝命しており、出来るだけその責任を果たすために、本当は2016年度の終わり、つまり3月までは残りたかったのですが、本当は2015年の11月ないし12月に赴任することを求められていたために、その中間を取って、指定校推薦入試の終わる12月での退職を1つの目処にしたから、と言う経緯があります。

そしてなぜ本当は2015年の11月ないし12月に赴任することを求められていたか、と言うと、それは私も候補者の一人であった教授選の投票が2015年9月14日(月)に行われ、その結果私が候補者に選考されたため、それに基づき、私が選考されたこと、そしていつから赴任可能か?、の連絡をこの日のうちに頂いたから、と言うことになります。
9月中旬にお話を頂けば、最速翌月から赴任というのも無い訳ではありませんが、通常は異動のための準備期間が必要ですので、翌々月の11月から、というのが妥当なところになるかと思います。

そしてその運命の日、9月14日から遡ること10日前の9月4日(金)、実はこの日が教授選のプレゼンの日でした。今でもあの日のことを思い出すのも嫌な、人生最悪最低のプレゼンだったのですが、結果的に私が選考されたことで振り返れば、この9月4日がそれまでの人生が終わり、16日に再生をした時期と言えるかと思います。
すなわちこの2015年9月が私に取っては人生の何度目かのスタートであった、そこでその1年後の9月1日からこの「異能塾」サイトを開設した、という次第です。
開設から5年経って、ようやくここに「なぜ9月?」について語ることが出来ました。

教授選のプレゼンの前って、どんな心境でいると思われますでしょうか?
ここをお読みの方の中にはきっと教授である方もおられるかと思いますが、それはなかなか平常心ではいられないものです。
期待と不安、勝ちたい、しかし勝てないこともある訳で、その時はどうすべきか?、などなど何もしなければ頭の中がぐるぐる周り、何も手につかなくなります。そんな時に、緑に囲まれた静けさの中にある「神社」は、勝利祈願もあるのですが、私にとってはなぜか心安らぐ場所でした。たくさん回るとたくさん落ち着く、そんな感じです。
最近多くの場合は50代になって教授選に臨むことが多いかと思います、医学部の場合は。
他の世界では60歳で定年であることを考えると、いい歳したそれなりの人間が、あ〜でもない子〜でもないと、時にはありもしないことまで言われることもあ理、人生を他人の手に握られる教授選に臨むのは非常に大きなストレスです。

「准教授までは誰でもなれる。教授はそうはいかないんだ!」

と、私の恩師の一人E先生はおっしゃってましたが、世の中至る所に、「自分の教授は無能で」と批判する部下があまたおりますが、そういう方にはぜひ一度教授選の「リアル」を知っていただきたいものです(笑)

ということで?、そんな目でもう一度この異能塾の中の回想編を眺めて頂くと、違った形でまたblogを楽しんで頂けるのではないかと思います(苦笑)

今回の回想はネタバレ状態になってしまいましたが、忘れられない思い出となる9月4日から遡ること約1ヶ月、この出張がなぜ「死と再生の旅路」と題するものだったのか?、を汲み取って頂ければ幸いです。

 

2015.8.10にT大学のH先生のラボを訪問する予定が入りました。
朝9時に面会と言うことになったのですが、米子で朝9時に行くには当然前日から米子に入らなければ無理ですよね。と言うことは前日の8月9日の夜までには米子入りする必要があります。

で、その8月9日は日曜日。特に栃木の職場D医大での仕事がある訳ではありませんので、何も夜ギリギリに米子に入ることもないか、と来れば昼間のうちから米子入りしても特に問題は無いわけですので、少し早く行って、自腹で車を借りて、米子周辺の神社参りをしよう、ということとしました。

この異能塾でも何度も神社参りのポストをしていますので、塾生(異能塾の読者の方は皆塾生です!、笑)の皆様はお気づきだと思いますが、私の趣味?は神社巡りです。

これもいつから神社巡りをするようになったのか、よく覚えていないのですが、2011年にD医大に主任教授として赴任することになる教授選が行われた2010年には神社に行ってますので、さらにその前であることは確実です。

K林大にいる際に、窓際族になって人生に悩んでいるときに出会ったのがTVにも出ていたスピリチュアリスト 江原啓之さんですが、その話の中で神様の話が出てきて、神社に関心を持ち、訪ねる様になったのではないかと思います。

やっと長い前置きが終わり、本編のはじまりはじまり〜〜!(笑)

 

2015.8.9(日)
羽田から飛行機で米子鬼太郎空港に向かいます。

天気もよく、飛行機からは雲の切れ間に頭を出した富士山を見ることが出来ました。

程なくして米子空港に到着。鬼太郎たちがお出迎えです。

車を借りて走る山陰路の空は腫れ! 緑の田んぼに広がる青い空、そして遠くへと伸びる白い雲が落ち着かない私の心に癒しをもたらしてくれます。

程なくして最初の目的地に到着。鳥取県西伯郡南部町にある赤猪岩神社です。
大国主(オオクニヌシ)が命を落とし、母の愛と二人の女神の力で生き返ったとされる「再生」の神社で、まさに「再生神話」ゆかりの地です。
https://www.town.nanbu.tottori.jp/akaiiwa/3/1/

古事記によると「大国主命は兄弟神達に大猪と偽って、実は真っ赤に焼いた大岩を捕まえさせられ大やけどを負って殺されてしまうが、それを悲しんだ母神と二人の女神の手により大国主命が生き返った」という地に建つのが「赤猪岩神社」です。
それゆえ「受難」「再生」「次なる発展への出立」の地として、「再起」にご加護を願い赤猪岩神社を訪れる人は、数多であったと伝えられています。私が最初に訪ねた意味もお分かりかと。

神社の境内には、「大国主命が抱いて落命した」と言い伝えられている岩が祀られています。この岩は、地上にあってこの地を穢さないよう土中深く埋められ、大石で幾重にも蓋がされ、その周りには柵が巡らされ、しめなわが張られています。これは「厄の元凶」に対する注意を、子々孫々まで忘れてはならないことを教えているとのことです。

ここでお札を買いました。その効果の程は、もうお分かりですね!
お札を購入したら、近くの田んぼで取れた赤猪岩古代米を頂いてしまいました。
これ、結局どこかに行ってしまって、、、汗

続いて向かったのは、赤猪岩神社から車で約15分の位置にある母塚山(はつかさん) です。
途中は結構な山道。こんなところを一人で走っていて転落でもしたら誰も助けてくれないだろうな〜、なんていつも車を借りても一人ですから仕方ないのですがね(苦笑)
https://www.town.nanbu.tottori.jp/akaiiwa/3/4/

母塚山は、イザナミの御陵であったという説がありますが、それも納得できるほど、山頂から見る大山そして弓ヶ浜半島の眺望は素晴らしく、「山陰一の絶景」との声もあるほどです、とのことですが、いいとこではありましたが、この日の景色はそこまででは無かったですね。

そしてここから向かったのは大山です!
鳥取県立大山自然歴史館の下の駐車場に車を止め、ここからは歩きです!
大山寺の参道をまっすぐに上ります。

趣のある道をひたすらまっすぐ行くのですが、何も食べずに車で走っていたため、そろそろ空腹感に囚われます。

参道を上り切ったあたりにあるのが天狗茶屋。空腹に負け入店!
ここで大山そばを頂きました(^^)

お腹が満たされたら、大山寺には目もくれず(笑)、目的地の大神山神社奥宮(オオガミヤマジンジャオクノミヤ)を目指します!

この時歩いた大山寺入り口から大神山神社奥宮まで、約700mにわたって続く参道は、何と自然石で作られておりた参道は石畳の参道(いしだたみのさんどう)と呼ばれ我が国最長であるとのこと。

祭神の大国主命は、五穀豊穣・国土開拓・牛馬畜産・医薬療法の神です。
社殿が国指定の重要文化財かつ国内最大の権現造りであるとのことで、どうやらこれは日本一とか。
大山のパワーに身を委ねて、心と体を浄化します。

参拝を終えると元来た道を引き返します。結構遠くて(汗)

車に戻り、大山山麓をドライブ。広くて心地良いですね〜

次に向かったのは甫登神社(ほとじんじゃ)です。
ここは、その名のとおり「女性」を象徴した奇岩を祀った神社で、安産・子宝を祈りに全国から参拝客が訪れるとのこと。
鳥居をくぐり、石段を下りていくと、山の斜面に「ご神体」とされる奇岩がありますが、流石に写真はやめておきます(笑)。海沿いにある「木の根神社」と両参りするとより御利益があるとか!? で、ではと、次にその海沿いの木の根神社(きのねじんじゃ) に向かいます!

木の根神社は男根そっくりの老松の根を御神体として祀っているユニークな神社。
古来より性病や夫婦円満にご利益があるといわれ、町内外から祈願者が絶えないことでも知られているとのことです。

近くには逢坂八幡神社もあったので、そこにも参拝します!

木の根神社から日本海沿いに西へと走ります。晴れた日の日本海は心地良いですね!
立ち寄ったのは木料海岸の海。
でもこれが冬になると鉛色の海に変わるのですから住むのは大変ですね。

で、次にやってきたのは御来屋港、そして後醍醐天皇の御腰掛の岩(ごだいごてんのうのおこしかけのいわ)です。

今から約670年前(1333年)後醍醐天皇は、一度失敗した倒幕と天皇中心の政治への野望を捨てきれず、幕府軍に閉じこめられていた隠岐の島から命がけで脱出しました。そしてたどり着いたのが「名和の湊(今の御来屋港)」。 この時、疲れた天皇が体を休めるため、海岸にあった大きな岩に腰をかけたという言い伝えから、この岩を「お腰掛けの岩」と呼ばれているとか。

この場所には、後醍醐天皇の御製「忘れめや よるべもなみの荒磯を 御舟の上にとめし心を」を記した歌碑もあります。

ここから近くにある住吉神社に参拝。摂津の国にある官幣大社・住吉大社の分霊がまつられている神社で、後醍醐天皇が隠岐の島から御来屋(みくりや)に上陸した際、こちらに奉幣したという伝説があるとのこと。

そして車で少し山側に入ったところに、名和神社(なわじんじゃ)があります。
ここは後醍醐天皇を隠岐の島から迎え、一族郎党を率いて船上山に立てこもり、王事に奮戦した南朝の忠臣・名和長年公をはじめ、一族郎党42人の英魂をまつった元別格官幣社。

現在の名和神社は明治16年に旧社(今の氏殿神社)をそのままに新しく建てたもの。神社の規模としては鳥取県内でも最大級を誇り、明治16年に初めて参道に桜が植えられて以来、山陰有数の“サクラのトンネル”としても有名出そうです。

名和神社の参拝を終えると、ここからは国道9号線を西へと米子に向かいます。
大雀海岸からの夕日は美しいということで、私も一応それを見にゆきます。

途中には風力発電の鉄塔があり、これが夕暮れ時の空にとてもマッチしています。
自分的に美しいと思う写真が撮れました!

そして米子に戻り、ホテルへ。荷物をおいたら、地元で有名な回転寿司へ!
流石にうまいですね〜、日本海でのとれたて?、でしょうか。

夕食を済ませホテルに戻ると近くで花火が上がってます! これはおまけ?ですね。
一人部屋で缶ビールを開けてゆっくりします。

限られた時間でしたが、十分まわれた1日でした!

 

2015.8.10(月)
この日は朝早く起きて、朝食前に近所の神社へ参拝!

賀茂神社 天満宮は以前にも来たことがあります。

さあ、朝食を済ませてやってきたのはT大学!

思ったよりも広く、施設が有機的に?つながっていて、なかなかいい環境でした!
共同研究の進展具合によっては、また訪問したいですね~

外来入口入ってすぐの鳥取大学病院の中のコーヒーショップは、スタバではなく、タリーズでした(^^)

ちなみに、H先生のお部屋に飾ってあったお言葉は、H先生の恩師でもあるO医大生理学の有田真先生のもの。いい言葉なので写真に撮らせて頂きました!

共同研究打合せは順調に終了!
今後の展開が楽しみですね。

打ち合わせを終えると、米子空港へと戻ります。

空港に向かう途中にある粟島神社(アワシマジンジャ)に立ち寄ります。

大国主命は御大の御崎(現在の美保関)で少彦名命と出会い、協力し合って国作りを行います。その少彦名命が祀られるのがこの神社。少彦名命は手のひらに乗るくらいの小さな神様で、ある日栗の茎にのぼってはじかれ、常世の国に行かれたと言います。急な階段を登った山頂に祀られており、ここには日本一小さな鳥居もあります。

続いて弓ヶ浜に立ち寄ります。ここは美保湾を見渡せる絶好のポイント。前日行った大山は霞んでますね(汗)

参拝を終えて、米子空港に着きますが、実はまだ時間があることを確認し、再び車を飛ばすことに!

で、境港を過ぎ、向かったのは美保神社です。ここは実は鳥取県では無く島根県松江市。
美保神社は事代主神(えびす様)の総本宮と呼ばれており、目の前に美保湾が広がり、海の香りにただよう港町に建っています。

美保神社を訪ねたら、やはり最後岬の突端まで行かないと!
ということで、美保関灯台まで行きました。

明治時代に建設された石造りの灯台。世界の歴史的灯台100選に選出され、国の登録有形文化財に指定されたとのこと。青い空に青い海、白亜の灯台が目立ちますね。

ゆっくりしたいところですが、飛行機の時間もあるので、見るだけ見たらとんぼ返りです。
再び美保神社の前を通り、境港方面を西へと進みます。

途中海沿いに男女岩があったので、写真に修め、ここからは一路米子空港へ!

車を返し施設内に入ると、再び鬼太郎たちがお出迎え!

飛行機は無事に米子をでて羽田へ! 帰りも窓のそとに富士山を見ることが出来ました。

そして羽田到着!
島根鳥取の多くの神様のパワーを体に集め、1ヶ月後の教授選プレゼンに臨み、目出度く選考されたのは先に書いた通りです。
神の力なくして今の私はあり得ない。この異能塾が神様の話で溢れているのも、こんな経験があるから、と言えます。

長い長いポストをお読み頂き誠に有難うございました。

 

メニュー