この異能塾が始まったのは2016年9月、それまではFacebookに長文のポストをしておりました。
「Facebookでは折角の先生の文章がどんどん流れていってしまうので、そこはやはりホームページの方がいいですよ」ということでVitalyのT先生に勧められて始めたのがこのblog「異能塾」です。
最近FBに「過去のこの日」というのが上がってくるようになり、懐かしく思うのですが、たまたま今日上がって来た異能塾を始める前のFBのポストがありましたので、ここに一部加筆して転載させて頂きます。
まあこれも休日ならでは、ですね。
(本当はやらねばならない仕事があるのですが、、、まあいつものことで、苦笑)
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(2015年11月23日のFBポストより)
先日用事で大網まで出かけて来ました。
折角来たので少し足を伸ばして九十九里浜の白里中央海岸へ! 生憎の曇り空、しかも風が強くてすぐに退散。
ちょうどお昼時だったため、近くの郷土料理屋へ。中に入ると客は私一人💦 まあ季節はずれの海水浴場なんでまあこんなもんかと。
「おかずを一つ選んで 定食セットがお得です」と言葉少なめにお店のご主人。店員は彼一人。愛想は無いがかと言って無愛想でもなく、まあ房州人の平均的な対応(^^)
店の中にある「今日のおすすめ」を見ると、その中に「なめろう」の文字が!
東北出身で魚は三陸のものが一番!と思っていた私の母が、房総出身の父と結婚し、父の親戚を訪ねて館山に来た際、出された鯵のタタキのあまりの美味しさに驚いた、というエピソードがあるのですが、房総の鯵は美味しいのです✌️
ということで、ここはやはり「なめろう」を!
地元の魚とくれば地酒、まあこの日は休日でしたので(^_-)。
早速出された「梅一輪」、お通しはさば?(イワシ?)
これをつまみに飲む酒が旨いですね!
休日にも関わらず仕事をして、終わって飲む酒は格別!
で、九十九里と言えば「梅一輪」。実はこの酒、千葉出身にもかかわらず私は最近まで知りませんでした。
知ったきっかけ、それは四年前の恩師 大藤正雄先生のお葬式の際に頂いたことでした。
大藤先生は私が大学卒業してすぐ入局した(旧)第一内科の当時の教授でした。私が研修医の時、教授回診の際にしょっちゅう色々なことで大藤先生に突っ込まれました。医局会では時に眼光鋭くバシッと本質を突く質問をされ、先輩の指導医がタジタジとなる光景を見ていた私は、緊張しながら大藤先生の質問に必死で答えるのですが、先生は和かに「そうですかー、それは◯◯ですかね~」とひねりの効いたコメントを返されるかと思いと、突然「先生はユニークですね〜〜」と感嘆され、時に呆気に取られ、時に思わず苦笑する、、、そんな私の様子を見て楽しんでおられる、そんな日々が私の研修医時代の思い出の一コマです。
その当時(まあ今もそうですが、汗)世間知らずで気の利かなかった私は、教授の大藤先生の予定に合わせずに結婚披露宴を決行してしまい、その後事あるごとに「安西君の披露宴には行きたかったなぁ」と言われ、「すみませんでしたー」とその度バツの悪い思いで、冷や汗タラタラでした。
でも今から思えば、そういう私の姿を見てまた楽しんでおられたのではないか、とも(苦笑)
そして獨協医大の教授になり、久しぶりに参加した2012年の腫瘍内科学同門会。
先生にご挨拶をしますと「そうか、おめでとう、よかったねー」と手を取って喜んで頂きました。昔散々?私をからかっておられたあの笑顔でです。あまりに長らく手を離されないので、こちらが本当に恐縮してしまいました(苦笑)。平成17年、ゐのはな同窓会学術賞を受賞した際の同窓会長は大藤先生でしたが、母校を離れ奮闘する姿を気にかけて頂いていたのだと思います。
その同門会のほぼ1週間後の突然の訃報。この前はあんなにお元気だったのに、、、と我が耳を疑いました。80歳を越えていた当時も外来を行い現役医師として働かれていたという話を聞き、尚のこと落胆しました。
東金での葬儀に参加し、頂いた中にあったのが「梅一輪」。大藤先生がお酒好きであったかどうか、恥ずかしながら何の情報も無いのですが、私が一番好きな花が「梅」であることも相まって、この銘柄、イコール大藤先生、というイメージが頭にこびりついて?離れません。
私は2月生まれ。寒さの真っ只中、一人春の接近を皆に伝えて咲く梅の花、まさに逆風の中を耐えて生きる自分そのもの!、なんて😏
で、やって来ましたなめろうの定食セット。
出来るだけ酒は残すべく務めましたので、今度はなめろうを食べながら飲む梅一輪。う〜ん、旨い!!
久しぶりに九十九里浜に来て太平洋を眺め、「梅一輪」を傾け、なめろうを食べながら、改めてここが私が生まれ育った地、自分のルーツであるという思いを再確認することが出来ました。
(注)2015年9月に母校C大に翌年1月から異動することが決まり、この11月23日は当時在籍していたD医大での勤務が残す所あと1ヶ月ちょっと、という状況でのポストでした。
今、私もゐのはな同窓会の理事の一人となりました。大藤先生の思いを守って行けたら、と思います。