10月の終わり:まっすー結婚披露宴

2021.10.27(水)
この日叔母は埼玉の施設を退所し、新たに都内の施設に入所の予定日。
歩けなくなっている叔母の移動には車が必要なので、前日からレンタカーを借りておき、朝6時に東京三鷹を出て埼玉県の川口に向かいました。

Googleで検索すると一般道で約1時間、埼玉の施設に到着するのは朝9時と伝えてあったので、6時に出て7時に着くと2時間も潰さねばならなくなりますが、朝7時に三鷹を出ると、都内の渋滞で1時間でつけるかどうかわかりませんし、そもそも私は渋滞が嫌いなので、早く行って待つ、という方を選んだ訳です。

人見街道から環八に入りましたが、この辺りは問題なかったものの、練馬を走っている間にだんだん交通量が増え、埼玉に入ることには本格的な朝の渋滞!
まあ大体7時20分頃に川口に到着しました。

それでも9時まで1時間半ほどあるので、ここで時間調整も兼ねて朝食を!
施設からそう遠くはない「ガスト」でモーニングプレート。
飲み物をお代わりしたりして、小一時間潰せました。

8時半になったのでファミレスを出て、施設に向かいます。
10分もせずに施設到着。私が得意?な、近くにこれという神社もなかったので、真っ直ぐに来ることに。少し早いですが9時10分前に行くと、今は別な建物にいるとかで、そちらに向かうことに成しました。

車を止めて、迎えにきたことを連絡。着替えを施設の方に渡し、しばし待つことに。
案の定着替えて出てくるだけで30分近くかかりましたが、歩くスピードは入所時よりも確実に早くなった感じです。食事もきちんと取れて、周りにサポートの人もいますから、まあ元気になってもらわないと困るのですが。

職員の方3名がお見送り、笑顔でお別れです。
ベルトを閉めてドアを閉めて、施設出発!
川口から外環に乗って都内を目指します。

「どうだった?」という私の問いかけに返って来た答えは

「もう二度と来ない!」(汗)

なんでもこちらの人たちは根性が悪い、とのこと。盛岡の方がいい、と(苦笑)
入所前は「盛岡は田舎もんの集まりで、こんなところにいたくない!」と言っていたんですがね。今は認知症になりまるで子供のようになった母が以前こういう反応をしていましたから、姉妹は似ているんですね〜(苦笑)

まあある意味元気になった訳ですが(笑)、施設に入りたい、盛岡になんて住んでいたくない!、と言われて約1週間で入所が出来たのは無理して確保してくれた人たちのお陰なのですが、そういうところに配慮が出来なくなっている、つまり私への感謝もない訳で、これが家族が直接介護して介護した人が苦しむ根本なんだよな、と。

さらに叔母は「盛岡に帰ったら、、、」ということを盛んに言うので、どうやら私が埼玉に連れて来た際に「1−2ヶ月経って元気になったら盛岡に戻れるから」というのをしっかり覚えてい流だけ、母よりもまだ保たれていることがわかります。

母の場合には、東京と千葉ということもあり、あちこちで保護されてその度に迎えに行きましたが、ギリギリまで本人希望の一人暮らしをさせたものの、最後は買い物も出来ず、食べることも出来なくなったので、入所に踏み切りました。
しかし叔母の場合は、もし一緒に同居している人がいるならばまだ一人でいることは出来るだろうと思うのですが、窓を開けっぱなしにし、止まらなくなった水道をそのまま放置し、それでなくても築40年と古くなりトラブル続きの古屋に一人でいて対応できる状態ではないので、その度に呼ばれていくには盛岡は遠すぎる訳です。

「本人の希望よりも、介護する人の都合が優先されるべき」という、私の元部下で老年内科医のO先生に言われて以来、本当は一人暮らしをさせてあげたいのは山々ですが、それでなくても日々仕事が終わらずにオーバーワークになっている状況下で、私が急に盛岡に呼ばれては仕事にならないばかりか、周りに多くの迷惑をかけることになるのは火を見るより明らか!

施設の方々からは「終の住処を見つけてあげるべき」と忠告されていることを踏まえ、この日は強引に次の入所先に連れて行くことを車の中で決心しました。

「どこに行くの?」「母が来ているところだよ」「あら、そうなの、久しぶりに会えるんだ!、何十年ぶりかね〜」、「いや、何十年ぶりってことはないでしょ」「あらそう?」

こんなやりとりをしながら、昨年2月、最初に母が入所した施設へと車を走らせました。

10時半前に到着。施設に着くと看護師さんが来られ、「ではこちらに乗って下さい」と車椅子を出され、大人しく乗る叔母。
「最初に肺の検査しますので」とCT室に連れて行かれ、その後老健施設へと移ります。流石にそこでどうもおかしいと気づいた叔母。

「あんた騙したわね!」

なんと言われようがもう返す気持ちはありません(笑)
心を鬼にして、これが当然という形で入所の手続きを進めます。

最後に私を呼び「お金ちょうだい」という叔母
「病院ではお金を置いておけないんだよ」「1万円でいいから頂戴」
「では、病院の金庫に預かってもらうから」「それでいい」

今年3月に腎盂腎炎でI県立中央病院に入院し、その後リハビリが必要だからと、地域連携先の病院施設に入ったものの、勝手に施設を受け出してタクシーで帰宅した叔母。おそらく金さえあれば、抜け出して盛岡に帰るつもりなのでしょう(汗)。

1万円を預かった職員の方から1万円を受け取り(笑)、私は施設を後にすることに。
ここの施設は脱走しようにも服は入所者はレンタルで同じものを着るのと、エレベーターもカードかパスワードを入れないと呼べないものなので、脱走はまず不可能ですから、申し訳ないですが、大人しくここにいてもらうしかないことになります。

子供の場合でも、親が食事を与え、夜は家に帰ることができれば、生きて行くことは出来ますが、そんな状態で親がいなければ子供は生きられないのと同じと考えれば、本当はまだ一人暮らしをさせてあげたいのですが、近所の方々ももう無理と思っている状態で戻すわけには行かないですね、、、悲しいものですが、仕方ないですね。

東京の東から三鷹まで車を飛ばして戻ります。これしかないんだと、自分に言い聞かせながら、、、

車を返して、三鷹駅で遅いランチは、真希 三鷹店で、本ガツオ漬け丼 おそばセットを! ここのお店もまだお客さんはほとんどいませんが、とりあえず閉店していなくてよかったです。今度は夜に酒を飲みに来たいですね。

この日は年休ですが、午後3時からは病院マーケッティングサミットのオンライン打合せ。実施は12月上旬ですが、これから企画を詰めて行く、ってすごいスケジュールですね!(苦笑)

 

2021.10.28(木)
この日は早起きして千葉に向かいます。

天気晴れ。朝9時、先週に続いて歯口科受診。1週間前に神経を3本抜いた歯の続きの治療です。
口の中を完全に閉鎖され、呼吸は鼻からのみの状態。
なんだかものすごく苦い液体を注入され、口を開けたまま約20分。今回は麻酔無しでなんとか終わりました。

少し落ち着いてから、11時から面会は真菌センター!
ここで新構想に関する意見交換を1時間近く行いました。

教室に戻ると、この日はなぜか「木栖バイキングデー!」
どれも脂っこいのですが、うちの教室員は木栖ファンが多くて(汗)

13時から院生への研究指導を1時間行った後、15時からは業者を招いてホームページリニューアルに関する意見交換。
来年4月の完全リニューアルに向け、どのように進めて行くか、大体の方針が決まりました。

終わってそそくさと片付けをしたら大学を出て東京へ!
ちょうどこの日から職場の会食等に関する制限が緩められるのに合わせて、薬学部の某O先生と丸の内で感染対策も十分実施されているお店にて会食。

頼んだ赤ワインのボトルはO先生に沢山飲んでいただいて、私はもっぱら食べる側(笑)
話が大変盛り上がり、結局3時間もお店におりました!

 

2021.10.29(金)
この日も朝からいい天気!

朝11時に高校・大学の先輩である附属病院の某S先生と対面での面会。
新医学部棟に入られたのはこの日が初めてということで、私の部屋からの眺めを満喫して?頂きました。

15時からは学部学務委員会、対面開催は久しぶりの気がします。

17時からは、附属病院のI先生とオンライン面会。
いろいろいいアイデアを頂きました!

 

2021.10.30(土)
この日は第52回日本消化吸収学会総会とトランスポーター研究会JTRA第1回関西部会の日。

私は第52回日本消化吸収学会総会長の滋賀医大 佐々木先生からご指名を頂き、JTRA第1回関西部会の世話人である京都女子大 松尾先生とともに「合同シンポジウム」セッションのオーガナイザー兼座長。

9:00~10:00と60分のセッション。基調講演のトップバッターの持ち時間は10分。残り2名の演者はそれぞれ持ち時間25分。この配分がぴったり過ぎでしたね。

基調講演のS先生、私の紹介が1分だったのですが、さらに予定を5分超え、これは流石にまずいとレフリーがタオルを投げ込み強制終了。いや、S先生には大変申し訳なかったのですが、最初のセッションから遅れるわけに行かないため、苦渋の決断でした。

その後2名の先生方は時間を残して発表を終えて頂き、最後に松尾先生の締めの言葉を終えて、ぴったり10:00で終了!
いや、ホッと一息です。

この後、12:30の総会開始は12:48と18分の遅れでしたので、やはり最初の我々のセッションが時間ぴったりで終わっておいて良かったと思いました。
(S先生、ごめんね!)

13時からは松尾先生の開会あいさつで、JTRA第1回関西部会が開幕!
どこを切ってもトランスポーター!のお話はやはり面白いですよね〜

しかしこの日は悠長に講演に集中しているわけには行きません。
夕方16:50までに、表参道に行かねばならないのです。

逆算すると、16時には自宅を出る必要がありそう、ということで、15時半からは出かける準備を開始。それでも遅れてしまうのが最近の私の悪いところですが、この日もやはり予想通り、集合時間16:50を巡りタイムトライアルとなりました(汗)

私がD医大時代に教えた学生さんが、医師になり既に数年が経過。私にとっても思い出深い”まっすー”ことMくんが医師となりM先生へ。その彼から結婚披露宴に来て下さい、と言われ、もちろん喜んで参加させて頂くことに。

2−3分でのスピーチをお願いします、というので、そちらも喜んでお引き受けをしました。

吉祥寺から京王井の頭線急行で渋谷へ。渋谷から長いpedestrian deckを歩いて銀zな線へ、そして銀座線で一駅、表参道に到着、既に16:50、しまった、また遅刻だ! しかし表参道に来るのはいつ以来かな、なんて考えながら(苦笑)

で、なんとか17時前には到着。無事に受付を済ませますが、見知った顔は無し。まあそのうち会うだろうということでまずは結婚式に参加します。

へ〜、こんなところがあるんだ〜、という立派な聖堂。

型通り?の式は淡々と終わり、最後はフラワーシャワーにブーケトス。さらには新郎の代名詞でもあるテニスのボールトスもありました(笑)

ここで新郎側のもう一人のゲスト、現在D医大硬式テニス部顧問でもある小児科学主任教授のY先生と遭遇。こんなところで!、ということで、お互いに驚きながらも見知った顔がいて安心。

さらにテーブルはD医大硬式テニス部でM先生の後輩となるメンバーと同じ。実は私も2年ほど、D医大硬式テニス部の顧問をやっていたので、一人をのぞいて直接私と関わったメンバーなので、とても懐かしい思いでした。
みんな大人になったね〜

披露宴も始まり、早速ゲストからの最初のスピーチは私!
もう来たか!、という感じでしたが、吉祥寺から乗った井の頭線の中で、iPhoneの中にメモ書きした以下の内容を、一応原稿見ずに話すことにしました。
実際には内容は違いますが、以下のものを公開!

「M先生、mさん、そしてご両家の皆様、本日はおめでとうございます。
C大教授の安西です。5年前までD医大におり、M先生とのご縁があり、今回お招きを頂きました。

2011年にD医大教授就任、最初に私を訪ねて来たのが、M先生で、そのまま2人でカラオケに行って6時間歌い続けたのが関係の始まりです。
その後何度も行きましたが、点数バトルをして、M先生に負け無し!が自慢です。

2014年からは、運動音痴で部活とは縁の無かった私が、M先生に依頼され、硬式テニス部顧問に就任しました。
8月富士山の麓の山中湖での大会東医体の応援に行ったのが今もいい思い出です。

彼の今ですが、彼は在学中から、しばしばドラマ「踊る大捜査線」で、A先生は室井で、自分は青島だ、と言っていて、先生は室井のようにどんどん出世していって欲しいけど、自分は青島のように現場で生きていきたい、と言ってまして、お陰様で私は今副学部長になり、医学部長も夢ではないのですが、M先生はきっと今後も現場の第一線の医師として頑張ってくれるものと思います。

簡単ですが、私からのスピーチを終わりに致します。
M先生、mさん、お幸せに!」

続いて、D医大のY先生がスピーチ。そして元気あふれる新婦側ゲストの方の乾杯の発声で食事も始まりました。

懐かしいですね、2011年にM先生と出会ったから10年。教え子の晴れの舞台に呼んで頂けるのはありがたいことです。

出てくる料理に合わせ、ビールに白ワインに赤ワイン、まあ最近は弱くなったので、どれも少しずつですね。

あっという間に披露宴も終わり、お開き。あとは若い人たち同士で楽しんで頂き、老兵は早々に退散することに。

「先生、また連絡しますから!」「お〜、待っているよ!」

テーブルのお花を家内へのプレゼント?に持ち帰り、二人の門出を祈念しながら帰宅しました。

帰宅すると家内が冴えない顔。なんでも久しぶりに血圧を測ったら何度測っても上が160 mmHgを超えるとか!

機械がおかしいかもよ、と私が試しに測ると、正常!
うん、やはり血圧高いね! 月曜日に外来受診だね。
結局自分は血圧が高くないことでマウント取って終わった夜が暮れて行きました(笑)

 

2021.10.31(日)
この日は予報通り曇り時々雨。衆議院選挙の日です。

なかなか起きない息子を起こして、家族で投票所へ。
息子はこれで東京都議選に続き、人生二度目の選挙。
どういう思いで投票したことやら。

投票が終わって近くのスーパーでお昼のパンを購入。
大好きなクロワッサンの袋にはパンプキンの絵が!
そうだ、今日はハロウィーンか!

ということで、昼から赤ワイン。ただしハーフボトルで! 最近飲み過ぎなもので、、、

その後は特に大きなことはなく過ごしていましたが、

夜に入り、私には珍しいLINE電話が!
見ると緊急連絡用で登録していたC大の学生さんから

「あの〜、おれ、名古屋の医学部に合格しました! 今医学部の友人と飲んでいるんですよ! C大の底辺学部から医学部合格ってすごいですよね?」
「お〜、そうなんだ、それはおめでとう!」
「(なんかノリがすごくいいよ!)今度先生と飲みたいんですけどいいですか?」
「お〜、いいよ、連絡待っているよ」

なんだか詳細はよくわからないのですが、合格して酒飲んで酔っ払って勢いでLINE電話をしてきた感じでしたが、まあ若者らしくていいですね。きっと合格したというのも本当のことなんでしょうから、心からおめでとう!、と言いたいです。

とこんな感じで、2021年の10月が終わって行きました。

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