2日間の夏休み:山口県弾丸ドライブ

お盆休みが明けて8/16-23までの8日間、色々な原稿の期限に追われながら、様々な雑用をこなして慌ただしく過ごしました。で、本当は8月末には昨年入会し、今年から評議員になる某学会の大阪での学術集会に参加する予定でしたが、抄録を送っていたにも関わらずいつまでも連絡がないので、忘れていたら、学会直前になって私の演題が入っていないことに気づき、学会事務局に問い合わせしました。返ってきた返事は「1日100通以上のメールが来るので見落としが起こる可能性があるので、返事がない場合はそちらから問い合わせをしてくださいとあらかじめ書いてあります!」という謝るどころか高飛車な返事。こんなところにクレームをつけてもラチがあかない、あまりにも無責任な対応に呆れました。はい、横文字の名前の業者さんです。未だにこんな「塩」対応で仕事できるんですね~

何はともあれ、今年は科研費も落ちまくって、「発表の無い参加だけの学会には旅費を出さない」宣言を自分がしている手前、私自身が発表も無いのに学会に参加しては示しがつかないということで、大阪で会食をする予定もあったのですが、お詫びして延期にして頂き、木金の二日間思い切って家族と夏休みにすることにしました。

と言ってもこれからどこに行こうか? たまたまJALのマイレージが70,000残っているので、このたまったマイレージでどこかに行こう!、ということになり、羽田からマイレージで往復できる空港はないかなと調べたところ、札幌、沖縄、福岡、松山そして大抵空いている?小松などを調べましたが、どこも往復できる場所は無し。地方の空港を片っ端から調べて浮き上がった候補は徳島と北九州。さあどちらにするか? こういう時は大抵息子に行きたい場所を決めさせます。今回の息子の選択は、、、「北九州」空港

しかし木曜日の朝は6:25出発、金曜日の帰りは20:50出発。これはかなり滞在時間が取れる!と思うのは私だからでしょうか?、1泊2日をフルに使えそうですが、体は疲れそうですね、、、(^^;;

何はともあれ、空港が決まれば、訪ねる場所は私が決定。ちょっと前に見た映画「海賊と呼ばれた男」のモデルとなった出光佐三が出光商会を創業した場所「門司」に前から行ってみたいと思っていたので、「門司港レトロ」なんていいかな、でも北九州市自体なら車はいらないけど、1泊2日で回る見どころはあるかな?、などと(ほんの少しだけ)悩みながら、帰宅途中の千葉駅の駅ナカにある本屋へ。

福岡県のガイドブックを見ると半分以上が博多の情報で、門司・下関はごく一部。

そうだ、海峡を渡った先は、私の好きな「長州」だ!、ということで、福岡県のガイドブックをおいて手に取ったのは山口県のそれ。

北九州空港から高速で関門海峡大橋を渡れば、山口県の萩まで余裕で行けるな。初日下関から日本海沿いに萩まで走れば助手席側から海がずっと見られるな、帰りは山を抜け、あのカルスト台地を走っていけば高速に戻れるので、そのまま門司港レトロを見ることができるな、というプランを立て、天気予報をチェック。なんと木曜日は晴れで金曜日は雨、ということは、今のプランがドンピシャ!

初日の海沿いのルートで立ち寄り店はどこにしようか、とガイドブックを眺めると、目に付いたのは崖の上から下までいくつもの赤い鳥居が続く元乃隅稲成神社と、これは本当なんだろうかというエメラルドブルーの海にかかる角島大橋の2つに目がいく。これだ!、これはかなりフォトジェニックだ!、ということで、以上の2箇所はMUSTとして、あとはその日の気分で適当に決めるという安西流の「枠だけ決めてあとは流れで」作戦。

出発の前日も銀座で会食があったため、前日は家族3人で蒲田駅近くのビジネスホテルに宿泊。前夜寝たのは1時過ぎでしたが、朝5時には起床して5時半にはホテルを出て京急蒲田駅へ。わずか10分と思ったものの、東京は朝から気温が高く10分歩くと汗をかく始末。こりゃホテルからタクシーにすればよかったか、、、

何はともあれ、余裕を持って羽田空港に到着。朝の5時前でも空港行きの電車は結構な人。東京はすごいですね~

すでに日の出から時間が経っていて、羽田空港周辺はいい天気! 飛行機は空席もあり、気楽なフライトの始まり。JALの機内WiFIを利用してSNSを楽しんでいるとあっという間に北九州空港到着。ここもいい天気!!

幼い頃からこの方、私、そして私の母は入学式や卒業式など雨に濡れる心配をしたことがなかったので私は自他共に認める「晴れ男」。そしてその息子もここまで幼稚園以降の入学式や卒業式などが雨だったことがない「晴れ男Jr」。ということでダブル晴れ男パワー全開ですね!(^^)

実は企業さんからの依頼講演で地方に行く際、同行するMRさんが天気予報で降水確率が高いから、傘を持って行こうかどうしようか、と考える際、今日はA先生だから晴れるな!、と思ったので傘は持ってきませんでした、そしたらやはり晴れましたね~!、なんてことがしばしばあり、私の周辺のMRさんにも知られております(笑)

晴れ男でも悪い点があって、夏の海ならまだしも、春や秋、たまに冬でもかんかん照りになるため、大抵日焼けします(遊んだのバレバレ、汗)。そして晴れにはならずに外れた際は傘を持っていても仕方がないほどの大雨になりずぶ濡れになるのです、、、まあ傘があってもなくても同じ状態、だったら重く邪魔になる傘は持たない、というのが私でした。

晴れ男自慢が長くなりましたが、北九州空港からレンタカーに乗り、めかりPAで関門橋の記念撮影をしませると関門海峡を超えて山口県へ! 下関ICで早速高速を出て、国道を海沿いに北上します。

30分くらい走ると市街地を抜けて、日本海が見えてきます! 青い空に青い海、気分は最高! とりあえず最初の訪問地、角島大橋を目指します。

と、途中に「本州最西端」こちら!、という看板を見かけます。ん?、最西端?、これは行かねば!、と最近はFBで友達になった某Y市大小児科教授の影響を受け、海に突き出た陸地の先端訪問を欠かせないのです(^^)

途中まではいい道でしたが、あるところを過ぎると「こんな道を進むの?」という道になり車1台しか通れない場所も進まねばならないことが多々あるのですが、車に乗ったら兎に角「前進あるのみ!」の私。いや、私が南仏留学時代に乗っていたボロ車が、バックで坂を登れなかった(つまり下るだけ)トラウマから、兎に角進む時は坂を登ればいい、という習性ができてしまったのです。

言い訳はそれくらいにして、本州最西端「毘沙乃鼻」の駐車場に到着。ここでもそれなりに海が見えますが、歩道を歩くこと数分、目の前に180度広がる日本海が我々を待っていました!

海と陸と空の境目に立つと、なんだかしれませんが心が洗われる気がします。この爽快感、まるで神の領域に近づいた気がするのです。当初の予定になかった場所でしたが、来てよかった!、という場所でした。

「毘沙乃鼻」を訪問後、再び角島大橋を目指して国道191号「西長門ブルーライン」を北へ。

途中見かけた気になる看板。福徳稲荷神社、そして二見饅頭。ガイドブックになかったけど無~。しかしまだ最初の目的地に着いていないからな、と思いを振り切って先に進みます。あとで地元の観光パンフを見たらどちらもなかなかの場所&土産。福徳稲荷は絶景ポイント、二見饅頭は創業80年、しかも響灘には二見夫婦岩があって、神社オタクとしては大失敗(^^)。まあそういうこともあります。

そろそろ車も減り単調な道が続くと、昨晩の睡眠不足に早起きが重なりだんだん眠気が、、、自分で頬を叩きながらなんとか近くの道の駅「北浦街道 豊北」へ車を止めます。家族二人には売店でもフラフラしてもらって、その間私は5分だけ睡眠。はい、5分寝ると回復します! 予定通り5分寝て目が覚め、道の駅内を私も散歩。テラスに出て海を見ると、そこから「角島大橋」が見えます。うん、確かにエメラルドブルー!、山口県ごとき(地元の方すみません)で、エメラルドブルー、すごいなここ! 期待が高まります。

家内がお昼代わりに、と買ってきたのが二見饅頭。小ぶりな饅頭が20個も入っています。なかなか美味しいと一気に3-4個食べお腹も満たします。これで昼食を取らずに走れますね!(^_-)

そして程なく角島大橋に到着。一体どこにこれだけの人がいたんだ!という感じで駐車場にも車が沢山いて、橋のたもと?にある展望所には撮影する人が沢山。はい、晴れ男パワーのお陰でガイドブックと同じようなエメラルドブルーの海(^o^)/

いや凄い、日本とは思えないこの景色! これまで南仏滞在組の一人として、ジャパニーズコートダジュールは南房総だ!、と信じて疑いませんでしたが、ここ山口県下関市の海はその称号を得るのが相応しい景色ですね~、いや驚きでした、山口県なめてました、すみませんm(_ _)m

角島大橋の素晴らしい景色に打たれたものの、橋を渡って行った先には灯台しか無いようなので、まあいいかということで橋を渡らずに先を急ぐことに。この辺りですでに、「ここはもう一度来るべき」という思いを持っていたのでした。

そこで車は先を急ぎ、下関市から長門市に移動します。30分もすると二つ目の目的地、元乃隅稲成神社に到着。ここは米CNNが「日本の最も美しい場所31選」に選んだ崖に伸びてゆく鳥居で有名な場所。いわゆる日本の観光地は「札幌時計台」や土佐の「はりまや橋」のように、○大がっかり観光地などと呼ばれる場所も多い中、ここ元乃隅稲荷神社は噂通りの絶景ですね!

まずは駐車場と同じレベルにある大鳥居?をくぐり、日本一入れるのが難しい賽銭箱の下へ。一回投げてみたらちょうど賽銭箱の角にあたりお金が落下。二回目は届かず、しかし三度目の正直、投げた賽銭は見事に入りました! あれ、何をお願いするんだっけ?、しまったお賽銭が入りますように!と祈ってしまった(大汗)

この賽銭箱に入ると願いが叶う、、、はずの願いを間違えた~~、と思っても後の祭り(涙)、まあこんなものか。

続いて鳥居に沿って断崖に向かう。いや本当にこの鳥居、京都伏見の千本鳥居なみの存在感。鳥居を抜けた先の日本海に突き出た断崖もなかなかの見所。ここには「龍宮の潮吹」という名所があるのですが、今日は波が穏やかなせいか潮吹が見えず。まあまた次回くればいいか、と言い聞かせ、神社を離れることに。

続いて訪ねたのは日本海を一望する大パノラマの「千畳敷」。本当に広くてのびのびできる場所ですね。ここでお昼を食べたら気持ちいいあろうな~、と思います。

さあここでここからどうするか、を検討。萩の宿には4時頃までに着けばいいか、ということで、千畳敷から見ることができた青海島に行くことにします。

こちらも30分ほど走ると青海島観光に到着。途中一か所、気になる神社があったので、立ち寄り参拝。漢字が違っていたのでわかりませんでしたが、貴布禰神社でした。恐らく京都の貴船神社と同じ系列かな、と。

到着するまでに車中で家内会議。青海島を観光船で回るのがいいらしいのだが、1周1時間20分、時間はあるが、これに乗ると宿に4時に着くにはギリギリになるのと、うちの家内は少しの波でも船酔いするため、はて、どうしようかと思案。いつもは元気な息子もずっと後部座席にいたためか、はたまた朝から何も食べていないせいか、「お腹が変」というので、観光船は諦め、車で行ける「くじら資料館」を訪ねがてらドライブをすることに。

橋を渡って島の先に向かい車でひたすら走る。結構広くてなかなか資料館につかず。途中何回か上り下りを経て、上にクジラの置物?が乗った建物を発見。ついに到着。漁港のほとりにある小さな博物館ですが、我々の先に訪問者がいました。

「ご説明しましょうか?」と学芸員(あるいはボランティア?)の方にお声をお掛け頂きましたので、ではお願いします、ということで15分くらいのお話を伺う。

「鯨の墓があるのは全国でもここだけです。鯨には戒名もつけて今も毎年祈祷も行っているんです」とのことで、最近世界的に制限の強い捕鯨ですが、勿論今は全面禁止でここ青海島でも漁は行われていないものの、行われていた当時からその命を奪うことに如何に敬意を払っていたか、がわかります。

そんな説明を伺っている時に携帯に電話。見るとエイズ治療薬を開発された某大先生から。早速部屋を飛び出して電話を受ける。今年11月の我が大学での講義日程の確認でした!、ホッと一息(^^)。1月に続いて今年度も講義をしていただけることになりました。

ご説明を頂いた後、折角なので資料館を出て、鯨墓を訪ねます。港を見下ろす丘の中腹に建てられたお墓。母鯨を解体した際に子宮内から出てきた胎児が70頭が埋葬されているとのこと。本来ならこの世に生まれてきたはずの命、人間でなくてもそのまま廃棄するなんて出来ませんよね。家族3人で祈りを捧げてきました。

青海島遊覧は次回に回すことにしたので、資料館を訪ねたら、仙崎の街に戻ります。途中王子山公園に寄って仙崎の街を見下ろす展望台を訪問。そう、ここ仙崎は詩人「金子みすゞ」のゆかりの地。彼女も見たこの景色を眺め、テンションを上げて金子みすゞ資料館へ!

元々文房具屋だった彼女の嫁ぎ先の建物がそのまま?保存されており、そこが資料館の入口。その2階の部屋にいて我々の心に残る数々の詩が生まれたのだな、と感慨深いものが。その建物を抜けると本当の?新しい建物の資料館が。

金子みすゞの人生は、私がここ10年以上購読している「歴史街道」で以前記事があったので、なんとなく若くして死んだことは知っていましたが、改めてその人生に触れて詩の背景を知れてよかったです。

館内の大きなパネルを写真に撮ろうとしたら、バカ息子が邪魔をしてそこを退きません(^^;; 仕方ないので、息子もろとも撮影。それに満足したら動いてくれたので、今度は息子無しで再度撮影。「息子と一緒の写真と息子がいない写真とどっちが大事なの?」と家内。「え~、そりゃいない写真で書」と答える私。怒って私の腕に噛み付いてくる息子、お前は幼稚園児か!(^^;;

でそろそろ疲れてきたので、そろそろ仙崎を離れ、いよいよ今晩の宿泊地である萩市へ(^o^)/

マイレージでのフライトを予約してから、萩の宿を探したので、おそらくそれほど宿は残っていなかったのだろうと思うのですが、日本の夕陽百選「菊ヶ浜」に面するオーシャンビューが自慢の宿を発見。食堂からも部屋からも日本海が見える、って本当かな~、と思いながらも予約をしたのですが、実際に宿に到着して中に入りびっくり! 確かに目の前に君ケ浜と指月山が! これはいい!!

そして今晩の部屋に。なんと窓を閉めても聞こえてくるのは波の音! 4時前に着いたので、早めにお風呂でも入ろうか、4時になったら大浴場に行こう!、なんて言っていたのに、この波の音に癒やされていたら、早起きと疲れで皆でうたた寝。風呂どころではなく、気がついたら夕食の時間まで寝ていました(苦笑)

で、旅の楽しみのひとつは夕食。特に今回は50歳以上の人がいるとサービスで1皿追加できるというので、ふぐ刺しを追加。まずはビールで乾杯。その後は地元の日本酒「長門峡」と一緒に、沈みゆく夕日を見ながらの夕食は至福のひと時ですね!

夕食後には息子と大浴場に行き、のんびりと湯船に浸かり、旅の疲れを癒します。

初日は大満足の1日でした。

 

二日目の朝、外は曇。予報では60%の降水確率。所詮?ここは日本海側。昨日のようないい天気の日はそうないはずなので、まあ仕方ない。朝6時に起きて浜辺を散歩しようか、と前夜には話をしていたのに、結局二人とも起きられず(^^;;

7:15から朝食。外を見ると指月山が霧に咽いでいる、、、と思ったら外は結構激しい雨。ここのホテルでは無料サービスとして、マイクロバスに乗って萩の城下町の主だった史跡を約30分で紹介するというものがあり、8:00出発の為7:55にロビー集合。なので、まあ余裕はあるのだが、ゆっくりも出来ないので、普段よりは急いで朝食を済ませる。

そしてマイクロバスに乗り出発! このホテルグループ?の会長と称する年配(高齢?)の男性の録音された音声によるガイドを聞きながら、萩市内の路地を回る。永代家老の家の壁の長さ、お屋敷の広さなど、そのスケールの大きさに驚く。雨の中でしたが、バスのお陰で30分とはいえ、萩市内をざっと回れたのは良かったです!

部屋に戻り、少しゆっくりしたら朝9時、宿を出発。向かった先は、そう、長州びいきの私、毎年正月には世田谷の「松陰神社」に初詣をするのですが、ここに来た目的の一つ、本物の松下村塾が残る萩の「松陰神社」です。

萩城の城下町から結構離れた場所にあったことがわかります。わざわざ、街中に住む子弟がここに集い、吉田松陰先生の教えを受けた若者たちがその意志を継いで、明治維新を成功させ、欧米による植民地化を避け、アジアの大国となる道を開いたことに感慨深いものがあります。そうまさにこの地が近代日本の原点と言えます。

この時には朝の雨も止み、時折小雨がぱらつく程度だったので、傘もささずに参拝しましたが、車に戻り、出発した途端に激しい雨が降ります。「もう行ってしまうのか?」と引き止められている感覚に襲われますが、今日東京に戻るため、先を急がねばなりません。萩のお土産を買うべく道の駅 萩シーマートへ。この時まではまだ大粒の雨が降っていて、さすがにここでは傘を開いて店内に入ります。

お土産等を買って外に出ようとすると、雨はすでに上がり、雲の切れ目から青空も! うん、これってやはり日本海気候ですね、それともやはり晴れ男パワー!?

ここを最後に萩を経ち、次の目的地秋吉台に向かいます。そう秋吉台といえば地理で学んだ「カルスト台地」! もともと2日目の方が天気が悪い予報だったため、車の中からでも見られるため、この日に秋吉台に行く予定でおりました。

カルストロードと名付けられた道を進むと、木々に覆われていない丘が見えてきます。雨も上がり、そこにはそうあの石灰岩があちこちから顔を出している高原が広がっています。ただ、ガイドブックの写真で見るほど岩が集中していないので、正直丘の中に歩いていかねばフォトジェニックなものを撮影できないようですね。

とは言いながらも次から次と石灰岩の高原が続くのを見ながらのドライブは快適。ほどなく展望台に到着。うん、見晴らしはすごく良いのですが、カルスト台地が良く見える!<ってほどではないですね。きっと遊歩道を歩いていかないとそれらしい光景には出会えないのでしょうね。1泊2日では無理かな~

展望台では山口名産?の夏みかんのソフトクリームを頂く。いい休憩になりました。

そこから、もう一つの見どころ、秋芳洞へ!

  

展望台の近くにあるエレベーターで80メートルを下って地下の鍾乳洞へ。これが意外に広くて約1 kmを往復。その途中には写真に良く出る「百枚皿」を始め、「黄金柱」や「洞内富士」、「傘づくし」に「巌窟王」など、見どころは沢山! 一度は訪ねるべきですね。洞内は寒すぎず適度な気温。でも明かりが少ないのでスマホで写真に撮っても全然写りが悪いですね。まあカメラを買うまででもないので、行った記録程度になればいいかと。

さて、秋芳洞の次に予定していたのは門司港レトロ。しかし現在午後1時半。飛行機は8時50分なので、それまでかなり時間もある。しかし約2 kmを歩き疲れたので、あまり歩くのも疲れるし、、、ということで、困った時はまず道の駅!ということで、道の駅みとうへ。

ここにあったのはなんだかお地蔵さんチックな大仏さま。なんでもこの近くの銅山で取られた銅が奈良の大仏さま建立で使われたので、奈良と関係が深いのだとか。知らないですよね~、ここまでは!(^^)

で、この近くには維新ゆかりの地があるということに気づきます。そう、ここは私のヒーロー高杉晋作が伊藤博文らと共に決起した後、それに同調した山県有朋率いる奇兵隊が、藩の保守派から派遣された武士中心の部隊と戦った「大田絵堂の戦い」の中心地で、本陣をおいた場所。まさにそこが「金麗社」という神社。ここの戦いの勝利が長州藩の藩論を倒幕に変えることができた、つまり維新回天はここから始まったのだ、と思うと、単なる田舎の神社ではありましたが、身も心も震える感覚でした。そう、そんな私の気持ちに神様が気づいてくれたのか?、境内に入り、本殿で参拝をしようとした時、にわか雨が! この雨ならそう続くまい、そう思って家族三人で参拝し続けると、期待どおり雨が小降りになります。ここに来てくれたことへの神様の嬉し涙かな、といつもながら都合良く解釈してます(^^)

さあ、そろそろいいかな、ということでここから高速に乗って一気に下関、そして関門海峡を渡って門司港に向かいます。関門海峡の手前の壇ノ浦PAで写真撮影。

門司港ICで降りて車を止めるために海峡プラザへ。平日でしたが、主に中国と思われるアジアからの観光客が大勢います。お腹が空いたので、まずはここで遅い昼食。

入ったのは海峡プラザにある門司港レトロ食堂。ここで門司港発祥の「焼きカレー」を頂くことに。特に私は鯨の入った「くじら焼きカレーセット」。カレーの上にチーズや卵が入って、なかなかのお味。

お腹が満たされたらいよいよ横浜、神戸と並ぶ国際貿易港だった当時の面影を残すレトロな建物群を見に散歩をすることに。そう、ここ門司港は私が先日見た映画「海賊と呼ばれた男」のモデルとなった出光佐三が始めた「出光商会」創業の地。そんなこともあり、「南の小樽」の散策をしに来たわけです。

旧門司三井倶楽部、旧大連航路上屋、旧大阪商船、旧門司税関に国際友好記念図書館と回ります。途中雨がぱらつき、傘が必要かと思うと止み、空には青空が出たりとわずか小一時間でもめまぐるしく移り変わる天気、さすが日本海性気候ですね~

本当は出光美術館を始め、出光佐三が結婚式を挙げたとされる甲宗八幡宮や贔屓にしていた料亭の三宜楼などを訪ねたかったのですが、この日はここまでで既に12,000歩を歩いているせいか、なんとなく疲れが出たので、まだ3時半すぎでしたが、空港に戻ることにします。

高速を走り空港のレンタカー会社の営業所に戻ったのが、午後5時半。本来は午後7時までの利用だったため、場所によっては早く到着した際にはその分安くしてくれる良心的な営業所もあるのですが、ここではその配慮は無し。先日の庄内空港もそうでしたが、ここ北九州空港も配慮はなしでした。いちいち文句を言うのもみっともないので、とりあえず空港に行くことに。

今回の帰りの便は金曜日の夜ということもあり、マイレージで予約できるの横の並びの席がなかったため、仕方なく家族3人真ん中の席を予約したのですが、JALのカウンターの方が「3人掛けは無いのですが、窓際の2人掛けと通路側一人で取れます、というので、それをお願いする。これは気が利きますね! 1時間半とはいえ真ん中で3人バラバラだとなんとなく疲れますので。

荷物を預けて6時前。まだ3時間近く時間があります。ということで、空港のレストランへ。先ほど焼きカレーを食べたばかりでしたが、手持ち無沙汰?なので、空港にあるダイニングれすとらん海彩で「ちょい飲みセット」を注文。枝豆に小魚のみりん干しなどのつまみで家内と二人生ビールを頂く。1泊2日の強行軍でしたが、体調も崩さず、事故にも会わず、家族全員無事であることに感謝の気持ちで乾杯!

それも30分しか持たないため、生をまた注文し、お店の名前の付いた海彩バーガーを追加で注文。ほぼこれで腹も満たされました(^^)

夜20:50出発にもかかわらず、搭乗開始は20:45、これって、、と思ったら案の定出発遅れ。それでも帰りも意外に短かった感じで、羽田到着は夜10時半。

吉祥寺行きのリムジンバスは22:35で既に出発。明日息子が登校日で朝7時に家を出流というので、あまり遅くなってもいけないため、今回はタクシーで三鷹まで帰宅。料金は時間外定額なので13,000円。とはいえ家には11時半前に帰れるし、体は楽で重い荷物も関係ないため、楽チンですね。お陰様で金曜日のうちに帰宅できました。

長い長い1泊2日、無事に終わりました。

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