Road To Kunming(雲南省昆明への道)後編

またまた時間が経ってしまいましたが、ようやく後編の登場です(^^)
毎週(本当は毎日、汗)のように予定が入っているだけでも大変なのですが、そこに飛び込みで色々と相談事等がメールや電話、アポ無し面会で入って来ますので、日々降りかかってくるものに対応することで汲々としており、なかなか終わったことを振り返れない、というのが実情です。

とはいえ、この私が日本側連絡担当を務めた第7回日中薬理学・臨床薬理学ジョイント・ミーティング “7th CJJMBCP”(Seventh China-Japan Joint Meeting of Basic and Clinical Pharmacology)、来月10月には薬理学会関東部会の評議員会にて国際対応委員長I先生の代わりに委員会報告をしないといけないこともあり、そのために何を報告すべきか、をまとめるためにも、この連休を利用してそろそろこの記事を書こうということを思い立ちました。

8/4(日)
朝はいつも通り早くから起床。日本とは1時間の時差なので、殆ど変わりはないですね。日本では「食べたら腹壊すんじゃないの?」なんて言われていましたが、割と弱めの腹ですが、下すこともなくピンピンしてます!(^^)
朝はホテルのバイキングの朝食。所謂コンチネンタルブレークファーストで、いつもの通り?取りまくりで、同席した先生方には先に行ってもらって、私は一人ゆっくりと全て平らげます!(おいおい)

さあ、今日がなんと言ってもメインの1日。昨日の夜、S理事長から「会場確認で行ってみたら、あれはすごいで~!、ものすごでかい全面液晶の大画面スクリーン!、あれは中国側、気合の入っとるで~!、あんなん日本で見た事無い」と伺っていましたが、実際に会場に行ってびっくり!
「うわ!、スゴ!」と思わず口に出てしまいました(苦笑)

前々回2011年、中国ウルムチで開催された第5回日中薬理学・臨床薬理学ジョイントミーティングでは、日本側からの参加者は中国人留学生を除くと薬理・臨床薬理合わせて10名以下。「なんか申し訳無かったですよ」と第5回に参加されたY先生のお話し。たまたま巡り合わせ?で前回第6回、米子での日中に薬理学会代表として講演をしたことが縁でこの第7回の日中の日本側連絡担当を拝命した私ですが、国際対応委員の一人として、そして日本を愛する一国民として、国際交流、特に二国間交流は世界における日本のステータスを維持する重要なものと認識しており、「絶対に前々回のウルムチを越える日本側参加者を昆明に連れて行く!」という思いで取り組みました。そう、多くの方々にとりましては、「こういう国際交流は単なる『罰ゲーム』で、参加者が多かろうが少なかろうが、自分には関係ない」と思われるかと思います。きっとそれが正常で、私は異常なのだと思います。

しかし(以前に書いたかもしれませんが、何せ認知症なので最近の記憶が曖昧で、苦笑)私にはフランス留学時の忘れられない記憶があるのです。

1999年9月末、人生初の欧州入りとなるフランス入国。10月からはいよいよ正式にラボに顔を出して留学生活がスタートしました。とりあえず滞在費は1年分しかもらえていない状態で、でも生活のためには車を手にいれる必要がありました。
日本ではマニュアルでも運転できる普通免許なのですが、これまでオートマでしか運転していなかった私。しかし高級車を除いては通常フランスは全部マニュアル車。
「運転が不安だから、オートマ車を買おうと思うんだけど」とフランス人同僚に伝えると、「何言っているんだ、お前は1年しかいないんだから高いお金を出すなんて勿体無い!、安いマニュアルの中古車で十分だろ!」と同室の同僚全員の猛反対を受け、まだフランスに来たばかりでフランス語で反論もできない私は周囲の圧力に負け、中古のマニュアル車を買うことになりました。

それでも「やっぱり、マニュアル車は不安だよ」という私に、フランス人同僚が言った一言、そしてその後のやりとりが私の今に至る原点でした。

「お前は世界で2番目の国から来た人間なんだろ、そんなことでどうする!」
「いや、そんなこと言ったって、それは経済だけであって、西側諸国の会議の時なんて、日本の首相はいつも端っこじゃ無いか、知っているだろ。政治における日本の立ち位置なんてそんなもんだよ」
「何を言っているのだ、国力とは経済のことだろ! そもそも日本人は世界第2位の国という自覚がないからであって、世界第2位の国が中央に行く気がないから端に行くことになるんだ!」

一体今でも(今は中国に抜かれてGDP第3位と「言われて」いますが)日本は世界第3位の国だ!、という自覚や意識を持っている国民はどのくらいおられるのでしょうか? 自分の予想ではほとんどおられないのではないかと思います。ですが、GDPで世界第6位(大体)の国フランスは、あるいは少なくともフランス国民の一部は日本をそういう国だと思っている、それは私には衝撃的な言葉でした。

そんな日本には及ばない国力(経済力)のフランスの世界における発言力、存在感は日本を凌駕していますよね、ある意味見習うべきものがあるのではないかと。自覚がなければそれに相応しい行動が取れませんし、相応しい責任を果たすこともないのではないかと思います。

そして今だけを見るのではなく、過去から未来に至る中での現在を捉えてものを判断することが大事ではないかと思います。私がK林大に勤務していた時、米国の学会に参加するのに、日本人である私はVISAも取る必要はなかった(今はESTAが必要)だったのに対し、韓国や中国からの留学生はわざわざアメリカ大使館に行ってVISAの申請をしなければなりませんでした。我々日本人はそれを当たり前と思っていますが、世界中で行けない国が殆どなく、先進国ならほぼVISA無しで行ける「アジア最強のパスポート」を持つ我々日本人、なぜ最強なのか?、それは歴史の中で世界における「信用」があるからとしか言えません。世界史でも日本史でも習う「日英同盟」、日本とイギリスが何年に同盟を結びました、ちゃんちゃん、で終わるべきものではなく、世は帝国主義の時代、まだまだアジアはアフリカとともに「レベルの低い場所」とヨーロッパから思われていた時代に、翳りが見えてきたとは言え、当時世界の7つの海を制覇していたイギリスとアジアの辺境の小国日本が「対等な」同盟を組んだことの意義を、皆さんお考えになられたことはありますでしょうか? 当時世界ナンバーワンだった国イギリスが蔑視されていたアジアの小国日本と同盟を結んだことはイギリスが日本に対する「信用」があったからであり、先人たちが世界中で築き上げてくれた約100年以上前からの「信用」があるからこそ日本のパスポートは「アジア最強」になっているわけです。こればかりは果たして100年後に中国や韓国が日本と同じような世界的「信用」を得られるかどうか、正直私は懐疑的です。この先人が築いた世界的「信用」を未来においても我々は維持する必要がある、中国に抜かれたとは言えまだGDP世界第3位の国日本の世界におけるステータスを各分野において皆で守ってゆく必要があると感じるのでした。日本人としての「誇り」を持つ、そのためにも我々は積極的に海外に出てゆく必要があると感じます。

話が大きく逸れましたが、いよいよ開会です。
今回の“7th CJJMBCP”のオープニングセレモニーの中で、まずはCNPHARS(中国薬理学会)とJPS(日本薬理学会)の共催で第一回はが1990年に上海で開催され、翌年1991年に第二回が東京で、そして第三回は1993年に北京で開催され続いていった経緯が紹介されました。

その後、日中国交正常化30周年を記念事業の一つとしてこの日中薬理学ジョイントミーティングが認められ?、JSCPT(日本臨床薬理学会)が加わり、以後CNPHARSとJPSにJSCPTが加わり、”Basic and Clinical Pharmacology”となり、その第1回が2002年に北京で開催されました。以後第2回2004年は静岡、第3回2007年は大連、第4回2009年は横浜、第5回2011年はウルムチ、そして6年の中断を経て、昨年2017年第6回は鳥取で開催され、2018年の京都でのWCPでのBusiness meetingを経て、今回2019年の昆明へと繋がっていることを今回初めて知りました。

第7回の連絡担当を拝命した時点では、上記の日中の歴史を知らなかったわけですが、GDP世界第二位の国中国と、GDP世界第3位の国日本が、正式に顔を合わせる公的な場であるこの「第7回日中薬理学・臨床薬理学ジョイント・ミーティング 」に、日本側から参加者が二桁いないなんて、それは(中国ではなくても)相手側に対し失礼なことではないか、相手を軽く見ていることにならないか、と思いました。逆の立場で考えれば、折角こちらは歓迎したいと思っているのに、相手国からパラパラとしか人が来なければ、(そこには何らかの理由があったとしても)人が来ないことで自分らが軽く見られている、侮辱された、という思いを持ったとしても、おかしくはないのではないでしょうか? つまり自分達が本気を見せることが相手への敬意につながり、それがまた自分達への敬意に返ってくるのではないか、このフィフティフィフティの対等の感覚は私が欧州留学て会得してきたものです。
さらに言えば、教授が「大学の顔」であるのと同じように、理事は「学会の顔」であるわけで、それぞれ大学や学会の中だけに留まらず、それぞれの組織を代表して対外的な部分での活躍・活動も求められると思います。世界の中での日本のステータスを確保することは、世界における学会への「信用」の増加を介して、例えば学会機関誌であるJPS (Journal of Pharmacological Sciences)の投稿数増加とそれに続くcitation増、ひいてはImpact factor増にもつながるわけですから、学会における理事は、グローバルな視点からも学会への貢献を自ら担い、会員の方々の範となるべきだとも思います。

翻って、今回の第7回日中。中国薬理学会CNPHARSの前・現・副理事長が揃い、日本薬理学会JPSからは元・現・副理事長が、日本臨床薬理学会JSCPTからは元・前・現理事長というそれぞれの学会の重要人物が全て集まった、のは画期的なことと言えるかと思います。さらに日本側からが私を含め理事が5名(次期理事2名を含めれば7名)参加し、本来この会は日本薬理学会からスタートしたことをアピールできるものになったはないかと感じます。

これは手前味噌ですが、先方からは参加者の学会内での「役職」を尋ねられたのですが、そういう意味で日本側の「本気」度が、中国側に「全面液晶の大画面スクリーン」という気合の入ったものを用意させて一因ではないか、と自負しております。

Opening Ceremony、CNPHARSの前理事長Du先生の開会挨拶から始まり、CNPHARS理事長のZhang先生、JPS理事長の吉岡先生、JSCPT理事長の下田先生、と続き、最後は中国政府の要人らしい科学関係の方がご挨拶。
「この伝統ある会は日中の交流事業の重要な一部である」という発言があり、日本側がこれだけのメンバーを集めたからこそ、中国側も登壇させることが出来、CNPHARSの面目躍如(あるいは国からの資金援助の理由付け?)に貢献できたのではないかと感じました。そう、中国への恩も売れたかな、なんて(笑)

しかし今回と役割というか、学会内での職位というか、それによって座る席が決まったいたのには驚きました。最前列は理事長クラス、2列目は演者、3列目はその他役員で、ここまでは指定席。それ以外の一般参加者はその後ろの自由席という配置に、体制の違いと言うか、国の文化の違いと言うか、(私もその世界を知っていいるわけではありませんが)二国間外交に匹敵する職位で合わせる感覚(首相は首相、外相は外相、次官は次官、課長は課長)なのだな、と言うことを肌で感じました。(私も指定席なので下手に抜けるとバレバレでした、汗)

お堅い?話はこの辺で終わりにして、いよいよ会の始まりです。
既にこに時点で非常に友好的ムードが溢れているのを感じます。

午前中はYoung Investigator Session。日本から6名、中国から6名を合わせた若手の発表です。決して英語に堪能ではない方の発表もありましたが、質疑応答に困ると座長の先生からのサポートも飛び出し、それも温かい笑いで包まれるもので、和やかな空気の元で会は進んで行きました。発表終了後には座長から感謝状が一人一人に送られます。

ランチタイムにはポスターセッション。今回は理事の先生方もポスターを出して頂けたのですが、逆に若手の発表が少なく、次回以降にはもう少し若手参加者を集めたいというのが課題となりました。

午後からは基礎薬理関係と臨床薬理関係の2つのテーマでのシンポジウム。
日中それぞれ2名ずつの演者に座長も日中から1名ずつ。熱のこもった議論が交わされ、日本側としては(いささかまだそれほど高くは評価していなかった)発表された中国側の研究内容のそのレベルの高さに驚かされた、というのが実情デアはなかったかと思います。

日本側連絡担当、まあ早く言えば事務局なのですが、発表の合間を縫って、中国側と採点結果(何名かの先生方に審査をお願いしておりました)の集計と表彰者の選定を行いました。

Young Investigator Awardは最優秀が2名、優秀発表が4名でそれぞれ日中同数、Poster Awardは全部で7名(日本側3名、中国側4名)と非常にバランスのとれたものとなりました。こういう会は受賞のチャンスは高いですから、若手の方にどんどん参加して頂きたいですね!

表彰式までのスケジュールをこなし、連絡担当としてはひとまず安心。
しかし最後にもう一つの山が!
実は今回は学会として2つのMissionがありました。それをなぜか私が担当しておりまして、、、

一つは機関誌JPSのAssociate Editorをこの会に参加された中国の先生方の中から一人ゲットすること、もう一つは来年3月の横浜での年会に中国からの参加者を招き入れること、の2つでした。

最初のMissionはJPSのImpact Factorを上げるために数の多い中国からいい論文をもっと投稿してもあるようにすると言う目的があり、今回は編集委員長のY理事、編集委員のU理事がここ昆明まで来てくれていたのでした。
お二人の先生にプレゼンして頂きたかったのですが、なぜか?私がプレゼンすることに(汗)

そしてもう一つのMissionは来年の年会長G先生からの依頼。G先生は今回参加されておりませんので、これは代わりに私がプレゼンするしかないですよね。

再来年にはまた第8回日中を日本(札幌)で開催するのですが、その前年に当たる来年にも横浜にぜひいらして下さい!、と言うことでPRさせて頂きました。
さて、反応はどうなりますことやら、、、

さあ、この日のスケジュールの最後は中国側からの招待となる夜のパーティです。
全員参加の懇親会かと思っていたのですが、所謂前の3つの席の先生方を対象にしたclosedなもの。にも関わらず、スケジュールにはきっちりと書いてあるので、一般でご参加の先生方に困惑をさせてしまいました。こればかりは当日まで私もわからなかったもので、申し訳ありません。

今回日中で昆明に行くに当たり、学会として何かお土産を持っていった方がいいのではないか、と言うことになり、JPSとJSCPTの関係者にそれぞれお伺いをたて、JSCPTはS理事長に、JPSは私が品物の選定を行い、相互に中身が被ることがないように調整しました。

JPS事務局のOさんに訪ねた際に、「昔作ったJPSの名前入りの文鎮はありますが、、、」と言うことで、今後国際交流を継続してゆく上で、まあ予算が限られていて、簡単にお金を投入出来ない事情はわかりますが、「世界第3位」の経済大国として相応しい学会の名前入りの記念品を用意しておくべきではないか、と考えた次第です。

さあ、そして夜のパーティ。写真撮影の後、いくつかのテーブルに分かれて着席。日中3学会の理事長からの挨拶で始まります。

そして肝心のお土産交換会(笑) JPSの理事長、副理事長、そしてJSCPTの理事長から様々なお土産がCNPHARSの現・前理事長に渡されます。それに対し中国側からも返礼の品が。古来より続く国と国の関係は、もともとは今回のような、遠いところから来た人を歓迎し、また遠くにいる人を思って訪ねる、その際にお互いがお互いを思う気持ちを表すために、人はものを渡したのかな、などと考えました。

ちなみに中国側からはパーティ参加者全員にCNPHARSの名前の入ったネクタイが送られました。やっぱ日本もなんか作りましょうよ!

それはさておき、なかなか咳が止まらず、この日も皆に心配されるほどの私。私の心配は(日韓もそうなのですが)この日中も「浴びるほど酒を飲まされる」と言う東アジア共通のしきたり!?(汗)

幸いお酒を飲まない中国側連絡代表のYingさんの隣だったことも幸いし、アルコール度数50%の酒は殆ど飲まされることはなく、地元雲南省の料理フルコースを堪能することが出来ました。

そんな中、遠くの円卓から訴えるような目でこちらを見ておられるJPSのY理事長。アイコンタクト?でこっちに来て!、と感じましたので近づいてみると、出てきた言葉は「いや〜、(CNPHARSの)現・前理事長に挟まれて、人が挨拶に来る度にこのアルコール度数50%の酒を一気飲みさせられて大変なんだよ!、もう助けて!」と言うことを訴えておられます(笑)。笑っては行けないのですが、いや役職とは言え、これは本当に大変そう。
で早速私もその洗礼を浴びることに!「かんぱ〜い!」と口にすると、思わず「ぶはっ!」となってしまいます。うわーなんと濃い、口の中が焼ける!
しかし続いてもう1杯、「かんぱ~い!」、「ぶはっ!」
いやいや国際交流は体張らないと(苦笑)

しかしここで嬉しいお言葉を頂きます。
「来年3月の横浜の年会、(CNPHARSの)現・前・副理事長の3名で参加したいと思うので、セッションを設けてくれませんか?」、「わかりました、早速帰国した後、年会長に相談してみます」
お〜、やった〜!、まずは一つのMission達成!、現・前・副理事長の3名の先生方にお越し頂けると言うことは、部下の方々も参加されるはずなので、これは年会参加者数増に貢献できるはず!
いや、何より何より

そしてもう一つ。同じテーブルになった現理事長のお膝元の北京大学の先生とお話しして盛り上がったので、「先生、日本の薬理学会誌JPSのAssociate Editorになって頂けませんか?」、少し間ををいた後「いいわよ、喜んで!」と快諾。
お〜、やった〜、二つ目のMissionもクリア!!
早速パーティに参加しておられる編集委員長のY理事、編集委員のU理事にご紹介!
席に戻るとYingさんが、「あなたはいい人をリクルートしたわね。あの先生は非常に真面目な先生だから、しっかりやってくれると思うわよ。中にはそうではない人もいるので」と貴重なアドバイスを頂く。うん、これは大収穫! 伊達に昆明に酒飲みに行ったわけではないですよ〜!!(笑)

そんなパーティ、非常に和やかで、友好的な雰囲気の中で解散となりました。
あ〜、終わった!、これで終わった、と頭クラクラになりながら戻った部屋のベッドの上で脱力感とともに睡魔に襲われ眠りにつきました。

8/5月曜日
第7回日中ジョイントミーティング2日目。
この日組まれていたスケジュールはBusiness meetingと視察。

と言うことで、中編にも書きましたが、今回の視察は強制的に(笑)ユネスコ世界自然遺産にも登録されている有数の観光地地「石林」となりました。

ホテルから石林まではバスで移動。
このバスの運転が乱暴ではないが「激しい」
街中でも常時クラクションが響きますが、高速道路の追い越し車線を走る前の車にクラクションを浴びせてどかせて前に行きます。これまさに日本で今話題?の「あおり運転」
時には後ろからクラクションを鳴らされ、走行車線に退避してやり過ごしてまた追い越し車線に戻り、遅い車にはクラクション。
いや、そこまで急がなくてもいいんだけど、と思うのですが、これがデフォルトなんでしょう。
このバス、崖から転落して乗客全員死んだら、日本の大きな損失だから、もっと安全に運転して欲しいんだけどな、と思うものの、まあそんときはそん時か、と半ば諦めの境地。いや、中国での視察は命がけ!、ですね(苦笑)

そして目的地「石林」到着。なにこの人の多さ!しかも観光地化された環境!
10年以上前に昆明にこられ、石林にも来られたと言うT大のS先生の話では前はここまで開けていなかったとのこと。
そしてなんでも中国では8月から夏休みが始まったこともあり、ものすごい人出なんだとか。

これから1時間以上かかるからここでトイレにでも行きましょう!、となって男女ともにトイレに向かうのですが、なかなか戻らない女性陣。
「行列が出来ているのに、次から次と横入りがあってなかなか前に進まないんですよ。しかもトイレは汚くて、、、」
う〜ん、これぞ中国! いよいよ洗礼を浴びることになりそうです。

その予感は的中。石林は広大なカルスト地形なため入口から少し歩かねばなりません。そこでカートで移動するのですが、カートは同時に8台くるので、8列に並んでまつのですが、8列に並んでも結句最後は各ゲートから関係なくカートに猛ダッシュで椅子取りをする地元の方々! その勢いに、我々日本人はタジタジ(大汗)
そこで要領をつかんで、右と左に人を配置して、他のゲートの人のダッシュを人間でブロックしながら日本人様御一行のカートをゲット!
いや、これは疲れますね(苦笑)

途中博物館を見学。空いていたのでなんかホッとします。その上、日本語が上手な館員が丁寧に案内してくれて、、、しかし丁寧すぎて有難いのですが、全部説明するので早く石林をみたい我々はだんだんイライラ(苦笑)
最後は巻きを入れて博物館を後にします。

さあ、そこからは歩き。しかし人、人、人に圧倒されます😅
そして「石林」到着。しかし世界遺産の石の林のど真ん中に「石林」と刻んでしまう感覚、う〜ん、どこかの新聞社員がサンゴに自分の名前を書き残したことが問題になったことがありましたが、なんか違和感ありますね(苦笑)

とはいえ、ここで全員集合してガイドである雲南省民族衣装の女性とともに記念撮影。まあ美しい場所ではありましたが、あまりの人の多さに驚かされましたね。

「石林」のもう一つの名物が「石林ダック」。なんでも石林にいた人が北京に行って北京ダックを作ったという話も。地元では有名というレストランにて、地元で採れた「名前の無い野菜」料理(笑)を石林ダックとともに頂きました!

我々は薬理学研究者ということで、今回の視察のメインとなるのが、中国の究極の養生食品として話題の漢方薬成分「石林三七人参」の栽培基地見学。一度栽培するとその後30年間は同じ場所では栽培出来ないというとてもspecialな人参。それは広大な敷地にて栽培がなされておりました
最後は日本から来た薬理学者を地元の水牛が尻尾を振ってお見送り!

あの危険運転のバスに乗って「石林」から昆明に戻り、今度は市内の元の時代の仏塔のある官渡古鎮を訪ねます。ここは昔からの?街並みの残る地区。支那に来たな~と感慨深い場所でした!

 

官渡古鎮の商店街で見かけたお店になぜか皆で入店。試食をさせてもらったが、匂いがいいのと味もなかなか。なんでも雲南省の名産品で、バラの花びらで作られたものとか。2010年上海世界博覧会雲南館の人気美食で、ここ昆明の大型菓子屋―嘉華の鮮花餅は最も人気があったとか。人民元を全く持たない私。中国人の知人からこの鮮花餅を買ってもらってしまいました(汗)

さあ夜は市内のキノコ料理の店へ!店の名前は「野菌園」、まあ読んで字の如く、ですかね(^_-)

「20分以上煮込まないと毒があります!」という言葉に皆ビビリましたが、おかげさまでアルカロイドによる?ムスカリン様作用は出ませんでした。日本の薬理学者が揃いも揃って中毒では目も当てられませんので(笑)

途中でガスボンベのガスが無くなるというアクシデントがあり、ボンベを変えたのですが、その後火がなかなかつかず、やっとのおもいで着火。でこの後火が強くなりすぎたのですが、「一度消すとまたつくかわからないから、消さない」と言い張る店の人。おかげで麺はクタクタ、我々もクタクタ。これが中国ですかね〜(^^;;

この後はバスでホテルに戻り解散。と言うことで、長い長い1日が終わりました。

 

8/6火曜日
さあ、早くも帰国の日。この日はまたとないいい天気!

常春の都昆明と言うのは伊達ではなく、本当に気温も25度前後ととても過ごしやすい場所でした。

空港にはタクシー4台に分かれて行くのですが、これがまた英語が通じない(笑)
人民元を持っている人がそれぞれ一人は乗るようにして別々に空港に向かいます。

行きのバスでは1時間以上かかってところが、帰りは15分くらいで到着。
行きのバスの運ちゃん、高速代をちょろまかすために下道できたんじゃないの?、なんて勘ぐってはいけないですね。

昆明空港では特に迷うこともなく出国審査も終わり搭乗。終わってしまうとあっと言う間の出来事でした。

前日は午前中ストライキで欠航便が出たと言う香港行きもこの日は正常どおりの運行。

問題は香港での7時間待ちでしたが、空港でビールを飲んだりして3時間、また別のお店でビール飲んだりと、まああとで考えると無駄ではありましたが、参加された先生方と親交を深めることも出来ましたのでまあ悪いことばかりではないか、と。

日本への夜行便も特に大きな問題はなく、終わってしまえばあっという間の中国出張でした。もう長いのでこの辺でやめますね!(^^)

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