新年あけましておめでとうございます。
旧年中は一方ならぬご厚情を頂きましたこと心よりお礼を申し上げます。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
私にしては?ありきたりのご挨拶で始まりました、今年最初の捄国異能塾ポスト。
最近はありきたりのことが言える大切さも大事だと思っておりますので。
12/28の仕事納め翌日から39.9℃熱発、これがインフルエンザA型。南仏留学中に家内と二人でインフルエンザでこれまた年末年始寝込んだ2000-2001以来16年ぶりに罹患しました。これまで予防接種もせず特に感染することもなかったのですが、ついにやられてしまいました。おまけに家内も31日から熱発。年末年始の夜間救急外来なんて一体何時間待たされるか分かったものではないですから、私はタミフル内服後1日で解熱したため2日半分まで内服し、残り半分を家内に飲ませ、今朝ようやく家内も解熱しました。やれやれ。
ということで、本来であれば年末に2016年を振り返り、元旦に2017年への思いを語る予定でしたが、残念なことに今日1/2にまとめて投稿することにさせて頂きます。
約20年ぶりに母校に戻ることになり、千葉大学の教員として正門をくぐったのは昨年2016年1月4日でした。それから「1年間走り続けた」と言って、皆様からもご同意を頂けるのではないかと思います。ただ闇雲に突っ走ったのか、と言えば決してそうではなく、前職獨協医大にて既に4年9ヶ月主任教授を務めた経験を生かした形で進めることが出来たと自負しております。それを振り返ってみたいと思います。
1/4の辞令交付式で千葉大学長のT先生から与えられたMissionは「先生は薬理学なのだから医学部と薬学部の連携を進めるように」であり、これはまさに私の望むところでした。2006年の第1回トランスポーター研究会年会、そして2007年の文科省特定領域研究「生体膜トランスポートソーム」第1回若手ワークショップを代表として続けて開催したことを契機に始まった薬学系研究者との交流はその後数回の日本薬学会でのシンポジウムオーガナイザー経験を経て、獨協医大主任教授に就任した際の「日光シンポジウム」主催から昨年の千葉県九十九里町での「第1回黒潮カンファレンス」主催へとつながりました。
元々同じ千葉大出身のトランスポーター研究者ということで、薬学部C教授(現名誉教授)のスタッフであった先生にC先生の退任と同時に4月から学部間異動をして薬理学教室にいらして頂けたことで、さらに薬学部の先生方とお会いする機会に恵まれ、元々の知合いであったI藤晃成教授やO椋教授に加え、合成のN、T、N教授をはじめ、A、K、I素行教授、そしてM、H、T野、A教授と多くの先生方と早い時期から面識を得ることが出来、さらにN先生とはトランスポーター分子標的創薬の共同研究を始めさせて頂けたことが昨年の実績の一つと言えるかと思います(まだ本当の意味での「成果」はないですが)。
続いては千葉大学の誇る6つの「戦略的重点研究強化プログラム」に当たる「キラリティー物質科学」と「医工学」に参画する機会を得たことです。最初の「キラリティー物質科学」は工学部のO教授がその責任者ですが、これは去る共通の友人を介して紹介して頂いた理学部のM田教授との出会いです。「トランスポーターをはじめ膜タンパク質の結晶化をやっている先生がいるから会ってみれば」ということで(文字通り)気軽に部屋をお尋ねした所、研究のご紹介を頂けることになり、初回から意気投合し2時間以上も話込みました(笑)。続けて千葉大には”Chiba Chemical Library”という独自の化合物ライブラリーがあることを知り、その責任者が理学部のA井教授と伺い理学部を訪問した所、なんとM田先生の教室のすぐ近く!、しかも一緒に「分子キラリティ研究センターMCRC」をやっていると伺い、私もM田班の1サブグループとして4月から参画する機会を得ることができました。そこで早速4月からMCRCの亥鼻出張所?という立ち位置で「分子キラリティ亥鼻勉強会」を立ち上げ、医学部、薬学部に真菌医学研究センターを加え、そこへ西千葉からもご参画を頂く異分野融合セミナーをこれまでに5回開催致しました。理学部からはM田教授に加え、M浦教授にも定期的にお越し頂き、逆に私も西千葉での分子キラリティ定例ミーティングに出やすくなりました。
続いては「医工学」ですが、元々前職獨協医大では産学連携による非侵襲生体計測医療機器開発プロジェクトを進めておりましたが、それを千葉大に異動後どう進めるかフロンティア医工学センター長のI教授にご相談に伺い、その際に頂いた医工学センターパンフレットの中に、私がまだ千葉大に在籍していた際に外勤先で一緒だったと記憶するお名前を発見。そこでその方に連絡をとり面会した所、やはりその方!、しかも既に自分の発案で医療機器を開発されていたという恐るべき人。そう医工学のK先生でした。K先生の熱意に感銘を受けるとともに、未来志向の姿勢に意気投合!し、黒潮カンファでのシンポジストをお願いしました。その後K先生の助力を得て、フロンティア医工学センター兼任教員(教授)となることができ、いよいよ千葉大においても非侵襲生体計測医療機器開発プロジェクトを展開する基盤を作ることが出来ました。
さらに広い意味で「医薬連携」と言えるかと思いますが、千葉県内、特に千葉から東京に向かう県西部に集中する4大学(千葉大学、東邦大学、日本大学、東京理科大学)の、(基礎)薬理学教室が集う会を開催するべく各大学薬理学教室の表敬訪問を行い、今年からの4大学薬理学教室合同勉強会発足へのコンセンサスを得ることができました。まずは今年1月、基幹となる教室の責任者にお集まりを頂き、幹事会が開催される運びとなりました。この開催がすぐに何かの成果に直結するか、と言われればそれまでですが、折角近くにいるのだから顔くらい知っていても悪くはないでしょう、まあそんなノリです。
この他にもまだまだ色々な共同研究ネタを仕込み、potential collaboratorsの発掘に努めましたが、その全てを紹介するのは不可能ですので、この辺で終わりにします。
以上の活動の延長線上にあって行われたのが昨年10月の「第1回黒潮カンファレンス」です。獨協医大の特任教授としての立場を生かし、獨協医大の共催、千葉大学と医学研究院および薬学研究院の後援を頂き、千葉県九十九里町の「国民宿舎サンライズ九十九里」での1泊2日で開催し、参加者111名を集め大盛況のうちに終わりました。主に千葉大の医学研究院、薬学研究院でここ1年前後に教授になった方々を中心に、私と共同研究などご縁のある先生方にお集まり頂き、「千葉の片田舎で太平洋(世界)に吠える!」試みが達成されたものと自負しております。
とまあ、ここに書いた内容を実行して来れただけでも就任1年目としてはまずまずであったと考えております。ただ逆に獨協から通算すれば教授6年目に入っているので、出来て当たり前と言えばそうとも言えるのですがね。
何はともあれ新天地、母校千葉大での挑戦は2年目に入ります。4月からはまた小児科と泌尿器科から大学院生を2名受け入れることが決まっており、また6年生薬学部卒業生が薬理学properの4年生大学院に入学してくれます。その後もタイからの留学生が2名、そして産婦人科からの大学院生は1名増える可能性もあり、嬉しい悲鳴なのですが、それを支える財政基盤がどうなるかは全くもって未知数です。そこを今後どう安定化させて行くのか? 公的研究費を始めとした競争的研究資金をどう集めてゆくのか? さらにバックグランドの異なる大学院生にそれぞれ相応しい「研究テーマ」をどう与えてゆくのか? 2年目にしていきなり私の真価が問われることになりそうです。
真剣に考えると眩暈しそうな悩ましさですが、南房総館山出身(生まれは樺太)の父親から受け継ぐ「楽天的」な性格を持って、東北盛岡出身(生まれは秋田)の母親から持つ「粘り強さ」で持って、この逆境?に向かって行きたいと思います。
年末に16年ぶりにインフルエンザに罹患してしまいましたが、私の尊敬する中国の偉大な指導者 鄧小平氏の「尺取虫が体を屈伸しながら前進するように、屈するのは伸びるための準備」という「屈伸哲学」が私のモットーでもありますので、休むのは動くための準備と思い、三ヶ日はゆっくりしようと思います。
長くなりましたが、今年も「捄国異能塾」塾長である私の動静にご注目頂きますようお願い申し上げます。