代表 ○○ 先生
あけましておめでとうございます、Aと申します。
先月の会議の最後にございました、特に科学分野の危機・将来に向けた意見交換を大変興味深く拝聴しておりました。
あの場で発言をさせて頂こうかとも思いましたが、一応「学会」を代表して参加させて頂いております立場上、私見を述べるのは相応しくないかと考え、このようにメールをさせて頂きます。以下の話は学会とは無縁の私個人の考えであります。ですが、もし先生のお目に叶えば運営委員の先生方にはシェアして頂いて結構です。
代表の○○先生はじめ運営委員の先生方の運営と科学領域の今後に対する取り組みへのご尽力に大変敬服致しております。不肖私も学会理事を拝命しておりますので、(理事という肩書きを持ちたい方は多いものですが)理事になって自分の研究の時間を割いて?まで学会のために取り組まれる方は少ないことを感じておりますので、尚更であります。とはいえ、本来研究者であれば一番大好きな研究に時間を割くべき、という考え方も大変よくわかり、学会運営などに忙殺されるのは愚かな?行為であると、私の中でもう一人の自分がいつも警鐘を鳴らしている状態です(苦笑)
前置きが長くなりましたが、先生方が、その知恵の限りを尽くして衰退しつつある科学の再生、と申しますか、活性化のための対策を練っても、現状ではなかなかいい案が出てこないばかりか、その実現は正直さらに困難であるように感じております。
それは真面目な研究者でおられる先生方の生真面目さ故、現状の枠組みの中で最善を尽くす(実際それしかないからではございますが)に留まっているからではなかろうかとも感じます。
そうなりますと、少子化という流れの中でそれでなくても若年者人口が減る中、研究者をめぐる環境、特にポストの減少、短期雇用化や頭打ちの給料など待遇の面での悪化が、研究者の職業としての魅力と研究を志す若者の減少に輪をかけている状況で、今の枠組みの中で改善を試みるのは至難の技ではないかと思います。
私は今年3月の薬理学会年会の教育シンポジウムで「今後の薬理学教育への取り組みに向けた提言 Ordinary capability/Dynamic capabilityの点から」と題する発表をさせて頂きましたが、どうしても多くの先生方の進め方はその生真面目さもあってある意味現状をより良いものに磨き上げていくようなOrdinary capabilityの通常能力的発想であり、求められているのは現状を打破し新たな次元に飛躍させるDynamic capabilityという自己変革力ではなかろうか、と個人的に感じております。
先日の話にもございましたが、国立大学法人化と運営交付金減少、そしていわゆる「勝ち馬券(と思われるもの)だけ購入すれば成功する」という誤った考えに基づく「選択と集中」が確実に我が国の研究力を低下させているのは火を見るより明らかですから、そこに食い込まねばいくら現状で最善を尽くしてもじり貧であることは否めないと思います。
日本の近代化といえば明治維新ですが、それが世界で類を見ない改革として実現した理由は、日本各地に存在する「藩校」と呼ばれる知の集積地があったからで、それが基盤となって地域の有能な人材が輩出されたことで明治の近代化がなされたと私は考えておりますが、現代流にそれを言い換えれば、多様性のある「地方(国立)大学」の強化、具体的には常勤ポスト増による人材の確保こそが我が国の研究力強化の基盤であると考えます。つまり「金」を投入に尽きるかと思います。
財務省は少子高齢化の進む日本では財政を切り詰める必要があるということを金科玉条のごとくに述べ、緊縮緊縮を叫んでおりますが、もともと金は国が民間に流して経済が回るシステムなところ、国が金を絞れば経済が回らなくなるわけで、行き過ぎた緊縮が自分たちの首を絞めていることをそろそろ我々は気づくべきであると、MMT理論信者である私は考えております。
ちなみに釈迦に説法かとは存じますが、MMT理論とは
・自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない
・財政赤字でも国はインフレが起きない範囲で支出を行うべき
・税は財源ではなく通貨を流通させる仕組みである
を代表的な主張とする現代貨幣理論”Modern Monetary Theory”の略称です。
「財政赤字でも国は支出を行うべき」「税は財源ではなく通貨を流通させる仕組み」と提唱するMMT理論は「景気を良くするためには必要な政策」であると主張しており、私もそれに賛同しております。つまり、教育・研究だけでなく、多くのことに国・財務省はもっとお金を出すべきだ、ということになります。
そこで大事なのはこれをどうやって実現するか、です。それはやはり「国民の理解と意思」であり、それには「力」が必要で、財務省をも方針転換させる力とは最後は「政治」ではないかと思います。
今でも医師の給料が下がらないのは圧力団体ともいえる日本医師会の存在が大きいからではないかと感じております(笑)
では研究者が研究者の待遇改善のために必要なものは何か?、それはいわば「日本研究者連盟」の様な集票力を持つ団体の存在ではないかと思います。究極的には「日本研究者党」の様なものが必要ではないかと思います。そして難しいかもしれませんが、その研究者連盟の母体となるのが生科連の役目ではないでしょうか?
そういう活動を嫌うのが研究者であることは重々承知しておりますが、自らの身は自ら守らなければ、誰も助けてはくれないのではないかと思います。現在自分たちとともに研究をしている若い同僚たち、院生、学部生など自分たちに続く若者世代を守ることが自分たちの研究を守ることだ、という共通の意識を持つことで、研究者の連帯を深め、国民の支持を得て、1つの政治勢力化してゆくことが、国を動かすことにつながるのではないかと私は思います。
そう「研究者よ、立ち上がれ!」です。
で、問題となるのは国民の支持、あるいは政財界の支持を得られるか、になるかと思いますが、それは最近の新型コロナ感染症のパンデミックで明らかになったように、「研究は国家の安全保障である」という考えだと思います。
ワクチンの開発が最もわかりやすい例ですが、今後も治療法の無いままの病気、あるいは新たに出現してくる病気に対し、自国民を守るのはそれらに対する薬やワクチンを自国で開発できる研究力・技術力であります。今回のコロナ禍で我が国でワクチンや低分子化合物の開発が進まない現状が露呈しましたが、今後大事な治療薬を海外からの輸出に頼る、特に友好国ならまだしも友好的では無い国がその治療薬導入のためにその国に言いなりになること、極論を言えば領土の割譲要求を受け入れねば渡さない、という新たな砲艦外交を行ってくる可能性は大です。いわば石油や食料の輸入と同様に、健康面でも海外からの輸入に頼る状況は我が国の存在、いわば安全保障を脅かすことになり、創薬のだけに限らずあらゆる分野の科学研究力の維持が国を守ることになる、と主張したいと思います。
しかし研究者といえば、我々の中ではCNSなどのhigh impact factor journalに多くの論文を公表し、政府や民間の大型予算を獲得してさらに輝かしい成果を上げる、そんなイメージがありますが、それは研究者という極めて狭い世界での話で、一般の方からすれば国や地方自治体など、国民市民があることで困っている時に、颯爽と現れて現状を分析し、それに対する対策を提言してその問題を解決する専門家、それがかっこいい研究者の姿であるのではないでしょうか?
ちなみにこれは決して軍事研究に協力しろ、というものでは無いことをご理解下さい。
研究力は大津波から市民を守る防波堤、と思って頂ければと思います。
その意味で「基礎研究は安全保障である」主張したい、そう思う次第です。
大変長くなりましたが、外債なら返さないとデフォルトですが、日本は100%円建て国債で、返済しないと破綻する(家庭の)借金と同じでは無いことを皆が理解して、インフレにならない範囲で経済を拡大し、特に国家安全保障の基盤である大学の研究力向上のために運営費交付金縮小をやめさせるために、研究者連盟を組織し、我々の主張を取り入れる政党を積極的に支援し国会内での発言力確保を通じて国民の理解を得る活動により、研究者自身が研究者の環境改善のために立ち上がるべきだ、ということを最後に繰り返しお伝えさせて頂きたいと思います。
A