「瀬田に我が旗を立てよ」:回想、6年前の今日

Facebookをやっていますと、「過去のこの日」という自動的に過去の投稿を振り返る機能?があります。
今日の土曜日、Facebookをみていたら現れたのが、この投稿。まだ異能塾を始める前でしたので、ずっと埋もれていたわけですが、2016年と言えば1月に母校の教授として戻り約半年が経ったところ。
当時の自分(まだ51歳!)を振り返ってみたいと思います(笑)

2016.5.22(日)
昨日の土曜日、いつもお世話になっている現日本生理学会理事長で京都府立医大生理学教授 丸中良典先生の研究室開設25周年記念事業・京都府立医科大学生理学開講135年記念事業「イオンチャネル・輸送・シグナル伝達に関する国際シンポジウム」に参加させて頂きました。

と、その前に、最近市内のホテルが全く取れない京都。今回はお隣滋賀県の大津市に宿をとりました。丸中先生のシンポジウムは朝10時からということで、年齢のせいか早朝覚醒の私は折角泊まった大津を知ろうと出席前に散歩に出ました。

まず訪ねたのが「建部大社」。ここは東国、特に「木更津」や「君津」の地名の由来と縁のある「日本武尊(ヤマトタケル)」を祀った神社です。

天気も良いせいか、清々しい雰囲気で、なぜかずっと留まりたくなる心地よい風が吹き渡る場所でした。

そして京阪に乗るため戻る道、渡った橋が「瀬田唐橋」。日本の道百選に選ばれただけではなく、京都の宇治橋、山崎橋 とともに日本の三名橋であり、壬申の乱を初め歴史上重要な合戦に登場し、この瀬田橋をうまく制した者が勝利して、時の政権を手中に しており、「瀬田橋を制する者は天下を制する」と言われている橋です。

戦国最強と言われ上洛を目指しながら亡くなった「騎馬軍団」で有名な武田信玄も、重臣の山県昌景に、「明日は瀬田に我が武田の旗を立てよ」と言い残したという「瀬田唐橋」。歴史オタクの私には感涙ものでした!(^^)

さて、浜大津に戻り、そこから京都市役所前駅まで一本。ホテルオークラにていよいよ国際シンポジウム参加! もっとこじんまりしたものかと思いきや、いや結構な参加者数。生理学教授ながら京都府立医大で一時期呼吸器内科の教授もされていたというマルチな丸中先生らしいシンポジウムでした。

最後までいて懇親会にも参加したかったのですが、途中で切り上げ京都駅から新幹線で東京に戻ります。

夜は6時半から帝国ホテルにて千葉大学大学院医学研究院形成外科学教授 佐藤兼重先生の退任記念祝賀会に参加させて頂きました。整形外科の高橋先生、臓器制御外科の宮崎先生はまだいい?としてなぜ基礎の私が形成外科の佐藤教授の退任祝賀会に?、と思われるかと思いますが、実は佐藤先生は千葉大の先輩というだけでなく、日本では数少ない「フランス留学組」で、しかも「仏政府給費留学生」という制度で渡仏したboursierの先輩後輩でもあるのです!!

実はそれがわかったのは、今年1月に千葉大赴任後の教授会新年会。たまたまお隣に座らせて頂いた際留学の話になり、お互いフランスということでならばboursierですか?、そうです!、お〜それは!、と意気投合したということ。それ以降わずか3ヶ月だけでしたが、お会いするたびにお声をお掛け頂いたため、丸中先生のシンポジウムを中途退場して帝国ホテルにやって参りました。

若き日長髪だった佐藤先生がニースに行かれた写真を見て感激! 自分が滞在していた南仏の風景を昨日見られるとは思いませんでしたので、懐かしさが募りました。
今年の夏は家族で久しぶりに南仏旅行でもしようかな、なんて、、、

話は変わりますが、TVでも有名な「高須クリニック」の高須院長も来られておりました。写真とるのもなんですので、写真は無しです(^_-)

 

ということで、「死のロード」の締めくくりである今日の日曜日は私が副理事長を務める自宅マンション管理組合の総会。今日を限りに1年の任期が終了ということで、時の経つ早さをまた痛感。ともに一年を過ごした理事の方々と「お疲れ様会」をやろう!ということで解散。マンションの裏事情がわかって有意義な1年でした。

午後1時に帰宅後は1週間の疲れでバタンキュー。小一時間寝て少し楽になりましたが、また木曜日からは10日間に渡る死のロード第二弾が始まります。

今週は体調を整えて、次に備えたいと思います。は〜、少し休みたいですね、、、(涙)

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