大坂春の陣2:日韓薬理セミナー復活!

大坂春の陣1から時間が経ってしまいましたが、新しい年度に入る前に大事な記事だけ今年度中、つまり今日3/31中にUPしておきたいと思います。

3/15(金)
この日は朝から口頭発表の日。そう、昨年この年会の締切を過ぎても演題の集まりが悪いので、各教室から1題追加で応募して下さい、という金井年会長からの指示があり、元部下の私は率先して自ら演題を1題応募したのでした。
しかしその後翌日の日韓薬理学セミナーでもお話をすることになったため、なんと会期3日間で三日連続で発表という地獄のスケジュールになってしまいました(汗)

朝の口頭発表、なぜか私の発表後は多くの質問が出て、場が活性化した感じ。
まあ反応が無いよりはずっといいのですが、沢山の質問にタジタジでした(^^;;

ここで驚きは昨年卒業したD医大時代の教え子で今は青森県の方で初期研修をしているYくん、改めY先生が学会に来てくれたこと! なんでも学会出張費が出るから、とのことですが、そので臨床の学会ではなく、薬理学会に来てくれたことが嬉しいですね〜! セッション終了後に記念撮影をしました(^^)

口頭発表セッションを終えると、お昼はお弁当を食べながらの国際対応委員会に参加しました。
今回は日本医学会IUPHAR分科会との合同とのことで、普段より若干多い参加者数(とはいえ、何人かの先生方は両方兼任ですので、単純に倍にはなりませんが)

国際対応委員会はI委員長を除く6名はそれぞれ、日米、日英、日豪、日韓、日中の担当が決まっております。あれ、1名足りない?、そう、それは私(笑)
私は基本となる以上の5つの二国間関係ではなく、APFP(アジア太平洋薬理学者の会)の担当を拝命しております。現在APFP理事長は日本人で、元東大、現立命館大のM先生で、前回2016年タイBangkoでの開催時に、夜M先生と一緒に飲んだことをきっかけに、M先生のサポーターおよびAPFP担当になった、という次第です。

しかしこのAPFP担当というのは微妙?で、日米、日英を除く3カ国はAPFPのメンバーでもあるため、2016年12月の米子での臨床薬理学会の際に日中薬理・臨床薬理ミーティングが復活した折には、参加できない理事長、副理事長、日中担当国際対応委員の代理として、「APFPには中国も含まれているから!」という理由で、私が出席し、中国薬理学会理事長、日本臨床薬理学会理事長、そして私(単なる1学術評議員でわずかに国際対応委員、という明らかに格下)という3名での特別講演セッションに参加したのでした。

米子での日中business meetingにて、「お前が薬理学会側の交渉窓口か?」と詰め寄られる?のですが、「いや、あくまでも代役」と言い張ってその場は凌いだのですが、昨年夏、京都でのWCP 2018の際、中日懇親会が開催され、その場の流れで、次回2019年の第7回日中薬理・臨床薬理ミーティングの薬理学会側連絡担当になってしまったのでした。しかし話はそれでは終わらず、私は運悪く?(苦笑)日本臨床薬理学会の国際交流・リエゾン委員を務めており、当時国際交流・リエゾン委員長で、元同僚の獨協医大S先生に嵌められ?、臨床薬理学会側連絡担当もついでに!、ということになり、なんと両学会の日中連絡担当になってしまったのでした。いや、まあ仕事だからやりますが、私まだ一度も中国行ったことないのですがね、、、(大汗)

ということで、国際対応委員会では台北で来年行われる次期APFPの開催予定(2020.5.4-7)についての報告と、今年の夏に常春の国、雲南省昆明で開催されます第7回日中薬理学・臨床薬理学ジョイントミーティングが8/4(および一部8/5)に開催されることを報告しました。

最後に委員長のI先生から「先生が提案されていたサポーターの件、少し検討したいですね」とのこと。「有難うございます。サポーターでは少し下からになってしまうので、対等な関係ということで、『アソシエイツ』にしたいと思います」とお答えしますと、「どこどこの学会でもアソシエイツという言葉を使ってますね」とI委員長。「次回までに案をまとめて提出させて頂きます!」とお答えし、私が理事選の公約としてあげさせて頂いた国際対応委員会「アソシエイツ」制度がいよいよ始まることになりそうです!

国際対応委員会終了後は、私のせいで半年以上止まっている某出版社による「薬理学教科書」の編集会議。前任の方が寿退社され担当が変わって初めての会議。
とにかく私に任せていても始まりませんので!、と開き直りの言い訳(汗)で、私の執筆部分は大幅に限定するとともに、また新たな執筆者を追加して初夏を目標に一気に進めることになりました。
執筆して頂いた先生方、遅くなり申し訳ありません。偏に私の責任です。伏してお詫び申し上げます。

会議が終わると、とりあえず他のセッションに行くのも惜しんで、ポスター会場の机の上で翌日に迫った市民公開講座のスライド作成のため、パソコンにかじりつく。市民公開講座、やはり初めてのことは勝手がわかりませんね。
これまでの専門家向けの話でも、九州地方で減塩を推進しておられる某T先生には「え~、先生が市民公開講座やるの~?、難しそうだな~(^^)」と言われてしまう始末(汗)
まあ専門家ならついてこれないのは自己責任!、と開き直れても、さすがに一般の方がわからないのは確実に演者の責任ですので、どうやったらわかりやすく、どうやったら1時間飽きずに聞いて頂き、どうやったら面白い!、と思って頂けるか?、無い知恵を絞って必死でスライド作りに励みます。

しかし2時間も根詰めているとさすがに疲れが! 昨年の1月から始まった右の五十肩はその後左にも広がり、今は少し腕が上がるようになったものの、今も長い時間キーボードを叩いていると同じ姿勢を続けることで腕が痛くなってくるため、右も左も自由にならない状態が続いているのです。外見的には若いつもりでいても、体の中はもうすっかり老化が始まっているのを自覚している私です(汗)

ということで、少し早いものの懇親会会場のホテルへ向かうことに。まだ入場できない会場前には既にかなりの人が集まっています。なんとなく皆手持ち無沙汰で?待つことしばし、ようやく入場の時間が!

大阪年会の懇親会、年会長のK先生の開会挨拶でいよいよ開会です。

と、ここからは何を話していたのか、既に記憶がないのですが、適度に食べてはいたものの、何だかあちこちで群れ?を作っては盛り上がっていたような感じの記憶が残っておりました(汗)

だいたい2時間の懇親会が中締めを迎え、参加の皆さんが時間とともに段々消えていくので、最後は最初の静けさがなくなった会場で、昨年4月から一緒に理事になった(理事では同期の)来年の年会長G先生と連れ立って夜の街を北新地に向かって徘徊することに。怪しい?感じのお店の誘いを断り(笑)、やっと普通の居酒屋を見つけ、そこに入店。そこで、意気投合だけしていながら、まだ始まっていない共同研究に関する打ち合わせに始まり、今年&来年の年会の話に話題が嫌でも及ぶ。とはいえ、こちらも何かそんな感じの話をした!、というだけで、記憶が曖昧なのですが(苦笑)、日付が変わる前にはお店を出て、お互いそのままホテルに戻りました。

ホテルについて、「さあ、今日は徹夜でスライドを作るぞ!」、と思いながら部屋に戻ったのですが、ちょっとベッドに腰掛けたつもりだったのですが、、、目が覚めたら朝3時!、でした(涙)。いや、最近本当に徹夜が出来ない体になりました。

3/16(土)
朝3時に目覚め、まずはシャワーを浴びて目を覚ましたら、未だ完成に至らない市民公開講座のスライド作りに勤しむ!

どうにかこうにか最後はおっつけて仕上げると、朝9時からの第22回日韓薬理学合同セミナーに参加のため、ホテルで軽い朝食をとった後、会場へと向かう。

なぜ日韓薬理学セミナー?、と多くの方は思われるでしょうが、私が人生で初の学会・研究会での事務局長を務めたのが、この会なのです!
2001年8月にフランス留学から戻り、東京三鷹のK林大に赴任してすぐ、当時の教授E先生から事務局長役を依頼され、何も考えずに引き受けたのが運の尽き!?(^^;;
2002年の10月、K林大学を会場にした第16回日韓薬理学合同セミナーを開催したのです。

帰国後すぐで、まだ薬理学会にもそれほど参加しておらず、講演をされる先生方の顔と名前が一致せず、E先生に名前を言われても誰が誰やらわからず、さらに第16回が日韓薬理学セミナーが始まってちょうど20年の節目ということで、過去20年の歴史を飾った功労者が日韓を問わず集まり、「この人一体誰だっけ?」と混乱してE先生から多大なるご指導を頂いたのでした。

ですが、この年2002年はサッカーの日韓W杯が開催され、個人的には今のバカ息子が妊娠したことがわかった年であり、思い入れの深い年でありました。

その日韓薬理学合同セミナー、私は福井で開催された2006年の第18回、鹿児島で開催された2010年の第20回に参加しており、また第20回の事務局長であったK大薬剤部のT先生は、2002年に参加しておられたこともあり、今でもご縁の深さを感じるなど、確実に私の研究者人生の一部になっております。

この日韓薬理学セミナー、2012年に韓国の済州島で開催されたのを最後に中断。本来は日本で開催するはずだったものが開催されずにいた訳です。
今更誰かに責任を負わせても仕方がないのですが、その時はやろうと思われたとしても、実際こういう会を開催するというのは大変であることは確かですので、次の会長を誰に託すのか、というのは会の継続を考える際に非常に重要であることの教訓を我々に残したと言えるかと思います。

今回7年ぶりに再開に至った裏には、今回の年会長であるK先生の思いがあってのことと感じております。
「今の日本の(薬理学)研究は段々と行き詰まりつつあるが、多くの日本人にはそれが見えておらず、危機感を感じている人が少ない、それに引き換え、お隣の韓国、そして中国のここ数年の進展は眼を見張るものがあり、どう考えても日本が上とは既に言えない状況になっており、分野によっては完全に遅れを取っている。日本にいて、従来通りの活動をしているだけではそのことに気がつくのは難しく、日韓、日中という二国間関係を通じて、今までの『日本が韓国や中国を指導する』という上から目線の交流ではなく、対等なパートナーシップ、あるいは日本が今後は韓国、中国から学ぶという新たな時代に入ったことを自覚し、韓国や中国の交流の中から自らの危機感を持つ、そのために二国間交流が必要である」
K先生の思いを意訳?すると大体上記のようなことになるかと思います。

K林大時代には上司と部下という関係であり、その方針を巡って正直意見が一致しなかったこともあるK先生なのですが、今のK先生の思いは全てが私の中で「腑に落ちる」ものであり、今回の年会、まさに「孤軍奮闘」状態のK先生を少しでもサポートしたい、という思いがあり、それをK先生にお伝えしましたところ、若手研究者に混じって、この日韓薬理学セミナーでの口頭発表の機会を頂いた次第です。

で、ただ発表するだけだったらいいのですが、なんと朝1番の特別講演の座長を依頼され、本来は自分の発表だけで済むはずだったのが、結局朝一番からセッションに参加することになってしまったのでした。まあ、言ってしまった手前、出来ませんとは言えないですからね(汗)

第22回の開会挨拶は国際対応委員長のI先生から!

続いて韓国側代表KW Kim先生のこれまでの経緯を踏まえたご挨拶。歴史の長さがわかりますね。

続いて最初のセッション。これはまずは私が座長という大役(汗)。まあ順調にセッションは終わります。

ということで、朝一番の座長を終え、しばらくすると自分の口頭発表。
自分が事務局長を担当した2002年の日韓の写真を紹介すると、まだ若い韓国の先生方の姿に会場がどよめくと同時に場が和やかになった感じがりました。
して本編の発表。まあどうせ質問なんか出ないだろうな、と油断していたのですが、韓国の二人の方が質問されたのに続いて、国際対応委員長のI先生まで質問に立たれる盛況ぶり!
グタグタな回答ではありましたが、何となく会場から笑いが出てくるなど、いい感じに持って行けた気がしました。

自分の発表を終えると中座して市民公開講座のスライドを登録にPCセンターへ。
ここで最後の修正をするともうスライド作成はこれまで! まあ割り切れますね。

そこで再び日韓に戻り、昼食はK年会長のお計らいで韓国の先生方とともにすることに。既に発表をしていたこともあり、韓国の先生方から個人的に質問を頂いたり、段々と打ち解けてきた感じがありますね。

昼食を終えると、いよいよ今回最大の試練?、人生初の市民公開講座の会場に向かいます。
専門家とは違う方に話をする、今まで普通に使っていた言葉一つ一つがまず伝わるのかどうか、から初めてスライドを作ってきました。教室秘書の方に見てもらったりして、わかりにくいところがないか、どうしたら興味を持ってもらえるか、などなど、1市民の目で見てもらいながら時間をかけてスライド作りに力を注いでみました。果たしてその成果は、、、

ということを考えながら会場に行くと、400名入る会場に聴衆の方はまだパラパラ(汗)。あれ、こんなものしか入らないの?、って感じですが、まだ開始まで30分、まあこの後どれだけ増えるのか、例え少なかったとしても来られた方に全力を尽くすことには変わりないのですが。

で、会場には直前のランチョンセミナーがあるので、遅れるかもしれないということで講演の順番を交代したK川大のN先生が!
「あれ、間に合ったんですか?」、「はい、思ったより早く終わって」、「な〜んだ、それなら(順番を)交代しなくても良かったのに!」
というやりとりをする(笑)

そうこうしているうちに時間は経過し、いよいよ市民公開講座の始まり!
まずは年会長K先生の開会挨拶から!
30分前よりは人が増えましたが、まあ100人はどうみてもいないですね。
50人前後でしょうか? でも多い少ないに関わらず全力を尽くすだけです。

ということで、いつもよりもかなりゆっくりと話をして、それでも数分時間が伸びましたが、まあほぼ予定の60分を話し切りました! 果たしてね、聴衆の反応はどうだったのでしょうかね? 壇上から見た感じでは寝ている人は少なくとも一人も見当たらなかったのですがね〜

次の演者はN先生。40を超える学会に所属しておられ、講演の経験も豊富なN先生、掴みから、途中の飽きさせない多様な話題提供など、さすがですね!
でもこれが最初の市民公開講座というお話ですが、「ウソでしょ〜」という感じでした。

2名による講演が終わると、質問タイム。質問のほとんどはN先生に対するもの。私にはまあ一つ二つであまり活躍の場はなかったのですが、まあ痛風100万人に対し、高血圧や糖尿病はそれぞれ2,000万人ですから、患者数が桁違いなので仕方ないですね。何れにせよ、時間いっぱいを使って時間となり、市民公開講座はこれにて終了! あ〜、やれやれ、ですね。

ここで、夜の日韓薬理の懇親会まではしばし時間が。
ということで、この後はまだ前職であった際に某SNSを通じて面識を得た、もうかれこれ5年くらい?繋がっている臨床検査技師の方お二人(師弟コンビ)と面会。

最近はSNSやこのblogでも書けない様々な依頼があり、初対面の方とお会いする機会が多いのですが、人と会うことが大好きな私でも初対面の方との面会はストレスなのですよ、、、きっとそう見えないかとは思いますが(苦笑)

そんな中、恐らく1年以上会わないのですが、私が関西で講演などをする際には、思い出したように?いらして頂いて、ラーメンを食べたり、酒を飲んだりする不思議な関係のMさんとSさん。今回も当初は「お昼にラーメンでも行きますか!」という話だったのですが、お昼は先の通り、日韓の昼食会が入ってしまったため、こちらの勝手な都合で申し訳なかったのですが、この土曜日の夕方に会場近くまでお越し頂いたというわけです。

私の近況はまあ概ねSNSや異能塾に書いた通りですので、そこには書けない裏の事情をご披露(笑) かなり異能塾を読み込んでおられるお二人ですので、「あ〜、そうだったんですね」と私の種明かしに喜んで頂けた様子。お気付きの方も多いかと思いますが、私のこのblogは「謎解き」バラエティ?みたいなもの。表面的な部分で楽しむのも一つ、各投稿に仕組まれた「手がかり」を見つけて、推理小説を読むように?私の「真の」狙いを読み解くもよし、というスタンスでやっております。

今回の学会では前日の理事会に始まり、4つの講演・発表をこなし、委員会に編集会議、面会とフルで学会場に張り付いていたので、人に会うたび「疲れた〜」を連発している状態。まあ本当に疲れたのですが、お会いしたMさんは、私の「意図」を読み解くのが楽しいそうで、この日お会いしてその答え合わせにして、また楽しんで頂けたようです(笑)

面白かったのは、そのMさんがその日に感じた私のイメージ。
「頭の上にウニのようなものが載っていて、沢山の触手のようなものがあらゆる方向に向いているのですが、曲がって縮こまっていルものもあれば、ある方向に向けてどこまでもまっすぐに固く伸びているものもある」
あ〜、なんか当たっている気がする!(笑)

ということで、酒も飲まずにコーヒー一杯で長い時間盛り上がりましたが、そろそろ日韓の親睦会ということで、別れを告げ、次の会場に向かいます。

お店は国際会議場の先なので、一度会議場に戻って川に沿って歩いていると、目の前にいたのは韓国のKim先生!、あ、韓国にはKim先生だらけなので、これだけではわかりませんよね? ある意味匿名化(笑)

このKim先生は2010年の鹿児島での日韓でお会いし、翌年K林大に私がお招きして講演をして頂いてからの関係。昨年の京都でのIUPHARの際にもお会いしていて、次回韓国の大邱での第23回日韓の主催者になる方です。明るく人懐こい?お人柄で、いつも笑顔で接してくれるfriendlyな方。会場へ向かう間和やかに話をしながら歩きます。

そして会場到着。人で溢れておりますが、まだ誰がどこに座るかが決まらずワイワイと賑やか。年会長K先生の指示が伝わるとワラワラと皆が着席し、さあ、この日韓のメイン!、とも言える親睦会が始まります。

日本側からは国際対応委員長で元IUPHARの副会長I先生、2002年の第16回を担当されたK林大名誉教授のE先生、2006年の第18回を担当されたF大名誉教授のM先生、昨年秋の近畿部会長を務められたK大のT先生に私と年会長のK先生を含め、教授クラスは6名。この人数が大事なのです。

実は2002年に私が事務局長をやってはいたものの、17年前の私の感覚は正直日韓の薬理学で一緒にやって何のメリットがあるの?でした。
しかし2011年に教授になり、学部講義を担当すると自分の専門分野以外も教えることになり、専門外を知る面白さに気づき、特に現職になってからお声がけをさせて頂いて立ち上げた「下総薬理学研究会」のように、限られた大学が参加する小さな会で、いろいろな分野の話を聞くことが面白く感じられるようになったことがあり、日韓のような色々な分野の先生方の話を一箇所にいてずっと聞けるのは単純に面白い、というものがあります。

さらに大事なのは「国際関係」です。
「医師は研究者であると同時に国際人であれ!」と私は機会をみて学生さんたちには伝えていますが、今我が国で行われている医療は日本だけの知見ではなく全世界の知見を集めた中で行われているものであり、世界との関係無しに今もそしてこれまでも良い医療の実践はありません。恐らく医療だけでなく、医学やその背後にある生物学、その他のあらゆる科学がそういう状況だと思います。

薬理学では国際薬理学連合IUPHARやアジア太平洋薬理学者の会APFPなどの多国間交流が重要であるだけでなく、これまでの歴史と近隣ということもあり、国際対応委員会が対象とする日米、日英、日豪(およびNZ)と、日韓、日中という二国間交流は先の多国間交流のベースとなる大事なものと認識する必要がある、今はそう感じております。

つまり本当の国と国の関係は相互の外務省が担当するわけですが、それ以外の様々な職種にも国際関係、二国間関係が存在し、ことに我々研究の領域では「学会外交」とも言うべき人が変わっても変わらない「継続した関係」が存在している、最近はそう認識するようになりました。

その規模とその伝統・歴史の点で、我が国の薬理学を代表しているのが我々日本
薬理学会であることには疑いの余地がありません。「学会外交」と言う視点で、国と国の対等な(外交)関係を考えた場合、首脳会談、次官級協議、課長クラスの協議と向こうとこちらで同じクラスの人間で合わせるのが礼儀であるわけで、その意味では、この日韓親睦会も韓国側の教授が10名近く来ているわけですから、日本側もある程度それに相応しい同等に近い人数の教授が参加している必要がある、ということになる訳です。

その意味で、理事としてこの親睦会に参加したのは年会長K先生と私の二人だけ。国際対応委員で参加したのは委員長のI先生を含めて3名。皆さんぞれぞれお忙しく都合がつかなかったということはあるかと思いますが、やはり日本側の「冷めた」感じが出てきていると私は思います。再来年の大邱での日韓に果たして何人日本から参加するのか?、そしてその際に韓国側は何人で我々を迎えてくれるのか?、我々は日本の「代表」として国際的に恥ずかしくない対応が出来るのか?、を個人的に危惧しております。その意識の低さが国際的な日本の存在感を落とすことにつながり、ひいては日本発の研究発表が注目されず関心を持たれない結果につながる不利益を被ることになるのではないかと。

ということで、多国間および二国間交流における継続的な関係の維持を目指し、組織された国際対応委員会ですが、やはり6名の委員だけで対応するのは無理があり、留学生の受け入れや共同研究などを通じて学会内で既に個人的に国際交流をしておられる先生方にお集まり頂き、学会としての正式なお墨付きを与えてさらに活発に国際交流を進めてもらうための国際対応委員会「アソシエイツ」制度の導入を次年度に目指したいと思います。各国それぞれのアソシエイツの方にお集まり頂く下部組織としての「小委員会」もゆくゆくは必要になるかと思います。ある程度「この国との対応にはこの先生!」という顔役が必要ではないか、そう思っております。

ということで、この夜の親睦会、盛り上がりました!
とはいえ、以前のように激しく酒を飲み、飲ませるようなこともなく、時代の変化を感じます。今は韓国でも若い世代は激しい飲み方はされないようです(笑)

極めて和やかな雰囲気の中で和気藹々と親睦会は進み、酒も料理も満喫されたところで時間となりお開き!
この後韓国の先生方はホテルで二次会に行かれたようですが、明日のexcursionもある私はこの後ホテルに戻ることに。幸い夜10時過ぎには部屋に戻れました。
さあ、この日の仕事はこれで終了。あとは明日を残すだけとなりました。

 

3/17(日)
この日は日韓薬理のexcursionの日。これをもって大阪年会での私の役割は終了。
2002年の日韓薬理では東京から箱根にバスツアーを行なったことが思い出されます。

朝8時にリーガ出発(汗)ということで、ホテルを早々に引き上げて中之島に向かう。日曜日の朝は空いているのでは、と思ったが地下鉄車内には意外に人がいる。大阪は日曜日でも朝から元気!ですね(^_-)

朝8時きっかりに出発できるのかな、と思ったものの意外に?(失礼ですね)集まりが良くほぼ定刻に出発。そして向かうは「奈良」。
韓国の先生方ももう京都は何度も来ているので、今回は車(バス)がないと行きにくい奈良に行くことになったそうです。最近の外国人の方はメジャーな場所からどんどん日本人もそうは行かないマイナーな場所にご関心をお持ちのようですね〜

ということで最初に訪れたのは法隆寺。この日は気温も低いので、上着がないと寒い状態。そんな中でもデフォルトでテンションの高い?韓国の先生方の笑い声が聞こえます(^^)

続いては東大寺。この頃になると雨が降り出し、傘をさしての拝観。色々な韓国の先生方と入れ替わり立ち代り話をしながら見て回ります。

今回のexcursionに参加した日本人は、K年会長に私、そしてN大薬剤部のN先生、K大のN先生の4名。昨晩の親睦会に輪をかけて日本側参加者が減りました。とはいえ、これはある意味韓国の方々へのものですからある意味仕方ないものはありますが。2002年には4名の現役教授が参加されましたので、少し残念ですね。

東大寺を見た後は奈良市内での懐石料理のお店へ!
日曜日とあって、この日は昼からお酒が(^^)
以前のようにガンガン飲まれる方は多くはなく、皆ワイワイと賑やかに話の輪が咲いている感じでした。

思ったよりも長くなり、残念ながら新幹線の時間があるため、ここで私は中座。
韓国の先生方一人ひとりを握手をしてお別れ。

2021年に大邱で会いましょう!、その前に台北でのAPFPでもお会いしましょう!
ということで、タクシーで奈良駅に向かいます。

奈良からはJRで京都に出て、京都からは新幹線で東京へ。

3/13-17と4泊5日に渡る長期滞在記録となりました。あ〜、疲れた〜、でもきっと年会長のK先生はもっとお疲れになられたのではないかと。
不肖の元部下でしたが、これまで頂きました様々なことに関する感謝の気持ちをもって、全力で対応させて頂いた、きっと私の記憶に残る平成最後の薬理学会が終わりました。

あ〜、長かったですね〜、今回も! しかも盛り沢山で(苦笑)
ここまでお付き合いを頂き有難うございました。

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