父の命日と母

最後の科研費調書作成も先週でようやく終わり、今週の薬理学講義3コマのうちの2コマの準備も目処が立ったため、11月最初の日曜日は久しぶりに少しだけ心の余裕が出来ました。そこで久しぶりの「今日の塾長」更新です!

ということで、明日11/7が私の父の命日であるため、今日11/6は家族と車で千葉へ!

久しぶりに今年80歳になった母の家に向かい、母を連れての墓参りとなりました。

今年春と秋のお彼岸にお盆も母を連れて行けなかったため、しばらくぶりに母を会うことになりましたが、お盆に母を連れて父の墓参りに行った弟からは「物忘れが酷くてあり得ない話をする」と報告を受けていたので、どんな様子かを家族で観察しに行くのも兼ねての墓参りでした。

朝9時に母の家に到着。「きょうは向こうも来るって昨日連絡があった」というので、それはなかろうと弟に確認。「行かないって連絡したんだけど、やはり分かってなかったか」とのこと。

「今日は来ないから我々だけで行こう!」と説得し、墓参りに向かいます。

車中での母は以前と同じように最近の出来事を話してくるのですが、それも以前のようにいつまでも話が終わらない、ということはなく、次第に同じ話を繰り返すように。まあ話題が無いと言えば無いのかもしれませんが、、、

今日は朝から天気が良く、風もそれほど無いため9時過ぎでもすでに暖かい気候。

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公園墓地の木々も少しずつ紅葉が始まっています。

父が亡くなって既に38年、当時私は中学2年生の13歳。そう、ちょうど今日一緒に来た息子と同じ歳でした。「明日からうちはどうやって生きていくんだろうか」と子供ながらに感じた未来への漠然とした不安、50歳を過ぎた今も私の頭の中からその思いが無くなることはありません。それに比べると、うちの脳天気なバカ息子ときたら、、、

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「お父さん、今日はこんなに大きくなったあなたの孫が来てくれましたよ!」と話しかける母の姿からは嬉しい気持ちが伝わって来ます。「今日は良かったわ、車で連れてきてもらって。あの子たちは最近来ていないのよ」と弟のことを言うのだが、あれ、今年の夏にお盆に来たこと覚えていないんだろうか、、、

墓参りを終えると母の希望に従い海を見に行くことに!

東金街道から東金九十九里有料道路を走って、2週間前に「黒潮カンファレンス」を開催した九十九里町へ。

有料道路の終点で降りるとそこには先々週の会場「サンライズ九十九里」が見えます。しかし何も反応しない母。とりあえずそこを素通りして白里中央海岸に向かいます。

青い空のした広がる広大な九十九里浜、そして雄大な太平洋。

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天気がいいためかそこそこ車もあり、人もいて、沖にはサーファーが。

「あ~、千葉にもこんないいところがあるのね~、『初めて』来たわ!」と母。

「初めて?」、「そう、初めて、海はいいわね~!」、、、いやいや、何度も来ているでしょ!、と否定するのも何なのでそのままスルーして昼食に。

2階から海が見える食堂に入り、私は地元房総の名物なめろう定食を頂く。本当は日本酒が欲しいところでしたが、ドライバーなのでさすがに無理。

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ここで母は味も口に合わなかったのか、食事を酷評。周りに聞こえるような悪口を言うのは以前と同じ。ただ店の人に捨て台詞を残すようなことはしなかったので、逆に少し大人しくなったか、と苦笑。

ではそろそろと母の家に向かうことに。そして再びサンライズ九十九里の前を通ります。

先々週私が開催した黒潮カンファレンスの会場がなぜサンライズ九十九里だったのか?、それは母と以前九十九里ドライブに来て、サンライズ九十九里を訪ねてソフトクリームを食べて休憩した際、母から「あなたが千葉大の教授になったら、ここで会でも開催すれば」と言われたことがきっかけでした。

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そんなたわいもない一言、言った本人が忘れているのは世の常?としても、サンライズ九十九里は老人会のツアーで来て、料理も美味しかった、と母が言うのでその時立ち寄ったのですが、今日帰りがけにその前を通り、「この建物、知っているよね?」と尋ねると、「行ったことないわ」と母。あー、やっぱりそうか、、、

母の家までの帰り道、繰り返されるのは3つ4つの同じ話ばかり。今自分が口にしたことすら忘れているのだろうか、、、きっとそうなんだろうな、と思いながら車を走らせます。

程なくして母の家に到着。「お茶を入れましょうね!」とお茶葉を探すも「これは古いから新しいのを出しましょう!」と新しいお茶の封を開けて茶筒に入れたのに、お茶を入れた後、「これは古いお茶だったから、新しいお茶を入れましょう。あれ、新しいお茶はどこだったかしら」と探し出す始末。挙げ句の果ては先ほど開封した袋を持って来て、「多分これが新しい葉っぱだから」と先ほど入れたところにまた追加。単に忘れっぽいといえばそれまでですが、この数ヶ月で少し「進んだかな」と思わざるを得ませんでした。

「遅くなると千葉を抜けるのに渋滞するから早いけど帰るね」というと、とても悲しそうな表情になる母。今まで「感情を顔に出すのははしたない」と強がりを言っていたはずなのに、その気配はありませんでした。

他人とうまく付き合う事が出来ず、仕事をしても同じ職場で長く働く事が出来ず、近所の住人とは常にトラブルを起こし、その度に長男としてその収拾にあたってきた私としては、母に対しては愛憎相半ばするのが正直な気持ちですが、そんな母でもいよいよ旅立ちに向けた準備が始まったのだな、と感じざるをえません。

勿論悪いことだけでなく、楽しかった記憶もある中、その覚えておきたい楽しい記憶ですら共通の記憶ではなくなっていくんだな、と思うと、悲しいというのか、寂しいというのか、やり場のない思いが湧いてきます、これが「老いる」ということなのでしょうね。

どこまでが「正常」の老化で、どこからが「異常」あるいは「病気」なのか、難しいですね。まあとりあえず月に2-3回電車に乗って千葉までコーラスに行っているようなので、それができなくなったりしたら結構きている、ってことになるのかな、と。

何はともあれ38年の月日の流れを痛感する父の命日でした。

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