2021.5.16(日)
朝6時に目覚めたので、朝から2つのプレスリリース原稿を確認。担当の先生にメールにてやりとり。
はい、広報委員長、土日もなく(テレワークで)仕事しております(笑)
4月の終わりにサッカーJ2のFC町田ゼルビアのK田氏から携帯にお電話を頂き、永年のチームの夢であった、バックスタンドの新設がなり、これで収容人員15,000名というJ1基準を満たすスタジアムが出来たということで、この日はいよいよJ2のFC町田ゼルビアがJ1に昇格する資格を満たすことになる輝かしい日なのです!
私とFC町田ゼルビアの出会いは1998年に遡る事は、以前
「GW最後の日(聖地町田へ)」
という4年前の投稿の中で記載しましたので、そちらをご参照下さい!
朝10時に家を出てまずはバスで調布駅へ!
調布からは京王多摩線に乗り、多摩センターへ
そこでK田氏と待ち合わせ、K田氏の車で近くのファミレスへ!
そこで昼食を取りながら様々な思い出話に花が咲きました。サッカー場で3年前にお会いしましたが、その時も長く話をしたわけではないので、2時間半くらい話をしました。
懐かしい上の原グランドの「コーナーフラッグ事件」や、「なぜFC町田はゼルビアとなったのか?」、など、まだ東京都1部リーグ時代の町田の話や都1部でのライバルだったチームのその後など、時間があれば書きたい話がたくさんありました(笑)
13時になったのでそろそろ出ることに。ファミレスを出ると外はまだ小雨がぱらついています。K田氏の車で野津田へ。ここでスタッフとしてグランドのチェックに入るK田氏と別れ、私は一人聖地「上の原グランド」へ!
野津田公園西口から町田GIONスタジアムに入るゲートをくぐると、左手には広大なバスロータリーがあり、その端?を山林の中に向かうのですが、ここは相変わらず20年以上前と同じ環境。
一山越えて辿り着いたのは鎌倉古道の走る上の原広場です。ここもまだ変わってなくて嬉しいですね!
しかし先まで行くと、なんか地面が緑色をしているサッカー場が!
そうここが上の原グランド!、私が東京都サッカー社会人連盟の1部リーグ運営委員をやっていた時、FC町田ゼルビアがホームグランドにしていた場所です。
以前はクレイのグランドでしたが、今では一面天然芝!
以前は単なる土手だったメインにスタンドが出来たのはもう10年くらい前ですが、ついにクレイが天然芝になるとは!隔世の感があります、歳を取るわけだ(^^;;
上の原グランドの今を見たら、再び小山を越えて、町田GIONスタジアムに向かいます。本当に自然散策のルートですよね〜〜、変わってなくて嬉しいです。
町田GIONスタジアムの広場隣には、バックスタンドになった部分にあった?バラ園が移されていました。
これからがちょうどシーズン?だったかと思いますが、既に沢山咲いていて美しいですね!
そして待ち合わせ場所のゼルビアゲートの総合案内所へ。
いましたいました、K田氏と元町田監督のM屋氏(左)。見た目は20年前と全く変わらないですね〜
ここで入場チケットを頂き、ゼルビアゲートをブラブラしながら、ゲート前へ。
そこでお会いしたのが元事務局長のK森氏(私の隣)、さらに一番左端がH野氏。そして初代クラブ代表であるS田氏の奥様と妹さん!
FC町田ゼルビアが東京都1部リーグ初参戦でいきなり3位になり、その勢いで初参加となった群馬県藤岡市での関東社会人サッカー大会でご一緒したのがお二人の女性サポーターとの最初の出会いでした。
初戦を突破すれば決勝戦まで行けそう、という情報を胸に、応援に入りましたが結果は0-2の初戦敗退。
2泊して3日間試合を見る予定だったのが1泊だけで帰る羽目に。
しかしこの敗戦が私の「町田愛」に火をつけたのでした!(^^)
ここで三人と別れ私は一足お先にメインスタンドの中へ!
さて写真でも撮ろうかと思っていたらK田氏から電話が。
「今からゲート入ったところで写真撮りますから来て下さい!」
その集合写真がこれ! FC町田ゼルビアの創成期を知る数少ないメンバーが集まりましたね。
しかし今まではグランドとほぼ同じ高さでの観戦でしたので、まあ正直見にくかったわけですが、この二階席からだと角度があるので、グランドが全面よく見渡せます!
で、肝心の試合は、試合開始早々の1分、町田が先制!
続いて開始10分にも町田が得点し2-0。これまでまで無敗街道を歩んできた首位新潟相手に2点リードで前半を終えます。
後半に入り、早い時期に失点し2-1と詰め寄られますが、この後新潟の激しい攻撃を凌いで凌いで最後は薄氷の勝利!町田に試合を見にきて、これまで勝ち試合だった記憶がないので、何だか嬉しいですね!
試合終了後M屋氏が、「本当はこの後町田に飲みに行って語りたいんだけどね〜」とのこと。全く同意。
ですが、このコロナ禍。観客5,000人以下という事でこの日試合が開催されただけでも御の字ですね!
ゼルビアゲートから皆で三々五々歩いて行き、駐車場のところで解散。
私はバスプールに向かい、多摩センター行き無料直行バスを待ちます。17時に試合は終わりましたが、私がバスに乗れたのは17:40。あ〜、やれやれ、とは思いましたが、待たされるのが嫌いな私にしてはなぜかこの日は怒りでブーブーに不思議となりません。
この雨はK保さんの嬉し涙かな、となぜか感じられます。そう、思い出していたのは東京都社会人サッカー連盟委員長をお務めだったK保さんのことでした。
先に紹介しました「GW最後の日(聖地町田へ)」の中で私が以下のように記載しております。
「東京都社会人サッカー連盟は当時から独自のホームページを開設しており、その当時委員長だったKさんにメールをするとFC町田の人に連絡するという返事を頂きました。そんな1998年の夏、一本の電話が自宅に来ます。」
このKさんがK保さんです。もう2000年の前半にお亡くなりになってますので故人です。
K保さんとはその東京都社会人サッカー連盟のホームページを見て、町田について問い合わせをした所、すぐに町田のH野さんにつないで頂いたことに始まります。
1997年ごろはまだ多くの情報がネットには上がっていない状況でしたが、そんな中少なくとも都1部から4部までの参加チームの名前がわかるというのは大変な驚きでした。関東リーグまではホームページがありましたが、東京都を除く他県の情報などはまず入りませんから。って、そんな都道府県サッカーリーグに関心を持つ人がいないからでしたが(苦笑)
住んでいたのが相模原市の「小田急相模原」駅周辺でしたので、あの界隈では町田が1番の都会ですから、特に今「ターミナルロード」と呼ばれる商店街は、吉祥寺の繁華街にも似た雰囲気のあるところで、好きでよく出かけていましたから、相模原市民でありながら町田に愛着があったのは確かです、それがサッカーチームとしての町田への愛着にもつながりました。
で、都1部の町田の試合を見に行く前から、JFLの横河電機と、JFLの下の関東リーグの試合も見に行っていたのですが、町田の試合も毎週あるわけではないので(都1部は14チーム総当たりですから、年に試合は13回)、その後も横河電機や関東リーグチームの試合を見に行くことがあり、そこにはなぜかK保委員長がいるので、お会いする度にご挨拶をするようになり、特に私がFC町田所属の都1部運営委員になってからは、親しくお話をさせて頂きました。
東京都1部リーグ選抜と在日朝鮮蹴球団の定期戦というものがあり(今もあるのでしょうかね?)、その試合のスコアラーとして入らないか?とK保委員長から打診され、勿論入ります!、とお答えし、人生初の西が丘競技場の本部席でサッカーを観戦することとなりました。
FC町田からは、「町田のバッジョ」と言われた木町選手が選抜入り。その木町選手が定期戦でゴールを決めたため私は思わず立ち上がり、「きまち〜〜!」と叫んでしまったのですが、隣にいたK保委員長から「本部席は声出しちゃダメだよ」と笑顔で指摘されたのがお恥ずかしい記憶です。
多くの人はJリーグなど、メディアで注目される部分にどうしても目が行きがちですが、若干の技術の違いは確かにあるものの、地域リーグにもサッカーを愛する人たちが大勢いて、そういう人たち、あるいはチームを分け隔てなく応援していたK保委員長。町田のこともずっと気にかけてくれていたというK保委員長はご病気がありながらもなんとか町田の関東リーグ昇格は見ることが出来た、というK田氏のお話を伺い、ホッとしました。
関東2部から関東1部、関東1部からJFL、JFLからJ3、J3からJ2、そしていよいよJ2からJ1に上がることが可能な位置にきたFC町田ゼルビア。J1昇格とともにFC町田東京とかに変わってしまうのかもしれませんが、名前が変われど町田を代表するチームである事は変わりません。
私が1998年から開設したホームページ「Allez Le MACHIDA」を訪ねてくれた中の一人、最も町田愛が強かったのがK森さんでした。私の町田への貢献はこのK森さんを町田に紹介した事。
どう考えても町田がJリーグに入るなんて無理、と当時誰もが無理と思う中、「いや、できるはず!」と主張して譲らなかったK森さん。私財を投げ打って町田をサポートしたその姿は多くの人に知られています。
「できる人が、できる時に、できる事を」
というK田氏の言葉ですが、K森さんは出来ることの範囲が非常に大きかった。
K森さん無くして関東昇格、そしてJFLへの道は開かれませんでした。
そのK森さんをチームに紹介できたのは私のWeb siteがあったから
そのweb siteがあったのは、K保さんが私をH野氏、K田氏に紹介したから
H野氏、K田氏、そしてM屋先生、S田先生が、(猫の手も借りたい状況で背に腹は変えられなかっただけだとは思いますが、苦笑)サッカーど素人の私をチームの一員に引き入れた懐の深さあってのこと
プロジェクトX!
町田にプロサッカークラブを作った男たち
この「人」の繋がり、思いのバトンをつなぐことなくして、このスタジアムの完成はなかったな〜、と思います。
町田にプロサッカークラブが出来た「奇跡」
その奇跡を語る一員になれた幸運を心から感謝します。