昨年3月に義父が逝去しましたので、今年は喪中の正月となりました。
ということで、勝手ながら新年のご挨拶は差し控えさせていただきます。
例年通り、12/29より家内の実家の茨城に戻り、1/1に東京に戻りました。
定年退職後に人工透析を導入し、10年前に脳梗塞を起こしてその後ずっと介護を受ける状態でしたので、ここ5年は正月に訪ねても透析ないしリハビリで日中は不在ではありましたが、義父が寝起きをしていたベッドやTVを見ていた車椅子がもうなく、ポッカリと穴が空いたような茨城の実家でした。
ちょうど昨年3月、福岡での薬理学会年会直前に亡くなり、年会期間中に通夜と告別式が行われどちらも参加できなかったのが大変残念でしたが、49日と初盆はしっかりと参加して来ました。
そして1/1~1/3は母のいる千葉に行くのが恒例の行事でしたが、その母も2020年、あのコロナパンデミック直前に施設に入所し、たまたまなのでしょうが、息子も家を出て一人暮らしを昨年始めましたので、このコロナを機会に環境が大きく変わったことは確かです。
今年の2月で58歳になり、還暦まであと2年。親の世代が旅立ったら次は自分たちの世代だな、と思わざるを得ません。
この歳まで生きて来たら、もういつどんな病気になってもおかしくはなく、命だって還暦まで持つ保証はありません。
千葉大として35年ぶりの開催となった昨年の第96回日本薬理学会年会を終え、次の区切りとなりますのは、1924年の薬物学教室誕生から数えて薬理学教室100周年となる来年2024年です。自分の力だけではどうにもならないことも多いのですが、可能な範囲で健康の保持に努め、無事に2024年を迎えられるようにしたいと思います。
写真は自宅から見た夕焼けの富士山です。
ご覧の通り、視線の方向にマンションが建ってしまい、昼間は屋上のフェンスのために富士山がよく見えないのですが、夕暮れになるとそのシルエットがくっきりと見えます。
「AD ALTIORA SEMPER」(つねに、より高きものをめざして)
という、千葉大学の理念を体現するような、夕暮れに富士の高嶺を見ながら、今年1年も走り切りたいと思います。