獨協医大硬式庭球部50周年記念誌 寄稿文

毎年この時期(1月第3土曜日)に都内で「硬式庭球部OBOG会総会」があり、
約2年間だけ顧問をやっただけなのですが、有難いことに毎年お招きを頂いております。

とはいえ、実はこの1月第3土曜日は私が幹事を務めております「関東腎研究会」があり、おまけに今年からは私が理事を務めております「東京ゐのはな会」新年会が移ってきてしまいましたので、イベント集中日となってしまいました。

で、その「獨協医大硬式庭球部」は1973年5月に創設されてから、今年度で50周年を迎えました。それにあたり「50周年記念誌」を発行すると言うことで、私も約2年間だけの繋がりでしたが、第4代(文章では間違って第3代と記載してしまいましたが)獨協医大硬式庭球部顧問として寄稿させて頂きましたので、ここでそれを紹介させて頂きたいと思います。

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第3代獨協医科大学硬式テニス部顧問の安西尚彦です。
私の在任期間は恐らく歴代の顧問の中で一番?短く、2014年の4月から2015年の12月までの1年9ヶ月でした。2016年1月から本務先は千葉大学医学部となりましたが、現在も獨協医科大学の特任教授として生理学と薬理学にてそれぞれ年1回の講義を担当しております。

2011年3月に獨協医科大学医学部薬理学講座の主任教授として前任地の杏林大学から栃木の地にやってきて、3年が経とうとしている時に、最初に私の薬理学の講義を受けた学年であり、それまでも一緒にカラオケをやったことのある益田敬明先生が、私に顧問の打診をしてくれました。

「え、運動部の顧問?、似合わないよ」と言ったものの、自分に全く合わないと思っていたものだからこそ、こういうお誘いを受けた方がいいのではないかと思い直し、素直にお引き受けすることにしました。

実は私は今とは異なり(今も?)若い頃は単独行動が好きで、また「部活動」という上下の関係の厳しい世界にはなじめないなと思い続けてきたのですが、予想通り?顧問になって見えた世界は私の知らないものであり、人生半世紀を生きてもまだ自分の知らない世界があることに気付かされました。

1番の感動は応援のために参加した「東医体」でした。男女の別なく、全ての試合に対する熱心な応援。試合に敗れ、選手とともに涙する部員の姿。試合に出る選手だけではなく、ボール拾いの係や、コートの側で試合も見られずに荷物番をしている部員達によってもチームが支えられていることを知りました。そして講義室で見せるのとは違う姿を見せる学生さん達。全てが感動でした。

団体競技と異なり個人競技の硬式テニスは、試合に出られなければ意味が無いのでは?なんて思っていた私は間違っており、試合に勝つという事は個人の勝利ではなく、試合には出ない方も含めた部員のみんなが、コートの中に入っている選手をサポートし、会場の外から声を嗄して応援し、部員が一丸となって戦った結果であるのだ、と理解しました。

これは医師一人では医療が何も出来ないのと同じとも言えます。先輩や同僚、そして後輩の医師だけでなく、多くのコメディカルや事務系スタッフの方の力なくして医療活動は出来ません。また大学や病院という「組織」の中では自分が主役になる事はむしろ稀で、多くはサポート役に回ることになる訳で、そんな時でも自分の役割をしっかり果たすことが期待されていますから、ある意味部活動の延長と言えます。

これはテニス部に限らずですが、5年間(ないし6年間)、レギュラーになるならないに関わらず部活を続ける事の意味。硬式テニス部の顧問にしてもらえたことで、貴重な人生経験の場としての部活動の重要性を初めて理解しました。テニスでは全く役に立たない私を顧問として迎えてくれた部員の皆さんに感謝です。

大学が変わり母校千葉大では硬式野球部の顧問をしておりますが、獨協医大硬式テニス部での学びは今も生きております。
獨協医科大学硬式テニス部の益々の発展を心より祈念しております。

千葉大学大学院医学研究院薬理学 教授/獨協医科大学医学部 特任教授
安西 尚彦

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