8月の頭に87歳で一人暮らしをしている盛岡の叔母に会いに行った話は先日この異能塾にもUPしておりましたが、
実は木曜日9/9、ちょうど同窓会のオンライン理事会が終わり、帰宅する途中、家から「叔母さんから電話があったので、折り返し電話をしてほしい」と言うメッセージがあり、大学からバスで帰ろうと思っていたものの、なんとなく早く電話をした方がいい気がして、バスに乗らず歩いて千葉駅に向かいながら、携帯で叔母に電話をかけました。
要は「一人で暮らすのがしんどい」、「盛岡で生きるのはもう飽きた」、「死んだら骨は盛岡の墓に入れてくれればいいから、それまではどこで暮らすことになってもいい」と言うこと。
8月に行った際に、「知人が老人ホームをやっているからその人に聞いてみる」、「(盛岡市から南に離れた)花巻に老人ホームがあるからそこに入る」と言っていたので、「なんなら東京でホームに入るのもいいんじゃない」と伝えておいた効果でしょうか?
「それならこちら(東京)に来るかい?、同期に打診してみるけど」
と回答すると、「本当に?、それは嬉しい!」と言うので、帰宅し、明日にでも同期に連絡をしてみようと思い、その日はそのまま電話を切り、帰宅しました。
2021.9.10(金)
この日は前日に続き、午前9時からオンラインでの「生理研研究会」。
それが終わったら、息子のワクチン接種2回目から2週間以上経ち、家族全員接種も終わったと言うことで、三鷹駅で車を借りて、約1年半ぶりとなる家内の実家の茨城に行く予定を立てておりました。
しかし8時半過ぎ、盛岡の叔母から電話
「朝起きたら両腕に力が入らなくて、こんなこと今まで無かったんだけど」
「今までにそんなこと無かったんだね?」
「そう」
「(う〜ん、盛岡は緊急事態宣言もまん防も出てないから大丈夫かな?9時にはどこの病院も始まるからとりあえず)救急車呼んで病院に連れて行ってもらって」
「わかった」
う〜ん、これは進路変更か?、茨城改め予定外の盛岡(汗)
するとすぐに電話、叔母から
「救急車は何番で呼べばいいの?」、、、がくっ!
「救急車が119番でしょ!、1、1、9」
「あ〜、わかった」
そうか、救急車は119ももう忘れているのか、、、
朝9時からオンライン研究会にログインはしたものの、もう聞くような状況ではなく、もともと依頼はしてあった同期に連絡し、同期の関係者と急な入所に向けてのメッセージのやりとりが頻繁に行います。
前日の電話に続いて、身体症状の訴え、これは叔母のSOSなのかもしれない。
この日に入れる可能性はありませんか?、ダメなら翌日に入れる可能性はありませんか?、かなり無茶なお願いをする。
しかし現実には緊急事態宣言下のため、PCR検査での陰性の証明、胸部CTでの肺炎像の確認、認知症もあるので精神の指定医の診察が必要などなど、諸々の理由で困難な状況であることがわかり、「とりあえず叔母に会いに行って、その状況を見て決めましょう」と言うことに落ち着く。
朝11時、それまで何度か電話しても誰も出なかったのだが、この時には叔母が電話口に登場。
「あれ、病院は連れて行ってもらったんだよね?」、「行ったよ、でもそんなん悪くはないので帰っていいと言われて帰って来た」、「あ〜、そうなんだ。でもこれから行くからね!、家で待っててね!」、「わかった、待ってるよ!」
まあ、戻されたのであれば、尚のこと緊急性は低そうですね(苦笑)
そこで東京(12時20分)→盛岡(14時32分)のはやぶさ23号に乗って、「行くぜ、東北!」
まさか1ヶ月後にまた盛岡に行くことになるとは思いませんでした(苦笑)
この日のお昼は新幹線の中!
お気に入りの「チキン弁当」を購入
なんだかあっと言う間に仙台に到着。
続いて盛岡に到着! ホームに降りて感じたのは「暑い」でした。
子供の頃は在来線特急で上野から8時間かけて盛岡に来てましたが、はやぶさに乗れば新幹線で2時間ちょっとで到着、隔世の感がありますね。
(死んだ祖母には「私の時は汽車で18時間だったんだ」とマウント張られてましたが、汗)
叔母の家は駅から歩いて5分。トイレに寄って、改札を出て歩いて行っても10分かからないのですが、あと少しで叔母の家と言うところで、反対側の歩道をよちよち歩く老人の姿が。あれ、叔母じゃん、家にいて、と言ったのに、なんで出て来ているの!
と、思うのですが、早く会いたかったのでしょうね、14時半に駅につく、と言っていたのを、14時半にいえに着く、と勘違いしていたようですが、母の時もそうでしたが、特に年取ると、数字は覚えていても、それがなんの時間だったか覚えていられなくなるのでね(最近自分もそうですが、汗)
早ければ翌日にも入所、と言うことで、先方の施設関係者から、「健康保険証、介護保険証、支払いのための銀行の通帳と印鑑、さらにお薬手帳と残薬を持って来てください」と言われていたため、まずはそれを探す。
前回は叔母の家の中ではなく、応接の部屋に通されていたので、内情はわかりませんでしたが、テレビの前のテーブルの周りに必要なものが散乱している状態、とはいえそれなりに本人には規則があってものが置かれているのでしょうが、床に足を置く場もない様子は、片付けることすらできない老人のギリギリの状態であることを伺わせます。
そんな部屋では寛ぐことも出来ませんから、早速保険証探しを開始。
と同時に見つからない場合に備え、市役所のホームページを見て、再発行の手続きに必要な書類を調べる。
う〜ん、身分を証明するものか、、、健康保険証も介護保険証もどちらも無いのだから、難しいな、マイナンバーカードなんて作って無いだろうし、まさかパスポートなんてある訳ないしな、これは困った。
以前母が健康保険証を亡くしたので再発行してもらい、不在配達になった健康保険証の入った郵便物を撮りに行った際、郵便局窓口で身分証明証の提示を依頼され、あ、これはまずい、何も無いな、、、と焦っているところ母が「はい、これはどう?」と出して来たのが、再発行されていた健康保険証で、えっ、あるじゃん!、それなら再発行してもらわなくてもよかったのに!、と思いながら、再発行されていた健康保険証で新たに再発行された健康保険証の不在郵便を受け取る珍事があったことを思い出されます(苦笑)
さあ、叔母が持つクレジットカードや会員証が山のように詰まったファイルを1つ1つ見て行きます。同じ会員証が2−3枚あるのはまあご愛嬌ですね、母は同じ会員証を10枚から20枚持ってましたから、叔母の認知症は母ほどではないのがわかります(経験者)。
で、なんと!、叔母のパスポートを発見! だが、有効期限は2018年まで! う〜、惜しい!、くはないですがもう4年前ですからね。
ついでに銀行のキャッシュカード2枚とゆうちょのカード1枚を発見。うん、これがあれば通帳はなくてもいいかも。なんかいいい流れ。
そしてついに大発見! なんと叔母のマイナンバーカードが! これは素晴らしい!!
これは最強なので、これで健康保険証と介護保険証の再発行の目処が経ちました。
と言うことで、盛岡到着から1時間経った15時半、どうせ銀行は閉まっているので、今日中に市役所での再発行は済ませよう、と言うことで、外出の準備をさせ、おっとり刀で外に出て流れているタクシーを捕まえて初めてとなる盛岡市役所に向かいます。
まずは1階の健康保険課、そして5階の介護保険課を訪ね、どちらも申請書を1つ書いて、マイナンバーカードを示すと簡単に再発行終了! ほ〜、よかった。
川徳デパートで夕食でも買って帰ろう!、と叔母が言うので、市役所からタクシーを拾って盛岡の中心部にある川徳デパートへ。ここは亡くなった祖母に連れられて子供の頃から何度か来ており、10年くらい前に盛岡に来た時に来たので、なんとなく記憶があります。
この時、財布は持って来ていないものの、どうやら川徳友の会というものに入っていて、ここの商品券を大量に持っているので(苦笑)、それを使ってお買い物。私は秋田牛のステーキ弁当に叔母は海鮮ちらし弁当を購入。
購入後はATMコーナーヘ。2つある銀行のキャッシュカードを使えるかチェック。1つはしよう不能。もう1つは使えるが、暗証番号を覚えていない叔母、適当に入れると当然却下。使い物にならないですね、これでは。
川徳からはバスに乗って盛岡駅に戻りました。盛岡駅からはよちよちと歩いて時間をかけて叔母の家へ。5分の道が倍以上の時間をかけて戻りました。
帰宅後通帳探しをしばらくしましたが、滞納している税金や支払いの請求書を見つけたところで心が折れて、探し物は終了。だが、見つけたファイルの中からなんとなんと!、30年以上前に亡くなった私の父の国家公務員時代の名刺が出て来て驚き!
あ〜、こんなところでまさか亡くなった父の名刺に出会うとは!
父も小学生の頃に父(つまり私の祖父)を(胃がん?)亡くし、母子家庭だったため貧しく、昼間の高校に行きたかったもののそれは出来ず、中学卒業と同時に働き始めた苦労人でした。
昔は日本各地に行っては自分で測量してそれをもとに手書きで地図を書くと言うまさに職人でして、自慢は「米粒1つに自分の名前が書ける」でした。
先日の回想で、サロマ湖に行った話をしたかと思いますが、全国を回っていた父のようになりたいと思っていたのに医学部に入ってどうなるかと思ったら、学会や講演会で全国を回るようになる、と言うことで、父と同じことをやりたかった私の希望が適った訳です。
ところで、遺品整理が大変でもうまとめて捨ててしまうと言う人が多いと聞きますが、こうやってひとつひとつ見ていくと、ほとんどは無用のものであっても大事な貴重なものが紛れ込んでいるんだろうなと。
そして父とはほとんど縁のない母方の実家の盛岡で出くわすなんて、これはよろしく頼む、と言う父からのメッセージかな、と感じざるを得ません。
そして叔母の家で食べる弁当。温めるのも面倒だったので、そのまま食べましたが、A5ランクの牛肉はやはり美味しいですね。
その後はずっと叔母の昔話にお付き合い。しかし2時間も聞いていると疲れで途中睡魔に襲われます(苦笑)。
そして何時になっても風呂に入るそぶりもなく、「今晩は3階に泊まれば!」との提案。
実は8月に来た時、3階の部屋に通されたものの、そこで恐らくずっと掃除をしていないための埃で鼻水が止まらなくなったのを思い出します。
と言うことで、スマホで泊まれるホテルを探すと3,000円代の部屋もあり、ポチっと予約。
残念がるおばには申し訳ないものの、風呂にも入れずに鼻水と戦いながら寝るのは辛いので、8時過ぎに叔母の家を出て駅近くのホテルに向かいました。
いや、なんか疲れましたね。
2021.9.11(土)
朝7時に起床。そそくさと片付けてホテルを出る。
この日の盛岡の空は曇り。土曜日とあって?、駅には人もまばらです。
コンビニでコーヒーを購入して叔母の家へ
叔母の家にあった9/9期限の菓子パンを頂き、コーヒーを飲む。気に入ったのか一気に全部飲んだ叔母を見て、私のものを半分あげることに(笑)
さて、昨晩ふと思ったのは、入所後の支払い手続き。一月それなりの負担になるので、叔母の年金収入だけでそれを賄うのは難しいため、やはりその意味でも最近の叔母の家計の収支を確認したいのだが、通帳は無し、しかもこちら関東に来て使えるのはキャッシュカードだが、それも使用不能となれば関東に来た後に不便になることが予想されるため、もう1度来るのは財政的にも時間的にも痛いのですが、思い切って来週月曜日以降に入所すると言う方針とすることを、朝9時前に入所先の施設に伝える。
その際に、「PCR検査は不要だが、診療情報提供書は欲しい」と言うことなので、叔母のかかりつけ医を受診することに。予約制なので10時半に来て欲しい、と言うことで、午前中はその対応をすることにする。
時間は9時過ぎ、にも関わらずソワソワしているので、いく準備はしてね、と伝える。まだ1時間半先ですが、老人は逸るので、これも仕方ないですね。
にも関わらず、あれやこれやと準備には手間取り、いつの間にか10時前に!
通りでタクシーを拾いかかりつけ医へ。
道すがら、「あれ、ここにこんな店が!、ここには誰それさんが住んでいてね」と車窓開設。どこかで経験した光景(うちの母もそうでした)。
うちの叔母が10年以上前まで園長を務めていた幼稚園(既に閉園)の健康診断を担当していたのが縁で自分も通院することになったそうですが、「院長のお母さんから知っているので、息子みたいなものなのよ、いまだに独身なので、なんか食べて欲しくて、いつもお魚とか持っていくの」と、果たしてもらっても嬉しいんだろうか、と思いながら、まあ職員の人に分けていただいてもいいかと無下にやめさせずに好きにさせることに。
そう言う親切の押し売りは迷惑なんじゃないかな、と思いますがね〜
診察終わって11時過ぎ。お腹すいたから川徳に行ってお昼でも食べようか、と言うので、今度は近くのバス停から、バスで盛岡市内を目指すことに。
そして昨日に続いて川徳へ。
よちよち歩きなのにエスカレーターで7階を目指すあたり、気持ちは若い時のままなんでしょうね。
和食のお店に入り、ランチ。叔母はまた海鮮ちらし、私は鰻重。
「ここはお酒飲めますか?」「はい」
と言うことで、本当に久しぶりに昼から生ビールのジョッキ!
飲めるだけで幸せ、ですよね〜
川徳からの帰りはまた路線バスで。この日は昨日よりは過ごしやすいもののまだ暑さを感じますが、流れる風が心地良いですね。
盛岡駅到着。駅の薬局に寄って薬をもらって、またよちよち歩きで帰宅。
さあもう14時。そろそろ別れの時。
「じゃあ今週また来るので、それまで無事でいてね」
と言うことで、スマホで新幹線の指定席を予約し、そそくさと盛岡駅へ。
盛岡駅のホームから見る外は青空。
そしてはやぶさは盛岡を出て加速。盛岡平野も収穫の時期を迎えているようです。
北海道コーン茶を飲んで本でも読んで、と思ったら睡魔に襲われ、新幹線の中では何も出来ずに東京へ。
帰宅後もたまったメールにレスをしたいのも山々でしたが、疲れてそのまま寝てしまうことに。
高齢者の問題、我が国の宿痾ですね。しかも少子化がさらに進み、若者への負担は増すばかり。母や叔母には私がおり、使えないですが私にはとりあえず息子はいます。しかし結婚もできそうにない息子を面倒見てくれる人は果たしてその時いるのでしょうか?
母がとりあえず落ち着いたと思ったら、身寄りのない一人暮らしの叔母がそれに続き、、、否が応でも誰のもとにもやってくる超高齢化社会の波。
なかなか気持ちが盛り上がらない、気の沈むと言ったらなんですが、そんな感じの今年2土目の盛岡でした。