回想、6年前の9月4日:その日

今年もまた9月4日が来ました。
人生ここまで56年と7ヶ月、記憶に残る日はいくつかありますが、思い出したくも無い、だが忘れようとしても忘れられない、これまでの人生で最悪のプレゼンをした日でした。

2015.9.4(金)
この日の午後はD医大の薬理学実習の日でしたが、木曜日に実験をやって、翌日となる金曜日はそのまとめと説明の日ですので、実習室を見回る必要のある木曜日と違い、4つある実習それぞれの担当者に任せておりました。

で、この日は16:10までに来て下さい、という指示があるので、朝からD医大には行かず自宅におりました。朝から落ち着かない1日。この落ち着かない1日は、2011年11月1日(月)以来です。そう、人生で2度目ですね。

落ち着かない中、自宅を出て13時過ぎ、三鷹駅到着。ここから中央線でまずは私の生誕の地、御茶ノ水に向かいます。

14時前に御茶ノ水到着。聖橋口を出て、神田川を渡ります。

やって来たのは私の産土神、神田明神。

平成27年9月の生命の言葉とともに、今回購入したのは「勝守」。いわれは以下の通りです。

「江戸開府以前、徳川家康公が石田光成との天下分け目の関が原の戦いに臨んだ際、神田明神の神職に戦勝祈祷をお願いいたしました。当社の神職は、家康公の戦勝を毎日真心込めて祈願いたしました。すると見事に勝利し、さらに勝利した日が九月十五日という神田祭の日にあたったということで、家康公は非常に喜ばれ、江戸開府以後、神田明神は江戸幕府に厚く崇敬されるようになり「江戸総鎮守」として称えられるようになりました。「勝守」は江戸時代のそうした御由緒にあやかったお守りです。今日においては、勝負事はもちろんのこと、商談成立、学業成就の強い見方として多くの方々に授与されていきます。」

私の結果が出るのは9月14日と1日違い! 何かのご縁があることを祈りましょう。

神田明神参拝を終えて、いよいよ千葉に向かいます。

千葉駅から恐らくバスに乗って亥鼻に向かったはずですが、記憶がありません。
総務課を訪ねて名前を言うと、部屋に通されました。
今覚えば社会精神保健センターの会議室だったかと思います。

持参したMacBookAirを渡して待機。16:40からプレゼンですので、その時間少し前に事務の方が来られ、プレゼンの場であるゐのはな同窓会館に向かいます。

亥鼻分館の前を通って、同窓会館内へ。一礼して、荷物を置き、演台の立つと、近い!、近い、近い! 最前列の机には当時の医学研究院長と附属病院長がほぼ並んで座っています! 目の前!、って感じです。これは物凄いプレッシャーです。

司会をするのはもう今年3月、退任された生化学のT教授。
「準備が出来ましたら初めて下さい」

必死に落ち着つこうとするも、演台上の私のMacBookAirはなんと発表者モード!
スライド小さくて見にくい! え〜い、頭には入っているから初めてしまえ!

とプレゼンスタート。もともとあがり症なので、これまで何回もやって来た製薬会社の講演会も最初の数分は緊張してますが、普段は2−3分で落ち着くところが、この日はいつまで経っても落ち着きません。

D医大のプレゼンの際は、大きな講堂だったので、聴衆の顔が見えず、数分で気持ちが落ち着いたのに、今回は目の前に人がいて顔が間近と言うこともあり、緊張が取れません。

ふとPC上に表示される時間を見ると既に10分が経過!
えっ、嘘だ、そんなに時間が経っているはずないんだが、、、

そう、事務の方がセットした段階からカウントが始まってしまっているので、5分くらい進んでいるのですが、もともとプレゼンは20分で、遅れてはいけないものですから、ヤバイ、急がないと!、ともともと早口の私が、緊張でさらに早口になり、時間が進んでいる確証が無いため、そのまま1.5倍速で話を続けます。

そこにさらに追い打ちが!
これまであちこちの大学や会場でMacBookAirで講演をやって来て、一度も文字化けがなかったのに、今回に限って2枚のスライドで文字化けが起こります!

「あ、すみません、どうも文字化けしております。この空欄には本来は、タイからの大学院生のなんとかさんとなんとかさん、バングラデシュからのなんとかさんとなんとかさんの名前がありまして、、、」
と、苦し紛れのプレゼン。え〜、マジかよ、これは嵌められたんじゃないか!
あ〜、も〜、最悪!!

そして持ち時間の20分が終了、でもその20分とは、PC上に表示されている時間。
あとで知人の先生に聞いたら、やはり5分くらい早く終わっていたそうです(大汗)

プレゼン後には質疑応答。
がんとトランスポーターに関する質問があったことは覚えていますが、2つ目は何だったか忘れました。3つ目か4つ目の質問は、研究室配属で多くの学生を集められたその理由は?、と前病院長の先生からの質問。まあ、可も無く不可も無く、で切り抜けられたのではないかと感じました。

「では以上です。お疲れ様でした。」の言葉で会場を後にします。
プレゼンの出来があまりにも悪く、打ちひしがれた私は、バスにも乗らずにそのまま駅へと徒歩で向かいました。とほほほほ、、、

千葉駅到着は17時半過ぎ。もう日が暮れ始めております。
快速に乗って錦糸町で乗り換え、なんてことすら考える余裕なく、千葉から三鷹行きに乗り、一人下を向きながら総武線の各駅停車で打ち拉がれながら帰宅しました。

その後のその日の記憶はほぼ無いのですが、私の人生で最悪のプレゼンの日が終わりました。その後母校に教授として戻ることは、無くなった、と思った忘れられない1日、それが9月4日なのでした。

 

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