2021.8.1(日)
この日から2日間、2018年8月以来の東北は岩手県盛岡に出かけてきました。
今年3月に盛岡で一人暮らしの叔母が腎盂腎炎で市内の基幹病院に入院し、すぐに熱は下がったものの、なんでもリハビリが必要?という連絡があり、1週間入院する、という連絡を受けていました。
ちょうど始まった4月新学期のため、その後「どうしたかな?」と思いながらも、「便りがないのは良い便り」とばかりにそのままでおりましたが、7月に入り市の包括支援センターからの電話があり、どうやら支援しようにも本人の問題?でできない状況にあり、少し認知症も入っているのではないかということで、1年半前に認知症の母の件が片付いた?ばかりですが、今度はその母より年齢が上の叔母に問題発生!、の気配が濃厚でした(汗)。
そして叔母に電話してみると、どうやら近くのかかりつけ医で既にコロナのワクチンの1回目の接種を終え、2回目の接種が8/3である、ということで、8/3の接種の前に行くことで、2回目の接種を忘れることはないだろう、という思いもあり、その前日にはなりますが、8/1-2で叔母を訪ねる事にしました。
朝6時に起床し、軽く朝食を済ませ、7時に家を出て、吉祥寺から東京に向かいます。
流石に日曜日の朝とあって、人は少ないのですが、途中新宿から乗ってきた若い男性の乗客がマスクはしているものの、大きなくしゃみと咳をし始め、電車の窓は空いているとはいえ、三々五々周囲から人が離れ出し、我々もそそくさと車両を変更。
「触らぬ神に祟り無し」(Let sleeping dogs lie.)
ですね(苦笑)
さて今回の盛岡往復、実は初めて「新幹線eチケットサービス」を利用してみました。
このサービス、きっぷを受取ることなく、交通系ICカード・モバイルSuicaなどを自動改札機にタッチするだけで、そのまま東北・北海道、上越、北陸、山形、秋田の各新幹線に乗車出来る!、というもの。
紙の切符を受け取る事なく、吉祥寺で駅に入る際に、タッチ、東京駅の新幹線口でタッチ、するとメールが来て、「座席は何号車の何番です」と案内の来る優れもの!
車内検札も無いですし、目的地まで寝ていてもOK!(寝過ごしたら大変ですが、汗)
しかも指定席は一律200円割引(まあジュース1本分ですが)!
なんか、JR東日本の宣伝になってしまいましたが、もし乗り過ごしたらその時点で変更も可能なので、いろいろトラブルに見回られやすい私にはうってつけ!、ですね(苦笑)
今回は余裕をもっての行動のため、8時過ぎには東京駅到着。新幹線は8:20発車。
この間ホームから叔母に念押しの電話。
「今どこなの?」
「東京駅」
「何時に着くの?」
「10時半だよ!」
何度も伝えたんだけどな~(汗)
そして「はやぶさ」は出発。停車駅は、大宮、仙台、盛岡。所要時間は2時間10分。早いですね~!
ちなみに乗客はまばら。大宮から少し乗って来ましたが、基本満席には程遠い状態です。
東京を出発すると、あっと言う間に大宮。そこから北関東の大地を走ります!
空がだんだん広くなり、緑の田んぼに遠くに見える山々。
あ~、これぞ私にとっての癒しの風景。約5年を過ごした栃木、懐かしいですね~
栃木も那須を過ぎた頃からトンネルが増え始め、白河の関を越えると、そこは「まほろばみちのく」
私の母の生まれた東北の大地。私にとっての母なる大地です。
トンネルだらけの福島を過ぎ、あれ、トンネルが減ったかな、と思うと仙台平野。そして仙台へ到着。ここで多くの人が降りていきます。
新幹線は次の目的地盛岡を目指します。
平野は一関までで、あとはまたトンネルがありますが、一関からは北上盆地となり、いよいよ私の子供の頃からの東北の原風景が現れます。厚い雲に覆われ、所々雨が降ったのでしょう、地面が濡れています。
小学校6年の3月に父が直腸癌による下血で入院するまで、1年から5年までの夏休みは毎年母と弟を3人で盛岡の祖母の家、母の実家に逗留していました。
そしてお盆休みを迎えた父が合流することもあり、小学生の頃の記憶はもうかなりなくなっていますが、夏といえば盛岡でした。
新幹線など無い当時、指定席が取れないので、母と私と弟の3人で立ち席特急券での盛岡行き。
在来線特急で上野から盛岡まで片道8時間、通路に折り畳み椅子を置いて座って行くのは、子供ながらに大変だった思い出があります。
しかし一関を過ぎると東北本線は北上川に沿って北上するのですが、北上川を見ると、「あ~、盛岡が近づいているな!」とワクワク感に囚われました。しかし今は北上川を認識できるのは1箇所だけ。なんか物足りないですね。
そして盛岡に着くと、ホームから改札口まで吊るされた南部鉄瓶の風鈴の音、あ~、盛岡にやって来たな、と実感する時でした。迎えに来た祖母と一緒に家まで歩き、盛岡の「匂い」をかぎ、さらに実感する状況でした。
その風鈴も今の盛岡駅には無く、また匂いも普通の街のそれになり、なんか物足りないですね(笑)。
都会から来る私には、地方の良さを残して欲しいと思うのですが、地元の方からすれば、東京都同じものが欲しい、って感じなのでしょうか? 田舎は田舎のままでいて欲しい、というのは都会人のエゴなんですかね~
田舎には田舎の良さがあると思うのですがね。
10時半に盛岡駅に到着し、レンタカーを借ります。そしてそのまま叔母の家へ!
「叔母さ~ん、来たよ!」
「よく来たね、あら立派になって!」
「は、は、は、お待たせしました」
とりあえずこの辺は問題なし。
「今日は温泉に行くからね!」
「あらそう、それは行っておいで」
「行っておいで、じゃなくて、一緒に行くんだよ!」
「あら、一緒に行くの?」
「行くって言ったじゃん。ちなみに泊まるんだからね!」
「え、私も泊まるの?」
「泊まるからね、って言ってたでしょ」
「あら、そうだったかしら」
まあ、このくらいの会話はまだありますよね、特にここのところずっと電話だけでったので!?
しかしここから待てどもなかなかこちらに来ない叔母。出かける準備をさせたのですが、20分経っても現れず、出て来たのは約30分後。歩く速さもどうもゆっくり。下肢の力が落ちているようです。
やっとのことで、叔母の家を出発。もう11時半を過ぎています(汗)
まあ、今回は叔母の体力を見ながら、気分転換をしてもらおうというのが趣旨。自分たちの楽しみは二の次です(苦笑)
2018年8月以来の3年ぶりの盛岡なので、まずは母方の家族が眠る新庄墓園へ。
ここは山を超えて行くので、冬は雪に閉ざされて参拝できないのです。春から秋までですね。
母、そして叔母の兄弟姉妹と母そして叔母の両親がここに眠っています。
叔母が亡くなったら私と弟、そして私と弟が亡くなったら、私と弟の子供たちでみに来てもらうことになりますかね。もし叔母が亡くなったら、来る機会は減るだろうな、と思わざるを得ません。
墓参りを終えると、「そろそろお昼だね」という叔母に促され、盛岡駅のフェザンにも出店している地元盛岡の回転寿司「清次郎」の本店へと向かいます。
三種盛りにカツオ、そして清次郎ねぎとろなどを頂きました。
隣のテーブル席のおじさん(おじいさん?)たちは昼から日本酒をオーダー!
お~、盛岡は普通に酒が飲めるんだ!、と驚き。まあ今回は運転手ですので、もちろん酒は飲めませんが(笑)
寿司屋を出たのは14時、ここからこの日に泊まる鶯宿温泉までは約1時間。まあ早くホテルについてゆっくりするのもいいか、ということで、ここから一気に?鶯宿温泉へと向かいます。
途中御所湖を通るのですが、「こんなとこあるのね、初めて来たわ。盛岡も悪くは無いわね」という叔母。ん?、なんかどっかで聞いたフレーズ。そう認知症の母が最後の頃の定番の発言(汗)
そして温泉のあるホテルに到着!
「あら~、こんなところにこんなホテルがあるなんて! あら、でもここ来たことあるは!」
叔母の記憶はまだ行ったり来たりのようです(笑)
朝早く、そして運転手を務めたせいか?、急に睡魔が!
夕食の時間6時まで寝てしまいました。
夜は創作イタリアン。叔母に「養殖は大丈夫?」と聞き、「大丈夫だよ」という回答を得ていたので、今回はそれにしましたが、出された食事を見て
「私は和食しか食べないの」
「え~、だったらなぜ確認した際に大丈夫なんて言ったの!(心の声)」
まあ、最近小食という叔母。食べられるものだけ食べてもらいました。しかし以前なら残ったものを全て平らげていた私ですが、流石に今回はもう歳なので、叔母の残り物を食べることはやめ、泣く泣くそのまま置いておく、ということとなりました。
デザートを食べ終わり、食後のコーヒーを飲む段になり、ホテルの方がコーヒーカップを人数分持ってくると、叔母が「あれ、これっぽっちしか入ってないの?、もう1つ持って来てよ!」といきなりお代わり宣言!
呆気にとられるホテルの方。「はい、では後ほど」
そしてコーヒーを飲んで一言
「こんなコーヒー、出す方はちゃんと飲んでから持って来ているのかしら? 私はそんなことしたことないわ! こんな苦いコーヒー客に出すなんて、ここも指導がダメになったのね。砂糖入れないと飲めないわ」
いや、まあそこまで酷くはないと思うんだけどな、とも言えないので、「あ〜、そうだね」と曖昧に返事。
介護の件でも自分は昔老人の介護をしていた経験があること、そして調理師の免許も持っていて、働いていたところで自分が料理を出していたこともあり、だされるサービスを上司目線で見ていくので、相手の提示するものを常に批判的にみる叔母に、母、そして20年前に亡くなった祖母との共通点を感じます。
いや、正直「面倒な人」ですよね〜(苦笑)
食後に部屋に戻り、フラワーガーデンのライトアップを眺める。
その後座椅子に座ると、叔母から
「初めまして」
という挨拶が。ふざけているのだろうと思い、私もそれに合わせて
「始めました」
と挨拶すると
「どちらからいらしたんですか?」
というので、これまたふざけているのか、と思い、
「東京から来ました」
「それは遠いところですね」
というように会話が進む。???となった私ですが、ホテルでチェックインした際に私が署名したもののカーボンコピーを見て、
「この安西って言うのが、私の甥っ子なんです」
え?、ちょっと待った、これまで一緒にいた私を誰だと思っているのだろう?
とその時、
「あれ、これ、安西、、、あら、なおちゃんじゃないの!、何ふざけているのよ! すっかり別の人と思っていたじゃ無い!ふざけないでよ!」
「は、は、は。いや、勝手に勘違いしてるのはそっちでしょ!(心の声)」
という感じで、どうやらやはり認知症は確実のようです(汗)
その後、温泉大浴場へと向かい、叔母は1時間以上にわたり温泉へ!
終わったら12時まで叔母の話にお付き合い。
流石に眠くなって来たのでこの日はここで強制終了?としました(笑)
2021.8.2(月)
12時に消灯し、布団には入ったものの、深夜3時にはトイレに起きていた叔母。
その間私は5:30再開の温泉大浴場に行き、一人温泉で日々の疲れを癒します!(^^)
朝食は朝7時半のため、7時には起こします。
昨日のうちから朝食は「和食」で、とお願いしており、まあ和食だったら問題ないだろうな、と期待していましたが、小鉢が多くて食べづらいなど、得意の毒舌のオンパレード。
この辺って、私の母もそうですし、もとを辿れば私の母と叔母の母、つまり私の婆さんの発想そのもの!、って感じです。血は争えないですね~!?
朝9時、ホテルをチェックアウト。終わってすぐに介護施設の方に電話。
昨日1日で経験した内容をもとに、ホームへの入所を進めながら、落ちた下半身の筋力を回復するためのリハビリを兼ねたデイケアのことを話したいと伝える。面会時間は13時に調整。
それまでお土産屋を見ていた叔母のところに行き、9:10、車は一路、田沢湖を目指します!
仙岩道路と呼ばれる国道46号を西へと走ります。
「ここは何度も通ったのよね~」と叔母。
本当だろうな?、とは思うものの、一抹の不安が(汗)。
走ること約1時間、田沢湖の白浜に到着!
青い空、青い湖水、白い雲、緑の山々。尽くしいですね~!
「あら、秋田にもこんないいとこあるのね!」と叔母。
いや、絶対昔田沢湖来てるはず!汗
とりあえず、その美しさに感嘆した後、朝10時、ここから盛岡市内にとんぼ返り!
新庄墓苑では遠過ぎるので、以前にあった場所に戻したい。そこでどのくらいが空いているので、昔の墓の場所に連れて行ってくれない?、と頼まれれば嫌でも希望を叶える私。
で、到着したものの、駐車場からお墓まで坂を登らねばならず、まだ下肢に力の入らない叔母では無理だろう、ということに成しました。
お昼はフェザンの食堂街で、なんて言っていたのに、とりあえず一度叔母の家に帰宅。
たまたま近くのAEONに車を止めたので、「お昼は家で食べるか?」という叔母の希望があり、一緒にAEONに行くことに。そこで、朝もたっぷりと食べたためお腹がまだ減っていないので、さっぱりとした麺類を購入。また同時に叔母は自分の好きな桃を購入。この桃購入が新たな火種となるのです(苦笑)
叔母の家に戻り、お昼でも食べようと言っていたその時、棒を持った怪しげな叔母が3階の通路を歩いています。
「どうしたの?」という問いかけに、「水が止まらないの」との返事。
シンクの1つの蛇口を久しぶりに開いたら、水が止まらないとのこと。
棒を持って蛇口を叩き、「止まれ!、止まれ!」と叩く叔母。
いや、それダメでしょ!(汗)
私はAEONに走り、スパナを購入して、蛇口の上を回そうとするも、なんとサイズは私の買ったスパナ以上、ということで、自分たちで直すことは諦め、水道関連業者に電話で連絡。
この時12:40、作業員が来るのは13:30-14:30の間とか!
もう仕方ないので、そこに頼むことに。
水がそのままで続けている中、仕方なくお昼を食べ、13時の来訪者を待つ。
時間通りに介護施設の方が来訪。叔母と私が面会。
これにより、ホームに早急に入所する方向で進めることと、弱った下肢の筋力の回復を目指すデイケアへの体験参加を行うことで話が決まりました。
翌日のワクチン接種も確認。まあ大丈夫でしょう。
しかし今後の問題は家族も不在で、本当にデイケアの体験に参加するのかどうか?
甚だ心配ですね(苦笑)
そして水道の件。13:55に作業の方が来訪。そのまま工事を行って頂き、交換した蛇口は水漏れもなく一件落着! ふ~~汗
この日は盛岡でも30度を超える暑さ。再びAEONに出かけた叔母は、アイスを買って帰って来ました。そこで皆でアイスを方張ることに。
アイスを食べ終わって14:45。15時がレンタカー返却の期限なので、ということで、叔母に伝え、そろそろお暇を頂く事に。
「また来てね!」「また来るよ!」
ひょっとすると、今回のような旅をするのは最後かな、なんて思いながら、叔母の家を後にします。
レンタカーを返却し、盛岡駅へ。なんかこうこれまでのような旅の興奮冷めやらず、という気持ちは全く無く、この先が思いやられる重圧感が私の心を満たしています。
東京ー盛岡の往復でやりとりして行く困難さ。
地元盛岡で醸造された缶ビールをつまみとともに飲みながら、とりあえずしばし新幹線車内でリラックスタイム。
今までの中で最も心弾まぬ盛岡への旅となりました。